- 六月 -

好奇心

第4話

 新しい学年、新しいクラス。しかし幸か不幸か、二年のときにいつも一緒にいたメンバーとは同じクラスだったので特に代わり映えもしない毎日が始まるのだと思っていた。

 あの日、彼女の視線に気づくまでは。

 春特有の怠くなるような生ぬるい空気に満たされた教室で感じた視線。目が合った瞬間、彼女は驚いたように顔を背けた。そして何事もなかったかのように友人たちと会話を続ける。その表情が妙に気になった。あの目が自分に似ている気がしたから。


 あれは、何かを渇望する目だ。


 彼女のことはよく知らなかった。それこそ名前すらも。だから声をかけた。彼女とならわかり合えることができるかもしれない。そんな淡い期待を抱いて。


「ねえ、水無月」


 階段の一番高いところに座って踊り場の窓から雨模様の空を眺めていると、すっかり聞き慣れた声が叶向を呼んだ。


「なに」


 叶向は彼女の方を見もせず、膝に頬杖をついて答える。


「なに見てんの?」

「外」

「なんで?」

「梅雨だなぁって」

「なにそれ」


 困惑したような声に叶向は視線を向けた。少し距離を置いて隣に座った彼女は制服のスカートの上に乗せた弁当袋の紐を両手に握ったまま叶向のことを見ていた。叶向は思わず吹き出して笑う。


「いや、そっちこそ何やってんの。開けるの? 開けないの? その状態で何分経過した?」

「んー、だってさ」

「なに今さら恥ずかしがってんだか。特製弁当だって、さっきまではしゃいでたじゃん」

「だってさぁ」


 如月は眉を寄せて不満そうに少し頬を膨らませる。


「水無月、ぜんぜん興味なさそうなんだもん」


 叶向はため息を吐きながら「そんなことないって」と彼女の方へと身体を向ける。


「ほら。見せて見せて」

「いや、ていうか食べてほしいんだけど」

「とりあえず見た目で判断させて」

「なんでそんなこと言うかな! もー」


 如月は怒りながらも弁当袋を開ける覚悟を決めたようだ。

 彼女と初めて話したときは、まさかこうして一緒に昼休憩を過ごすことになるとは思いもしなかった。といっても、今日は特別だ。料理ができないと言っていた彼女が初めて作った弁当を試食する日なのだから。


「まさか全部冷凍じゃないよね」


 袋から弁当を取り出す姿を眺めながらそんな言葉をかける。すると彼女は手を止めて「だから違うって!」と怒りの表情を水無月に向けてきた。


「ちゃんと作ったんだってば! ほら、見て!」


 言葉と共に彼女は弁当箱を開ける。それは小さなおにぎり、卵焼き、唐揚げ、ポテトサラダにプチトマトなど、可愛らしい彩りをした弁当だった。


「へー、ちゃんと弁当じゃん」


 叶向は少し驚きながら弁当を見つめる。如月は「でしょ? すごいでしょ」とドヤ顔で顎を上げた。


「まあ、予行演習にしては上出来じゃない? 男子に作ってあげるときはもうちょっと量が必要かもね。そこは改善点」

「いや、なんでそういうことになってんの?」

「いつかそういうこともするんじゃないの?」


 叶向はニヤリと笑って首を傾げる。すると即座に彼女は「しない!」と言い切った。


「そうなの?」

「たぶん。そもそもわたしは誰かにお弁当を作るなんてしないと思う」

「ふうん……。これは?」

「水無月、最近ぜんぜんお昼食べてる気配がなかったから特別」

「特別枠か」

「そう! 水無月の健康を想っての特製弁当! だからちゃんと食べるように」

「はいはい。ありがとうございます」


 叶向は差し出された弁当を受け取ってから彼女の座っている場所に視線を向ける。そこにはお茶のボトル以外、何も置かれていない。


「如月の分は?」

「あー……」

「まさか忘れた?」

「違う」

「でも持ってないじゃん」

「……気づいたら水無月の分しか作ってなかった」


 苦笑する如月の言葉に叶向は吹き出して笑う。


「バカじゃん」

「うるさいな! いいから食べろ!」

「はいはい」


 叶向は笑いながら弁当を受け取るとそれを二人の間に置いた。


「じゃ、半分こってことで」

「え、いやいや。これは水無月の分で。それに箸だってこれしか――」


 如月が言っている間に、叶向は手づかみでおにぎりを頬張った。瞬間、如月が目を丸くする。そしてすぐに心配そうな顔で「どう?」と聞いてきた。


「うん。普通に美味しい」

「普通……」


 少し残念そうに如月は首を傾げる。どうやら言葉の選択を間違ったようだ。叶向は卵焼きも手で取ると口に放り込む。甘い出汁の味が口の中に程よく広がっていく。


「あ、これは美味しい」


 自然と口からそんな言葉が零れた。すると如月は嬉しそうに「やった」と笑ってから箸を叶向に差しだす。


「行儀わるいから、ちゃんと箸で食べて」

「いいよ。もう手で食べてる。如月が使いなよ」

「……じゃあ」


 言いながら彼女はなぜか緊張した面持ちで箸を持つと卵焼きを口に運んだ。そして安堵したような表情を浮かべる。もしかすると味見もしていなかったのかもしれない。


「明日からは自分用に作りなね」

「水無月のも作るよ?」

「じゃあ、たまにお願いする」

「毎日でもいいけど」


 窺うような如月の言葉に叶向は首を横に振った。


「そっか……」


 残念そうに呟きながら彼女はおにぎりを食べ始める。叶向は再び窓の向こうへ視線を向けた。

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