第7話

 しかし、カードをもらってから一週間が過ぎても一花にはその店へ行く勇気が持てないでいた。場所も営業時間も確認している。しかし水無月が言う『高校の友人』が誰なのかということが引っかかって行くことができない。

 気になるのなら行って確かめてしまえばいいのに、なぜかそれができないのだ。

 理由もわからず、ただモヤモヤした気持ちと苛立ちを抱えて卒業アルバムを引っ張り出してはそれらしい人物を探し続ける。しかし、わからない。

 そもそも一花は水無月の友人関係をよく知らない。会うときはいつも二人だったし、教室で彼女が一緒に行動を共にしていた友人は日によって違っていた。会話も授業や教師の話はしたものの、友人について互いに話した記憶はない。

 水無月が友人と呼ぶ自分以外の誰か。彼女と言っていたから女性なのだろう。


「その子とは高校を出てからも連絡とってたんだ……」


 金曜日。仕事を終えて帰宅した一花は食事もそこそこに、軽くビールを飲みながらぼんやりと卒業アルバムを眺めていた。懐かしい高校時代。しかし思い出に残っているのは水無月と過ごした一年間の日々だけだ。


「なんで――」


 頬杖をつき、個人写真のページに写る澄ました顔の水無月を指でなぞりながら呟く。

 どうして離れてしまったのだろう。

 どうして水無月は行ってしまったのだろう。

 どうして彼女の一番になれなかったのだろう。


 ――その友達が、ずっと一番だったから?


 ふいに浮かんできた考えに一花の胸がズキズキと痛む。あの日からずっとそうだ。彼女のことを考えると胸が痛い。苦しい。イライラする。それなのに考えてしまう。期待をすべて打ち砕かれてもまだ期待してしまう。

 彼女は自分と同じであるはずだ、と。


「……わたし、キモいな」


 自嘲しながら部屋の時計に目を向ける。時刻は午後十時を過ぎたところ。バーの営業時間は深夜二時までだったはずだ。一花はふらりと立ち上がるとメイクを直すことすらせず、バッグを手にして家を出た。

 カードに書かれてあった住所は職場から徒歩十分程度。一花が暮らすアパートは職場の近くにあるので、店までも歩いて行ける距離だった。

 週末の夜の街は賑やかだ。二次会にでも行くのか、ほろ酔いの集団が歩道を広がって歩いている。一花は急ぎ足でその集団を追い抜くと、まっすぐに店がある細い路地へと向かった。

 地図は何度も見て覚えてしまった。普段なら酔っ払いが多くて薄暗いこの路地に足を踏み入れることはないだろう。それでも一花は周りを気にすることなく足を進めた。

 心臓がドクドク鳴っているのは緊張か、それとも別の感情か。湿気を帯びた重たい空気が気持ち悪くまとわりついてくる。


「……大丈夫。ちょっと覗くだけ」


 少し覗いて、すぐに帰ろう。相手の顔を見れば気持ちもスッキリするかもしれない。この胸のモヤモヤも痛みも消えるかもしれない。ああ、そうだったんだと納得できるかもしれない。

 一花は歩きながら胸元で片手を握る。そして前方に目的の店が見えてきたとき、思わず足を止めた。


「――水無月?」


 そこに彼女がいたのだ。店の前で女性と一緒に立っている。

 いや、違う。立っているのではない。抱き合っている。一花は無意識に口から短く息を吐くと胸元で握った手に力を込めた。

 ここから見ると、まるで水無月が相手のことを抱きしめているように見える。しがみつくようにして身体を小さく丸め、相手の首元に顔を埋めている。そんな彼女の背中を相手の女性は困った様子で撫でていた。

 二人のすぐ近くに立つ街灯がスポットライトのようにその姿を照らし出している。


 ――なんで。


 声を出すこともできずに一歩後ずさる。そのとき相手の女性が一花へ視線を向けた。その瞬間、弾かれたように一花は元来た道へと駆け出していた。


「なんでっ……!」


 走りながら声を絞り出す。どうして彼女が水無月に抱きしめられている。どうして彼女が水無月を抱き留めている。その役は自分だったはずなのに。


「どうして!」


 訳が分からず、気づけば涙が溢れていた。路地から出た一花はゆっくりと足を止め、肩で息をしながら両手で涙を拭う。


「なんであの子が……」


 一番思い出したくなかった相手が水無月のそばにいる。ずっと忘れていたはずの名前が否が応でも蘇ってくる。秋山あきやま美守みもりという名前が。


「なんでなの、水無月」


 止まることのない涙を押さえつけるように両手で顔を覆いながら、一花はその場に立ち尽くした。

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