ナイモノ。ホシイモノ。

城門有美

- 四月 -

プロローグ

第1話

 桜の木から桃色の花が消えた頃に始まった高校三年の新学期。誰が誰と付き合っている。そんな話題がよく教室内で飛び交うようになったのは、あと一年で高校生活という貴重な時間が終わりを告げるからだろう。そんな少し浮き足立ったクラスの中で落ちついていられたのは、きっとこのときすでに諦めの気持ちが心のどこかに生まれていたからなのかもしれない。

 進級してもクラス替えがあっても自分の人間関係が変わることはない。周囲から見て自分と釣り合っているのだろう友人たちと一緒に行動するだけ。

 決して一人にはならないように。

 それが当たり前だとでもいうように。

 いずれそのうち必ず自分にも訪れるのだろうと根拠もなく信じていたことは、このときはまだ辛うじて信じていたと思う。だから一人にはならなかったのだ。

 なりたくなかった。

 欲しかったから。

 人が当然のように持っているものを。

 自分にはないものを。

 しかしどうしたら手に入るのかわからなくて、仕方なく話を聞いていた。そこに何かヒントでもあるのではないか。そう思って羨ましさと悔しさと情けなさを懸命に押し込めて笑っていた。話を聞けば聞くほど打ちのめされることはわかっていたのに。


「で? どうよ、そっちは。聞いたよー。告られたんだって?」


 友人は悪気もなくそんな話題を振ってくる。


「ないない。断ったよ」

「えー、なんで?」

「なんでも何も、ぜんっぜんタイプじゃなかったしさ」


 そう言うと、決まって友人はこう返すのだ。


「あんたは高望みしすぎなんだって!」


 しかし、聞こえたのは目の前の友人の声ではなかった。振り返ると、クラスでも目立つ女子のグループが騒いでいた。


「神崎とか、けっこう顔も良くない?」

「そうだよ。性格だって良いしさ」

「そう?」


 テンションが高い声の中に混じる、落ちついた声。


「ていうかさ、あんたこれで振ったの何人目なわけ?」

「そろそろ二桁いくんじゃない? 一人のスパン、めっちゃ短いじゃん」

「そんな多くないよ。せいぜい六人くらい?」

「それは付き合って振った数でしょ」

「そうだけど」


 そう言って笑った彼女の顔から目を逸らすことができなかった。三年になって初めて同じクラスになった女子。このときは名前すらまだ覚えていなかった。


「……あの子、有名だよね」


 なぜか友人が声を潜めて言う。


「そうなんだ?」

「うん。一年のときから綺麗で有名だったけど、何人も告白して撃沈してるって」

「付き合っても二週間くらいで別れてるんだって。全部あの子から振ってるらしいけど」

「へえ」


 適当に頷きながらも視線は彼女を捉えたままだ。その笑顔が、なぜかとても気になった。

 たしかに綺麗な顔立ちをしている。白い肌に整った目鼻立ち。細くてサラサラと揺れる髪はボブにしては短い。ショートボブといったところだろうか。身長も女子の平均よりは高く、女性らしいというよりは中性的な印象だった。

 同い年のわりに大人びた雰囲気を持った彼女は穏やかに笑みを浮かべている。友人たちの言葉を聞いて笑いながら返事をしている。その笑顔から、視線を逸らすことができない。

 綺麗だからではない。

 彼女の笑顔は、まるで鏡を見ているようだったから。


「まあ、いいじゃん。わたしのことはさ」


 静かな落ち着いた口調で言った彼女はさりげなく話題を変えようとしている。その口元がわずかに引きつっていることに気づいた者は他にいないだろう。そんな表情を知っているのはきっと自分だけだ。

 触れられたくない話題を逸らすときに自分もよくあんな顔をする。そして上手く話題を逸らすことができたときには安堵した笑みを浮かべてしまうのだ。今、彼女がそうしているように。

 そのとき、一瞬だけ彼女と目が合ったような気がして慌てて顔を背ける。


「あんまり見ない方がいいよ? あのグループ、ちょっと怖いしさ」

「ああ、うん。だね。あ、そういえばさ――」


 そうしてさりげなく自分のことから話題を逸らして昼食を続ける。

 こんな調子で、この一年もまた今までと同じような時間を過ごすのだろう。貴重な高校生活は自分にとって色も音も凹凸すらない平らな世界になりかかっていた。平穏で安定した何もない世界に。

 しかし、その日の放課後。そんな何もない世界が目の前に立つ少女によって微かな温もりを取り戻し始めた。


「こんにちは」


 およそ下校時間にするような挨拶ではない。今思えば彼女も緊張していたのかもしれない。いや、彼女の性格を考えると、ただどう話しかけたらいいのかわからなかっただけかもしれない。まだこのときは名前も知らなかったと後に彼女は言っていたから。


「えっと、こんにちは……?」


 そう言って見上げた先で彼女は笑みを浮かべていた。そのどこか安心したような笑みは、やはり不思議と鏡を見ているような気持ちになる。彼女は自分がよく知る笑顔を浮かべたまま、スッと右手を差し出した。


「わたし、水無月みなづき叶向かなた。よろしく」

「――如月きさらぎ一花いちか、です。どうも」


 握った彼女の手は温かく、しかしなぜか冷たい感じがした。それが彼女との初めての会話。

 このとき微かに沸き上がった感情は、今でも心の中でくすぶっている。

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