第34話 罰


 雨宮先輩攻略の糸口は愛宕先輩が自死する直前の行動にあった。


 愛宕先輩は飛び降りる前まで、莉桜に撃たれて使い物にならなくなった手をずっと腹に押し付けていた。ぼくはこの動作を痛みを和らげるための行動だと思っていた。


 だが、このときの愛宕先輩が雨宮先輩の能力によるマインドコントロール下にあったのなら話は変わってくる。操られている人間が痛みから逃れる行動ができるだろうか。殺人にも利用できる能力に、そんな逃げ道があるとは考えにくい。だが命令された行動が物理的に実行不可能だったらどうだろう。ぼくが『あらすじ』で視た、愛宕先輩への命令はこうだった。


『本日 愛宕 楼次。部室に深夜まで待機、学内の様子を見張る。校舎に七北田 千昭が侵入したのを確認の後、彼を追跡。スマホで撮影。わざと見つかり、非常階段で最上階までまで逃走。ナイフで自分の腹を刺した後に飛び降り自殺』


 この命令の中で、あのとき『腹を刺す』だけが実行できなくなった。右手はケガをして、もう片方はスマホを持っていた。恐らくドキュメンタリーのための映像として雨宮先輩が使うためにそうさせたのだろう。そもそもナイフは階下に落下して使用不可だ。

 能力による命令に対しエラーが起きた愛宕先輩はどうなったか。彼の体は命令を可能な範囲で遂行しようとしたのだ。その結果、愛宕先輩はナイフではなく『自分の手』で腹を刺そうとした。その後、飛び降りるという命令が実行に移され愛宕先輩は死亡したのだ。


 ぼくは賭けに出ることにした。雨宮先輩は脚本で自殺方法を指定している。靖菜の『次回予告』で視た、ぼくが靖菜へ行う殺害方法も指定しているとしたら、その命令を実行できなくすればいい。そう、愛宕先輩のように。


 ぼくは野球部の部室で目覚めた直後、莉桜にこうお願いをした。


「壊してほしい奴はぼくだ。ぼくの両腕を破壊して欲しい」


 突飛な願いに流石の莉桜も断るかと一瞬だけ不安になったが、彼女は


「え! いいんですか?! 本当に?! いいんですか?! やっちゃいますよ! ばきっと! やっちゃいますね!」


 と言って、クリスマスの朝の子供のような笑みを浮かべながら、嬉々としながらぼくの腕を使い物にならなくしてくれた。ただし手自体は使えるようにしておきたいと依頼し、ぼくの人体破壊は両肩の脱臼及び両腕の骨折に留められた。このあとの計画のため、雨宮先輩を騙す必要があったからだ。


 おかげでぼくの手はハンマーは持てるが振り下ろせない状態となり、雨宮先輩の命令は曲解され『ゆっくりと靖菜に近づき、彼女を圧殺しようとする』に書き換わった。


 ぼくは賭けに勝った。これも靖菜がぼくを信頼して自分の死ぬところを見せてくれたからだ。信頼と友情の勝利だざまぁみろ。


 ただ、この欺瞞作戦を自発的骨折後、靖菜に伝えた時、彼女は歯が抜けるんじゃないかってくらいの力でぼくをビンタした。頬の絆創膏はその時の腫れを隠すためのものだ。しかも靖菜は


「バカ千昭!」

「ほんとバカじゃないの?! 最低! ワケわかんない!」

「約束したじゃん!」


 と訳の分からないキレ方をしてくるから、流石のぼくも怒って、


「誰がバカだ! これが最善策って分かるだろ! みんなの、特に靖菜と史音の望みはこれで叶えられる!」

「腕と命を比べたら、命の方が大事だろ! バカは靖菜の方だ!」

「守ってるだろ! 靖菜を守るって約束を! 今まさに!」


 と反論した。ぼくと靖菜は決戦前の作戦会議のために訪れた市立図書館のロビーで延々と互いを罵倒しあうことになった。史音と莉桜も仲裁してくれれば良いのに、史音は他人のフリをするし、莉桜に至っては


「わんわんわわーん♪ わんわんわわーん♪」


 と犬のおまわりさんの犬パートだけを延々歌っている始末だ。なんでその歌のその部分だけ歌うのか、今でも意味は分からない。


 そして思えば、靖菜とちゃんと喧嘩をしたのはこれが初めてだった。殺し合いはあるけど。あんなに仲のよかった友人と喧嘩をしてしまい、気分は最悪だった。

 だから喧嘩のきっかけになった雨宮先輩が憎くてたまらないし、作戦が上手くいってめちゃくちゃ嬉しい。


 改めて言ってやる。ざまぁみろ。


 ◆


 史音は放送室の録音機器と連動させていた自らのスマホを掲げる。スマホからは録音されたての猟奇殺人鬼の悍ましい音声が響いた。


『いいや! ダメだね! 殺すんだ! 彼女を思いっきり殴り殺せ! ああ、良い素材になるぞぉ!』


「千昭くん。雨宮先輩に『殺せ』って言われて怖かった?」

「ああ、怖かった! 上級生だから逆らえない。こんな密室であんまりだ!」


 ぼくのわざとらしい宣言を聞いて、史音は勝ち誇ったように笑っている。この笑みの意味は苦手な莉桜に機器の使い方をみっちり教わった苦労が報われたことだけのものではないだろう。目の前の殺人鬼を自らの手で追い詰めたことへの達成感が、少なからずあるはずだ。


『先輩、千昭くんの――』

「んんっ」

『……言葉、聞きました――』

「あっ……んっ……」

『えー聞きましたよね。これって立派な』

「んあぅ……」

『……靖菜ちゃん! 好きな男子にもみくちゃにされて嬉しいだろうけど、少しは喘ぎ声を我慢してよ! 大事な話してるのに全然締まらないじゃん!』

「ごめっ……なんか、声止まらなくてっ」


 雨宮先輩の靖菜への命令文には『声を上げる』とあった。まぁ悲鳴をあげさせたかったんだろうけど、これもぼくが靖菜の殺害ができなくなったことで命令が変わってしまったのだろう。靖菜は煽情的な声を漏らし続けることになっている。

 正直、悲鳴より辛い。靖菜はぼくのシャツを噛んで必死に喘ぎ声を抑えようとしているが、より艶かしい呻きをもらすだけだった。それがまた、こう……なんだ! インモラルだ! もう関係ないことを考えて雑念を振り払うしかない! 炸裂しろ、ぼくの郷土愛!


「牛タン、笹かま、瓢箪揚げ、ずんだ餅、牛タン、ずんだシェイク、なす漬け、牛タン……」

「んくぅ……」


 仙台名物の羅列で冷静さを取り戻そうとしているぼくや、喘ぎ続ける靖菜に変わり、きっと史音が追及を続けてくれる。


『先輩、すいませんね! この二人いっっっつもこうなんです! 二人揃えばイチャイチャイチャイチャ! 学校だけならいざ知らず、うちに来て新婚ごっごまでするんですよこの二人! あたし三日に一回。いえ一日一回は二人を助けたの後悔してるんですから!』

「そ、それは大変、だね?」

『これも全部、雨宮先輩のせいですからね! あたし絶対に許しません!』

「二人の関係性に僕は関係なくない?」


 追及ではなく誤解と八つ当たりが入った。雨宮先輩が困惑しているのが声だけで分かる。早くしてくれ史音。ぼくの理性はもう限界だ。


『雨宮先輩が千昭くんに言ったことは、一般的には強要罪? とか殺人教唆? ってやつになると思います。ご覧のとおり録音もしてますし、警察に突き出せば終わりです。自首してください。もう逃げられませんよ』

「へぇ、すごいね」


 雨宮先輩の声音に焦った様子はない。


「で、それがどうかしたのかい? 学生同士の遊びか部活でのドラマ制作の一環と言えばと言えば終わりだよ」


 サイコ野郎のくせに痛いところを突いてくる。ぼくたちの作戦は録音データをダシにしつつ、罪の軽減をちらつかせて雨宮先輩に自白を促すというものだった。だけどこいつの言う通り、これだけでは罪を認めさせるのは難しい。警察に突き出すという史音の希望は遠のきつつあったが、


『先輩が認めないなら、しょうがないです』


 史音にはまだ『武器』がある。それを教えたのはぼくで、彼女はぼくのことを許可を求めるように見てくる。ぼくは靖菜が漏らす悩まし気な吐息を気にしないようにしながら頷く。いや、嘘だ。靖菜のいい匂いしか感じられてないが、とにかくぼくはまだ自由の利く首で頷いた。


「ああ、やってやれ! 史音!」


 史音は拳を縦にして突き出し、親指をピンと立てた。


「『いいね』のジェスチャーかな?」

『いいえ。今からあたしの能力で雨宮先輩をやっつけるんです』

「警察が裁けないから、きみが裁くって言うのか。きみたちもぼくを罵っておきながら、自分勝手なルールで誰かの命運を決めるんだな」

『いいえ。あたしたちは裁きません』


 史音はまっすぐ雨宮先輩を見据えている。獲物を見定めた狩人のように。


『裁くのは、みんなです』


 そして、爆弾のスイッチを押すように親指を倒す。


『ドラマフリー』


 瞬間、スタジオ内に光が灯った。ガラスに映っている雨宮先輩の頭上で、史音が生み出した光がさんさんと輝いている。ちょうど、はじめて史音と会った時のぼくの頭のように。


「は? これのどこが……」


 雨宮先輩は頭上の光に手を触れようとする。もちろん触れられない。光に実体はないのだから触れられるわけがない。


「いや、待て……なんだこれ……ああ、そんな! 待て待て待て! 嘘だ嘘だ嘘だ!」


 悪知恵が良く回る雨宮先輩はすぐに事の重大さに気づいた。その慌てる顔が直に見られなくて残念極まりない。史音が恐らく雨宮先輩が気づいたことを言う。


『あたしの『ドラマフリー能力』は『光を灯す』です。あたしが能力を解除しない限り、先輩の頭は常にピカピカ光ることになります』


 史音の灯した光は彼女が離れた場所でも灯り続けること。史音が言った通り、彼女が解除しない限り光が消えないことは、ぼくが野球部の部室に潜入した時に確認済みだ。


『みんなが先輩をこう見るでしょうね。『頭を光らせることができる超能力者だ』って』


 ぼくたち超能力を持つ者が恐れることは何か。


 それは超能力が露見すること。


 自分が普通じゃないと知られること。


 そしてマイノリティとして差別されることだ。


 その原因は何も雨宮先輩自身の能力である必要はない。史音がやったということがバレなければ、この世界で『おかしい』のは雨宮先輩一人になる。彼は一生を偏見や迫害に怯えながら部屋にこもって過ごすことになる。誰にも秘密を言えないまま。勿論、彼の歪んだ理想など実現できないまま。


『先輩、自首してください』


 毅然とした態度で言い放った史音が、ぼくにはメチャクチャにかっこよく見えた。史音、きみは自分の能力をぼくたちの能力に比べてかっこ悪いと言ったけど、そんなことは決してない。悪をぼくたちの世界から追い立て、祓うきみの光は正にヒーローたる者の能力で、ぼくたちの誰よりもかっこいい能力だ。正義の光に照らされた雨宮先輩は獣のように吠える。


「いますぐ消せこのクソギャルがぁ!」

『いやでーす。先輩が自首したら消しまーす』


 雨宮先輩はもはやぼくと靖菜などもう眼中になく、言葉になっていない叫びをあげながら地面に落ちているハンマーを拾い上げ、スタジオから史音に迫る。しかし史音は脱兎のごとく編集室から廊下へ逃げ去っていた。雨宮先輩も唸りながら彼女を殺すべく廊下へ出る。


「――っ!」


 ふいに体の自由が利くようになった。雨宮先輩の能力が解除されたのだ。彼の精神の乱れか、脚本のエラーが長引いたことで中断されたかは分からない。とにかく今ぼくがすべきは――


「ご、ごめん!」


 顔を真っ赤にしている靖菜からすぐさま離れることだった。靖菜は気恥ずかしそうにしながらも、


「いいから、行くよ!」


 と言った。ぼくらも二人の後を追う。骨を折ったのは腕だけなのだが、走る足が振動を生み出す度、ぼくの両腕は耐えがたい痛みに襲われる。泣きそうになりながらもぼくはサイコ雨宮に追われる友人を援護すべく走り続ける。


 史音は廊下の隅に追い詰められていて、雨宮先輩は息を荒くしながら彼女に近づいていた。


「先輩。あのー……お願いですから自首しましょ? 先輩のためでもあるんですって」


 史音は目を泳がせながら雨宮先輩に言い聞かせるが、彼はもう聞く耳を持たず、そして普段の優男の仮面を脱ぎ捨て、ただ『殺す』とか『なめやがって』とか『僕の理想の物語の障害が』とか、怨嗟の言葉をこれでもかと呟いていた。


「今、自首したら……色々間に合いますから!」

「死ねぇ! クソア――」


 きっと雨宮先輩は自分の身に起きたことが分からなかっただろう。彼の体に突如横から吹き飛んできた教室のドアが直撃したのだ。雨宮先輩はドアごと廊下の壁にぶち当たった。ドアがばたんと倒れると同時に、先輩もその上に倒れる。雨宮先輩は痛みで芋虫のように体をくねらせる。彼はうめきながらもなんとか状況の把握をしようと、顔をドアが飛んできた方へ向け、そしておそらく恐怖から大きく目を見開いた。


 ドアが吹き飛んだ教室からぬっと出てきたのは、黒衣に身を包んだ顔の無い怪人、フェイスマンだった。


「フェイスマン?! なんでここに?!」


 雨宮先輩は狼狽しつつもなんとか立ち上がる。フェイスマンは重い足音を響かせながら、雨宮先輩に歩み寄り、低く唸った。


「ん~。普段なら理由を語らないが、これは私だけの戦いではなくてね。だから――」


 言葉の途中で雨宮先輩は突然起き上がり、フェイスマンにハンマーで殴りかかる。やぶれかぶれの不意打ち。怒りに任せた大ぶりの打撃を繰り出す雨宮先輩とは対照的に、フェイスマンの動きは速く、無駄がない。

 フェイスマンは自身に向かってくるハンマーを素早くいなしたかと思うと、雨宮先輩の腕を掴み、ぼくにやったときみたいに――いや、もっと過激に肘関節を逆方向に折り曲げた。雨宮先輩は豚のような悲鳴をあげながら武器を落とす。


「ひぎぃぃっ!」

「だから、今回は理由を言うとしよう」


 フェイスマンは雨宮先輩の腕を強く押し込む。骨が折れる『バキッ』という音と肉が裂ける『ブチッ』というが音が合わさって廊下に響く。


「っっっ~!?」

「お前は人や、学舎。そして街に癒えない傷を残した。故に、その罪は同じく癒えない傷という罰で贖わなければならない。私は街そのもの。復讐の代行者だ」


 雨宮先輩は想像を絶する痛みで顔を涙と鼻水でグチャグチャにしながらも、折れていない手で反撃を試みる。だがフェイスマンは片手で軽々と雨宮先輩を突き飛ばし距離をとったかと思うと、取り出した警棒を素早く振り、雨宮先輩の腕、頭、胸。太もも、顔面をリズミカルに殴打した。圧倒的な暴力の前に雨宮先輩は再び地面に倒れた。


「お前が奪った命と、街からの報復として、お前がもう物語ドラマを語れないようにする」


 フェイスマンは底の厚いブーツで雨宮先輩の腹を踏みつける。先輩の口の端から液体、おそらく胃液と血の混じったものが漏れ出る。フェイスマンは警棒をしまうと代わりに大ぶりのナイフを取り出した。


「まずは手。ペンを使えないように足も壊す。ああ、口でも持てるな。なら歯も全部砕かなくては」


 フェイスマンが語る、これから自分に起きる事柄に雨宮先輩は顔を強張らせる。同情の余地は全くない。彼が殺めた人たちは、もっと怖い思いをしたのだから。しかし、フェイスマンは「あ」と静かに漏らすと、取り出したばかりのナイフをすぐさま腰の鞘にしまった。


「……え、なん――うぁぁぁ!」


 雨宮先輩は恐怖に耐えきれず叫んだ。それはそうだ、フェイスマンが両手で顔を掴んできたのだから。


「そういえばテレビで見たことがあるなぁ。喋ることができない人が、目で文字盤を見て会話をするのを」

「まさか……やめろやめろやめろぉ!」


 フェイスマンの親指が雨宮先輩の眼球に近づく。


「最後にしっかりと目に焼き付けろ。私の顔に映った、お前自身の罪に塗れた醜悪な顔を」


 雨宮先輩が悲痛に叫ぶ。ぼくは横の靖菜をちらりと見た。彼女はフェイスマンが――莉桜がやろうとしていることから目を逸らさず、じっと見つめていた。ぼくもそれに倣う。


「助けてくれ! 七北田くぅん!」


 雨宮先輩の叫びを前にぼくは沈黙を守った。


 ぼくたちは事件に首を突っ込み、萩野先生の死の真相を知った。思い思いの方法での事件に対する落としどころも考えた。ぼくたちはそれを限られた時間で、可能な限り実行に移した。そして今から行われるのは最後の案。莉桜の出した『犯人を再起不能にする』だ。反抗した雨宮先輩には――司法で裁けない殺人鬼を止めるには、もうこの方法しかなかった。


 ぼくたちはこれを見届けなければならない。ぼくたちのやってることだって、究極的には私刑で犯罪だ。この罪を莉桜にだけ押し付けるのは卑怯だ。せめて最後まで見届けて一緒にその咎を背負いたい。それが事件に関わった者としての、ドラマフリー同盟の責任だと思うから。

 夕日が沈み、暗くなった廊下で雨宮先輩の頭上の明かりだけが強く輝く。フェイスマンの指が雨宮の眼球に触れる刹那、史音が叫んだ。


「やっぱり無理! グロいの嫌! 見てらんない!」


 史音が能力を解除し周囲が暗くなったのと同時に、柔らかいものが潰れる音と、雨宮先輩の絶叫が響いた。

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