第36話 自分は大好きです!


 6月。雨宮副部長との対決から一ヶ月と少したった。


 梅雨入り前の仙台は、まばらな雲の合間に澄んだ青空が顔を覗かせ、夏への兆しを見せ始めていた。朝、学校への道を歩きながら、ギブスがとれ、少し細くなった自分の腕を見る。本格的に暑くなる前に回復したことに安堵していると、背後から聞き覚えのある声が聞こえた。莉桜だ。


「おはようございます。千昭さん」


 莉緒は走って登校しているらしい。彼女は徐々にペースを落としながらぼくの横に並ぶ。


「おはよう。莉桜さん。朝から元気だね」

「そういう千昭さんこそ、今日はお姉さまの車ではないのですね」


 ぼくはギブスのとれた両腕を振って見せる。莉桜は淡白に「おお」と声をあげた。


「回復おめでとうございます。折ったのは自分ですが」

「まぁ、頼んだのはぼくの方だから」

「今のは笑うところですよ」

「ジョークが分かりにくいよ」


 ぼくの皮肉を聞いて、莉桜が少し嬉しそうな顔をしている気がした。ぼくはいまだに、この少女の過激な部分以外の性格とか好みが分かりかねている。


「しかし、千昭さんのお姉さまがあんなに美人だったとは。靖菜さんのこともありますし、千昭さんは色々と恵まれていますね」

「……そうだね」


 含みのある言い方だが、ぼくの身の回りが良い人ばかりなのは事実だ。恵まれているというのはその通りで感謝感謝だ。

 ぼくは姉のことを思い浮かべる。ここ一ヶ月ぼくの送り迎えをしてくれた姉は部屋に引きこもることをやめて、代わりに外にこもるようになっていた。今日は福島まで車を飛ばし、薄皮まんじゅうを買ってくると言っていた。今夜はふたりでそれを食べながら『ウォーキングデッド』のファイナルシーズンを二人で見る約束をしている。

 定職に就かない姉と不良気味なぼくを見る両親の目は冷たい。でも知ったことじゃない。大人には大人の事情がるように、ぼくたちだって日々を生きるのに必死だ。若いからといって前進ばかりできると思ったら大間違いなのだ。莉桜はぼくとの会話に満足したのか、また走り出そうと足踏みをしていた。


「では、お先に。また学校で」

「待って、莉桜さん」


 ぼくの呼び止めに莉桜はきょとんと首をかしげる。


「なんでしょう」

「改めて、謝りたいんだ。莉桜さんに雨宮を――」

「壊させたこと?」

「そうだ」


 事件に、雨宮との戦いに決着はついたけど、このことはぼくのなかで未だにしこりとして残っていた。

 人を操る能力。そしてそれを悪用する人間を止めるにはああするしかなかった。だけど、その役目をフェイスマンに――いや、莉桜一人に背負わせたことは、やっぱり卑怯と言わざるを得ない。自らの手を汚さず、誰かを使って人を傷つけたという意味でなら、ぼくたちと雨宮はそう変わらない。

 世間では萩野先生殺しと雨宮が校内で襲われたのは全てフェイスマンによる犯行とされてしまった。ふたつ目は事実だが、決して悪意のあるものではない。莉桜なりに普通の生活を望み、そしてぼくたちを守るための行動をしただけだ。それなのにぼくたちは警察に追われる彼女に何もしてあげられない。ただ謝ることしかできない。

 だけど、莉桜はぼくの中で重く溜まる後悔を気にもしていないようで、あっけらかんと言った。


「千昭さんから謝罪をしていただく必要はありません。初めてお話しした時にお伝えしましたが、自分はたまたま千昭さんたちと協力しただけで、一人で犯人を見つけ出していても同じことをしました。千昭さんたちは過程を変えただけ。警察との追いかけっこも慣れてますし、どうかお気になさらず」

「でも、やっぱり――」

「そんなことより千昭さん!」


 莉桜が急にぼくの目の前に立って両手でぼくの手を掴んできたから、ぼくは思わず身を引いて手を振り払おうとする。だけど筋力の落ちたぼくの手では、仮面の復讐者だった少女の腕力から逃れることはできない。


「次はいつですか?!」

「次?」

「もう、焦らされるのは嫌いって言ったじゃないですか。悪人退治ですよ!」


 そう言う莉桜の顔は目元も口元も蕩けたようで恍惚としている……ように見えた。


「同盟は次はどんな悪人に目を付けてるんですか。自分、なんでもやりますから」

「『次』なんてものはないよ。前にも話したけど、同盟はもとは悪人退治が目的の集まりじゃないんだ。ぼくもこんなことはもうごめんだよ」

「いいえ、次はあります。必ず」


 莉桜はぼくをひっぱって引き寄せた。周囲の生徒や通行人がぼくたちを怪訝そうに見ては取り過ぎていく。莉桜の顔がぼくの眼前にあるが、ロマンチックな気持ちはぼくになく、まるでホラー映画の殺人鬼を前にしているような恐怖感があった。


「千昭さん。正直に言うと自分は靖菜さんや史音さんが好きではありません。彼女たちは理想や正義を語りますが、自ら何かをしようとはしない。力が伴わないのであれば、どんな崇高な思想だって紙くず以下の価値しかありません」


 友人をけなしたような物言いが気に入らなくて、ぼくは恐怖感を脇に置き莉桜を睨みつける。だが莉桜は最初に会った時のように、口元だけで笑ってさらにぼくに近づいた。もう息がかかるレベルの近さだ。


「ですが千昭さん。あなたは別です! あなたは自らをも『壊す』覚悟を持って戦いに挑みました。自分の人生の中で、あなたのような人は見たことがありません。大変に心を打たれましたよ!」

「お褒めにあずかり光栄だね」

「ええ。誇ってください。もう千昭さんはこの世界の『理不尽』を垣間見、そしてそれを力でねじ伏せることができると知りました。優しいあなたは、もう見て見ぬふりはできません。ですからきっと『次』もあります。またあなたは『理不尽』に首を突っ込みます。千昭さんのそういうところが、自分は大好きです!」


 愛の告白にも聞こえるが、きっと違うだろう。ぼくはこの際だからはっきり言ってやることにした。


「莉桜さん」

「なんでしょうか!」

「ぼくは莉桜さんのこういうところ、ちょっと嫌いだ」


 沈黙。そして


「あっはっはっはっはっは!」


 莉桜は爆笑しながら手を離した。そしてぼくを指差す。


「そういうところです。自分は千昭さんのそういうところが好きなんですよ」


 そして「じゃ」と言った後、彼女は走り去った。

 ぼくは今見たものを思い返す。ぼくを「好きだ」と言った時の莉桜の姿は一瞬、ほんの一瞬だったがフェイスマンの姿をしていたのだ。

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