第37話 ドラマフリーでお願いします


 莉桜と別れてから数分後。学校に到着したぼくは自分の教室に向かう途中、廊下で靖菜が向かいから歩いてくるのを見つけた。ぼくは回復したことのアピールも兼ねて右手を上げて声をかける。


「靖菜おはよう」

「……」


 靖菜はぼくの方をちらりとも見ず、ガン無視して取り過ぎようとした。おいおいおいおい。


「おいおいおいおい。ちょっと待ってよ」


 流石に耐えかねたぼくは走って靖菜の前に立ちはだかる。ぼくを見上げる靖菜は迷惑そうに細めた目を向けてくる。

 雨宮との対決から今日にいたるまで、靖菜はぼくに対してずっとこんな調子だ。チャットのメッセージも他のメンバーとはやりとりをしているのに、ぼくのチャットにだけは返事をしてくれない。


「なぁ。ぼくの何が気に入らないんだ?」


 原因はなんとなく分かる。靖菜は対決前からぼくに対して怒っていた。多分、その時からぼくに対して不満があるんだろう。だけど靖菜は自身の抱くぼくへの不満の内容を一向に話してくれない。こんなに陰険な状態は彼女らしくなくて、無視された苛立ちよりも心配の方がぼくの中で勝ってきている。


「なぁ。二人で約束しただろ。なにか迷ったら、困ったら、言葉にするって」


 靖菜は舌打ちで返してきた。なるほどわかった。そっちが拒否し続けるなら、ぼくも構わず歩み寄り続けてやる。


「分かった。当てる。莉桜さんが雨宮をぐちゃぐちゃにしたのを許してないんだろ。法規にのっとるべきだったって。あっ今回の方法だとあの愛宕・クソ・先輩の悪事が明るみにできなかったからそのことで怒ってるんだろ。違うか。それなら、ぼくがあのとき靖菜の胸を――」

「約束!」


 靖菜が叫んだから、周囲の目がぼくたちに集まった。いつかのコーヒーショップの光景の再演だが今回は立場が逆で、ぼくが久しぶりに聞く靖菜の声に肝を冷やしている。


「約束、忘れてること。それに怒ってる」

「だから守っただろ、約束は。靖菜を犯人やぼくから守るって」

「それは千昭が勝手に言っただけじゃん」

「勝手に言っただけって……助けたのにそんな言い草はないだろ」


 靖菜はジャケットの裾を握りしめながら俯いた。


「絵を描いたら見せてくれるって。言ったじゃん」


 思い出した。警察署の帰り。たい焼き屋でした約束だ。でもなんで今これが引き合いに出され――嗚呼、ぼくの大馬鹿野郎。ぼくが間抜け面を浮かべながら気づいたからか、靖菜は話しの先を続けてくれた。


「腕、動かせなくなったら。変に折れて治らなかったら、絵が描けなくなるじゃん……」


 靖菜の瞳は涙で潤んでいる。ぼくはこの少女が誰よりも優しいことを失念していた。


「千昭に助けてもらったこと、感謝してる。凄く凄く感謝してる。でも、それで千昭がしたいことができなくなって、千昭が望んだ未来がなくなるのなんて、私嫌だ。絶対に嫌だよ……」


 あの時、阿呆のぼくにはあの作戦しか思いつけなかった。でもせめて腕を折る前に皆に、特に靖菜には話してもよかったかもしれない。靖菜を助けたい一心ゆえだったが、優しい彼女にしてみれば、誰かが自分のために犠牲になることだって苦痛でしかないだろうから。他の方法を靖菜と。いや、同盟のみんなで考えればよかったのにヒーローを気取ったぼくがバカだった。


「ぼくが……ぼくが悪かったです。心配かけてすみませんでした」

「バカ千昭」


 靖菜が目元を拭ってぼくを睨んだとき、予鈴が鳴った。


「ああ、もうこんな時間か。ごめん引き留めた」

「良い。遅れたけど、回復おめでとう。あと……ありがとう」


 靖菜はこの大馬鹿者に微笑んでくれてから、自分の教室に向かうためぼくを通り過ぎて行った。とにかくわだかまりが無くなってよかった。ぼくも急いで自分の教室に足を運ぶ――けど本当に良いのか?

 萩野先生殺しの犯人を無力化した。靖菜が死ぬ未来も変えられた。姉ともまた話せるようになった。靖菜と和解も出来た。でも本当にそれだけで良いのか?


 もともとドラマフリー同盟はぼくと靖菜の問題から発生し、萩野先生の事件解決を原動力に活動してきた。それらが解決した今となっては同盟として集まる意義はなくなる。ぼくたち同盟の――ぼくと靖菜の関りも薄くなってしまうかもしれない。それは、絶対に嫌だった。だからぼくは足を止めて振り返る!


「「あのさ!」」


 靖菜はそして恐らくぼくも、互いが声をかけあったことに驚いて目を点にした。そして、またいつかのように二人で笑い出した。そう、この感じ。ぼくは二人の間のこの空気が大好きなんだ。


「いいよ。言って。千昭から聞きたい」


 約束をすっぽかしかけた分、ぼくがエスコートするのが筋だろう。ぼくは促されるままに言う。


「放課後、部活見学に行く予定なんだ」


 事件が落ち着いた学校では部活動も再開していた。ケガ人が出た放送部や、死人が出た野球部。そしてぼくが入りたかった美術部も。


「もし、靖菜も興味があったらさ。美術部の見学、一緒に行かない?」


 ぼくの言葉に靖菜は満面の笑みで答えた。


「いいよ。千昭となら、死ぬほど楽しそうだから」

「ああ。殺したくなるくらいに、楽しませるよ」


 靖菜が右手を差し出してきた。ぼくはそこに自分の手を重ねて――二人で手を握った。繋がるぼくらを窓から差す柔らかな朝日が包む。


 これがドラマだったら異性との情熱的な関係の表現として、熱烈なハグやキス。あとはセックスシーンとかが入ることだろう。


 でもぼくの人生はドラマではない。だからそんなシーンはないし、いらない。


 この手と手の重なりが、少し前まで碌に握手しようとしなかったぼくと靖菜の間にできたこの絆が、如何に大切でかけがえのないものなのか。ぼくは知っているからだ。


 ◆


 そう。ぼくの人生はドラマではない。だから靖菜との美しいやりとりで幕は下りず、これからも平凡だったり辛かったりする日常が続いていく。例えば全校生徒が集まった講堂の席で、史音と仁科に挟まれながらネチネチと話しかけられたりする。とかだ。


「千昭くぅん。あたしたちに何か言うことがあるんじゃなぁい?」

「七北田ぁ。俺たち、骨を折ったお前にだいぶ優しくしたよなぁ」


 二人はぼくの治ったばかりの腕を指で突いてくる。ぼくは彼らと目をあわせないように、ステージに降ろされた巨大なスクリーンをじっと見ている。


「千昭くんが腕折れてる間、あたしたち色々してあげたよねぇ」

「ノートのコピーに机の移動、食事の介助にその他もろもろやってやったよなぁ」


 二人の言葉は厭味ったらしいが事実だ。なんの考えもなしに両腕を折ったぼくはこの一ヶ月、同じクラスであるこの二人に学校での生活のあれこれを頼り切ってしまった。


「おふたりには大変感謝しております」


 だが、ぼくの誠意ある感謝の言葉を二人は素直に受け取ってくれない。


「それだけぇ? 須直くん。あたしたちもうちょっと感謝されてもよくなぁい?」

「だよなぁ。いろいろ助けたのはお前のロリ巨乳の彼女じゃなくて俺たちなんだけどなぁ」


 つまり彼らはこう言いたいのだ。見返りをよこせ、と。いや仁科はともかく、史音は事情を知ってるんだから、多少配慮してくれてもいいだろ! ぼくは史音を睨みつけて言外にそう伝えたが、彼女にも譲る気はないらしい。ぼくは大きなため息をついて提案した。


「商品券。それぞれ1万円づつ」

「「イエーイ!」」


 二人はぼくの前で手を伸ばしハイタッチする。くそっ。靖菜と仲直りしたから、兼ねてから計画してた東京旅行用の資金にしようと思ったのに。お金の当てがなくなって、ぼくだって毒を吐きたくなった。


「まったく。ぼくは良い友達はもったもんだよ」

「ははっ。でもまぁ良いやつっていうなら、マジで良い人があんな目にあったの、許せねぇよ。改めて思ったわ」


 仁科の言う『良い人』とは雨宮のことだ。雨宮は品行方正で性格は温厚。暴走しがちな放送部の良心として今も同盟以外の生徒や先生方に認識されている。歪んだ欲望のために人を殺めた異常者とはこの講堂にいる誰もが思っていないだろう。

 ぼくと史音は顔を見合わせ、互いに神妙な面持ちになる。雨宮の無力化には成功したが真実が明るみに出せない以上、彼は『フェイスマンによって喋ることすらできなくなる程に痛め付けられた可哀そうな被害者』としか世間には認識されていない。この状況に満足しているかと言えばノーだし、ぼくだってやりきれない。

 今はこのやりきれない思いを抱えたまま生きることが、雨宮への暴力を是認したぼく自身への罰だと思って過ごしている。


 そうして、ぼくたちの会話が途切れたタイミングで講堂内にアナウンスが入る。ざわつく生徒たちが徐々に静かになっていく。


『これより仙台市長よりいただいたメッセージを流します』


 相次ぐ校内での不審死や事件に対し、学校にはついに行政からも口出しが入るようになっていた。いくら私立学校と言えど、こう短期間に事件が立て続けに起きれば致し方ない事象だろう。その一環として、市長からのぼくたち生徒への励ましのビデオレターが贈られたらしく、今日の集会はそれを拝聴するのが目的だ。

 事情を知っているぼくたち同盟からすれば複雑な気分だし、他の生徒たちにしてみれば、新学期からの暗いニュースが未だに尾を引いてるのを実感させられて不快なことこの上ないだろう。だから、アナウンスが終わったら誰も真剣にビデオレターを見ようとはせず、再び講堂内は生徒たちのおしゃべりで埋め尽くされた。だけど、スクリーンに映像が流れ始めると、その会話たちは他愛のないものから、徐々に困惑を伝え合うものに変わった。


 ◆


 スクリーンには我が街の市長ではなく、学校の教室の様子が映っていた。


 ずらっと並べられた、それぞれの座席にはぼくたちの学校の制服を着た人たちが座っている。


 だが、彼らは傍から見ると全員年齢が20歳は越えていそうで、人種も、喋っている言葉もバラバラで何を言っているか理解できない。


 そんな偽生徒たちを、教壇に立つスーツ姿の女性が手で制し、ぐちゃぐちゃの会話を止めさせる。


 スクリーンの中の映像は舐めるようにスーツの女性を足のハイヒールから上へ上へと映していく。そして、顔のある位置まで達した。


 その女性は真っ黒い仮面をつけていた。そして画面の前のぼくたちにこう告げる。


『Next it's your turn to shine』

 (つぎはあなたたちの出番です)


 次の瞬間には、画面が暗転し映像は終わっていた。


 ◆


 嘘だ。嘘だ嘘だ嘘だ。


 ぼくは思わず史音の方を見た。史音も今見たものが信じられないようで、大きな目を泳がせながらぼくを見返している。


「千昭くん。今のって……!」


 ああ、そうだ。ぼくたちドラマフリー同盟が、そして雨宮がドラマフリー能力に目覚めたきっかけと思しき映像だ。ぼくが見た時と内容は違うが、出てきた人物たちは同じだ。それが何故か、講堂のスクリーンに映されたのだ。


 ぼくは周囲を見渡す。講堂にはこの学校のほぼ全校生徒が集まっている。彼らは今の映像を誰かのいたずらか、手違いで流れてしまったものだと思っているだろう。きっとすぐに正しいメッセージが再生されるとも。


 そう、全校生徒が見たのだ。ドラマフリー能力を開花させる映像を。つまり、今ここにいる全員が能力に目覚めたのだ。ぼくや、靖菜や、史音や、莉桜。そして、悪逆非道の限りを尽くした雨宮のように。


「ああ、神様」


 ぼくは思わず両手で髪をかきむしりながら、いるかどうか分からない存在に縋りつく。


「どうか、どうか」


 これから予想しえる混沌とした未来に絶望しながら、ぼくはある言葉を久しぶりに、本来の意味で使い叫んだ。


「ドラマフリーでお願いします!」


【前回までの「ドラマフリーでお願いします」は 完】

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