エピローグ(あるいは最悪のクリフハンガー)

第35話 前回までの『ぼくの人生』は


「前回までの『ドラマフリーでお願いします』は」


 自宅。ぼくは両親が留守の時間を見計らって自室から出ると、姉の部屋の前に立った。ぼくの折れた両腕にはギブスがはめられ、肩から布で吊られている。遠目に見ると拘束具を身にまとった凶悪犯に見えなくもないだろう。ぼくは恐る恐る姉の部屋のドアに――その向こう側にいる姉に声をかける。


「姉ちゃん。起きてる?」


 返事はない。空虚な沈黙が心を刺す。だけど、ぼくはもう逃げないことにしていた。春に会ったぼくの親友――靖菜のように未来を変えるための勇気を持つと決意して、今ぼくはここにいる。


「姉ちゃんに聞いてもらいたいことが……」


 言い方を変えよう。ぼくらしい。そして姉らしい言葉に。


「前回までの!『ぼくの人生』は!」


 堰を切ったように語る、とは今のぼくにぴったりの言葉だ。ぼくはセルフナレーションのあとに2年前の能力発現から、新学期に靖菜に殺されかけたこと、史音がそれを止めてくれたこと、ドラマフリー同盟のこと、事件のこと、フェイスマンのこと、莉桜のこと、そして事件の犯人と対決するために自ら負傷したこと。全てを語った。


 全てを語り終えた後、ぼくの口から大きくため息が出た。信じてもらえないかもしれない。でも知ってもらいたかった。そうじゃないとフェアじゃないから。


「姉ちゃん、頼みがある」


 靖菜は「雨宮と似たようなことを言ってた」と自己嫌悪していたが、ぼくも同じようなものだ。他人の人生――姉の人生を俯瞰したつもりになって『嫌なものを視ないようにする』とか『ドラマフリーな生活を送る』と宣った。

 人生の良し悪しを勝手に決めつける、という点で言えば、ぼくは雨宮と同じ独りよがりなファック野郎だ。

 生きてる以上、嫌な話や誰かの人生の暗いところに触れることくらいある。そもそも能力が無くたって、夜寝る前に過去の嫌なことを思い出すなんてことは誰にでもあるだろう。


 ぼくはそんな当たり前のことから。自分の弱さから目を背け、逃げ出そうとしていただけだった。


「助けて欲しいんだ」


 ずっと言えなかった言葉を口にして、肩が軽くなった気がした。


「両腕を折ったから朝、地下鉄に乗るときキツイんだ。普通の席はもちろん、優先席もいつだって埋まってるし、つり革にもつかまれないから毎日怪我しそうになってる。だから、できれば朝、学校まで車で送ってほしいんだ」


 両親は自業自得と取り合ってくれなかった。夜遊びと外泊、そして理由のはっきりしない怪我のせいで両親のぼくに対するやさしさ貯金はなくなっていたのだ。


「帰りは、なんとかなるから。だから……」


 しかし姉の部屋から返事はない。


「ごめん。無茶言った。聞いてくれてありがとう」


 ぼくは踵を返して自分の部屋に戻ろうと――ガチャリ、という部屋のドアが開く音に、ぼくは危うく転びそうになるくらいの勢いで振り向いた!

 開いたドアからはパジャマ姿で、長くなった髪を後ろでひとつにまとめた姉が出てきた。黒縁眼鏡の奥の目で最大限にやついて、ぼくにこう言う。


「で、あんたは出てきた女の子の中で誰が好きなのよ」


 ぼくはせぐりあげそうになるのを必死で堪えながら言った。


「そういう話じゃないって。いま話したのはもっと、哲学的な、精神的な話で」

「そんな高尚な話に聞こえなかったんですけど。くっだらない学園恋愛ドラマがいいとこじゃない?」

「は? ぼくがどれだけ大変な目に遭ったか、ちゃんと聞いてたか?」

「はいはい、聞いてた聞いてた。おらっ! かっこつけてないでとっとと吐け! 最初に出てきた靖菜ちゃんって子かぁ?」

「うわっ! 肩組むな! 近づくな! くっせぇ!」

「乙女に向かってなんたる口の利き方。これは教育してやらなきゃねぇ」

「痛って! 腕を突くんじゃねぇ!」


 シーンが終わり、ぼくの人生がまた動き出した。

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