第8話 推理とフラペチーノ


 靖菜が足を止めたことに、先行していた史音も気がつき、ぼくたちの元へ戻ってくる。


「ん、どしたー靖菜ちゃん」

「えっと、その、なんて言えばいいか」


 靖菜はしどろもどろになって、目を泳がせる。


「実は、いまハンバーガーとかファーストフードの気分じゃなくて」

「なぁんだ、そういうことかぁ」


 これからの会議に対してや、同盟への不満ではないことに安心したのか、史音はへらりと笑う。


「じゃあ、どこ行きたい? 靖菜ちゃんの好きなとこで良いよ」


 ぼくの意見は聞かんのかい。ぼくは視線で不満を史音にぶつけたが気づいてもらえなかった。その間、靖菜はアーケードを見渡し、ある場所を指さす。そこは鮮やかな緑色の看板が目印のコーヒーショップだった。


「あれならいい」

「おーいいねぇ! 靖菜ちゃんコーヒー好きなの?」

「うん、まぁ」

「よし! あたしも丁度、新作が飲みたかったんだ。計画変更! 千昭くんもそれでいいよね?」


 ぼくはコーヒーは苦手なのだが、もうそんなことを言いだせる雰囲気ではなかった。ぼくは両手を上げて頷き、流れに身を任せることにした。


 ぼくたちは三人で連れ立ってコーヒーショップへ入る。こういうお洒落なコーヒーショップは注文のハードルが高いと聞く。初心者のぼくは二人の注文をお手本に、後から注文しようとしたが、靖菜が一番後ろに回ったため、ぼくは二番手になってしまった。まぁ、お手本なしよりはいいだろうと構えて、史音の様子を注視する。


「いらっしゃいませ、店内でお過ごしですか?」

「はい」

「ご注文をお伺いします」

「えーっと、トールノンファットミルクデカフェインフルーティーフュージョンウィズストロベリーソースグランバニラエキストラホイップマンゴーアンドパッションフルーツフラペチーノでお願いします」


 なんて?


 ぼくには史音の発した言語が一切理解できなかった。だが店員にきちんと通じる注文のようで、史音は既にスマホ決済まで済ませていた。ぼくは不安になり、同志を求めて周囲を見渡すが、ぼくのように挙動不審な奴はおらず、靖菜に至ってはスマホの画面をじっと見つめていた。


「次の方どうぞー」


 にこやかな女性店員がぼくを呼ぶ、ぼくにとっては彼女が死刑台の上の処刑人に見えた。おずおずと進んでメニューを眺めるが、メニューの内容が頭に入ってこない。くそっ、ロシア・アヴァンギャルドの芸術家なら何人だって言えるのに。


「コーヒーの……一番小さい奴で」

「コーヒーのショートですね。ホットとアイスどちらにされますか?」

「えっと、ホットで」


 これが今のぼくの精いっぱいだった。敗北感と劣等感に打ちのめされたぼくは会計を済ませ、これから自分を苛む漆黒の飲料が来るを待つ。その間、靖菜の様子を横目に伺うが、


「ハニーミルクラテで」


 となにごともなく注文している。しかも注文しているのが甘そうなものだと文字だけで分かる。ファッキン。ぼくもそういうのがよかった。そもそも、事情が事情とはいえ女の子二人と放課後に出かけるなんていう経験だってぼくはない。慣れないこと続きでぼくの気力はもうゼロに近い。


 そんな意気消沈したぼくと上機嫌な史音。そして無表情の靖菜は各々の注文を受け取ると、店舗二階のテーブル席に着いた。史音とぼくが並んで座り、その向かいに靖菜が座る。

 史音は嬉しそうに、トッピングが乗りすぎてもはやコーヒーかどうか分からない液体が入ったプラスチックカップを掲げる。


「では記念すべきドラマフリー同盟の第一回会合を祝して、乾杯!」

「「乾杯」」


 半ば死んだ目でぼくと靖菜は史音のカップに自分たちの紙カップを合わせた。史音はおいしそうにストローで中身を吸っている。ぼくも恐る恐るカップに口をつけるが、一口目から芳醇な苦みがぼくの舌の上で暴れまわる。砂糖をとミルクを入れれば少しは違うのだろうが、惨めな虚栄心が女子の前でそうさせることを許さなかった。


 ぼくが口の中の苦みをなんとか飲み込んだころ、史音はカバンからルーズリーフを取り出し、テーブルに置いた。


「じゃあ、事件について分かることを整理しよう! 千昭くん。書記に任命します!」

「えぇ……」


 史音は笑顔で可愛いマスコットのついたオレンジ色のボールペンを差し出してくる。どうやらぼくの嫌そうな顔は史音には見えていないらしい。ぼくが渋々ペンを受け取ると、史音が会議の口火を切る。


「まず犯行時刻からだね。時間としては多分午前七時から八時の間だよね。朝早く来る先生が気がついたら、騒ぎになる前に登校を中止させるもんね」


 時刻を書き留める。これは史音の言うとおりだろう。犯行は教師と大多数の生徒が学校に到着するまでの僅かなタイムラグのなか行われた。


「ってことはさ、もう犯人は決まりじゃん! 学校の先生の誰か! あ、学食のおばさんたち早く来てるか。なら先生か学食のおばさん」


 待て待て待て待て。短絡的な推理をかき消すように手を振って止める。


「確かに先生たちはぼくたちより早くに学校にいた。多分、学食のおばちゃんたちもね。でも生徒会や委員会に入ってる人の中にも早めに登校する人はいる。敷地内ってだけなら、部室棟とかには朝練で早めに登校してる人たちだっていたでしょ」

「そっかぁ。じゃあ、朝早めに来てたと思しき部活動や委員会を書き出そう!」


 本気で言ってる? ぼくは眉をひそめて言外にそう訴えたが、無論通じなかった。大事なことは口に出してはっきり相手に伝えましょう。今日の教訓だ。ぼくはとりあえず史音が次々に口にする部活動を書き留めていく。


・野球部

・サッカー部

・バレー部(男・女)

・剣道部

・卓球部

・バスケ部(男・女)

・セパタクロー部(?)

・吹奏楽部

・合唱部

・放送部

・パソコ――


「まだ続ける? 名探偵どの」

「無理! 多すぎ!」


 史音は首をぶんぶんと横に振った。まだ部活動しか書き出してない。ぼくはこのまま追い打ちをかける。


「で、もし学外の人の犯行だったら、ぼくらじゃ追跡は不可能だ」


 ぼくらの高校は仙台駅にほど近いところにある。交通量も多いし、誰が守衛の隙を見て侵入しても不思議ではない。


「うあわぁぁぁん! 早速ゆきづまったぁ!」


 実は特定できそうな方法があるのだが、面倒なことになりそうなのでぼくは黙っておく。確かに先生を殺したやつがいるなら許せない。だけど、状況から自殺の可能性も捨てきれないし、見つけたところでどうやって警察に突き出せばいいのか見当もつかない。まさか「超能力で見つけました」とも言えない。それに、ぼくにはもっと気になることがあるし――


「あれ、しぃじゃん」


 ぼくが顔を上げると、他校の制服を着た女子が三名、ぼくたちのテーブル席の前に立っている。声はその中の一人から発せられたようだ。


「あー! みぃこ、のの、まなじゃん! 春休みぶりー! 元気してたー!?」

「元気元気。あ、しぃの高校の友達?」

「そだよー。千昭くんに靖菜ちゃん」


 話ぶりから察するに、彼女たちは史音の中学時代の友人のようだ。


「ども」


 ぼくは目の前の見知らぬ女子高生たちにかろうじて答えて会釈した。靖菜にいたっては一瞥してからなにも言わずにスマホに視線を落としたが。


「え、ちょっと待って、ちょっと待って。いろいろ話したいことがあるんだけど」


 史音は困ったように旧友とぼくたちとを見比べる。靖菜がなんのアクションも起こさないので、ぼくは女子グループを手で指し、彼女を自由にした。


「ごめん。ほんと、すぐ戻るから!」


 史音は心の底から申し訳なさそうに言った後、自分の荷物とカップを持って席を立った。嘘はついていないのだろう。だが恐らく言うほど『早く』は戻らない。引きこもっていないころの姉の買い物についていったときに同じことを言われて、数時間待ちぼうけをくらった経験がそう告げている。

 そして、史音がいなくなったあとに出来上がったのは、靖菜との――ぼくを殺そうとした女の子との二人きりの気まずい空間だった。

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