3章

第12話 感謝の意を表します


「前回までの『ドラマフリーでお願いします』は」


 小学5年生のぼくは、リビングでテレビを占拠する姉を恨めし気に見ている。


「姉ちゃん。ぼく、今日はサッカーが見たいって言ったじゃん」


 テレビには姉が好きな海外ドラマが映されている。画面の中の緑のフードを被ったヒーローが、


「お前は街を汚した」


 と言いながら上等なビジネススーツを着た悪人をボコボコに殴り飛ばしている。ぼくはこのドラマが嫌いだった。あらすじでいつも同じ内容を繰り返し見せられるし、登場人物は概ね利己的で、見ていて楽しくない。

 専門学生の姉は、ソファに寝ころんでテレビを見ている。ぼくの方へは一瞥もくれず、画面の中のロビンフッドみたいなヒーロー、もしくは彼を演じている俳優に夢中だ。


「サッカーなら、明日の朝のニュースで結果が分かるでしょ」

「試合の中身だって見たいんだよ」

「あんたサッカーなんかやってなかったでしょ」

「でも学校で友達と話したいし」


 ぼくが何を言っても、姉はリビングのソファから1ミリだって動かなかった。


「就職したら時間とれなくなるし、見させなさいよ」


 ぼくにだって都合があるのに。そう言っても無駄なので、ぼくはわざと大きな足音を立てながら部屋に戻る。


 大馬鹿野郎だ。過去に戻って、このクソガキを殴り飛ばしてやりたい。


 シーンが変わる。


 仙台のアーケードから外れた路地。人だかりの中から背の小さい少女が駆けてくる。その少女――靖菜は両手で顔を覆っていた。


「靖菜ちゃん待ってー!」


 靖菜とぼくに起きた異常事態に気づいた史音。彼女は靖菜のすぐ横に並んで、早足で人だかりから離れようとする靖菜の顔を覗き込む。


「靖菜ちゃん、なにがあったの?!」

「……あった」

「やっぱり千昭くんから怖いことされた? 嫌なこと言われた? あ、もしかしてえっちなこと? 許せないね!」

「違う、違うの」


 赤ん坊とぼくがいた所からだいぶ離れた後、靖菜は覆っていた手を降ろした。


「そんな顔して、そんなに悲しいことあったの?」


 心配げに顔を覗き込む史音。靖菜が首を横に振る。涙がこぼれおちる。


「違うから――涙が止まらないの」


 シーンが変わる。


 薄暗い部屋。姉の部屋かと思ったが違う。ぼくには見覚えのない部屋。

 不気味な闇のなか、光が灯る。スマホの画面。萩野先生の吊られた遺体が映った画面だ。それを見る誰かがうっとりと、満足そうに息をつく。


 部屋の中にもうひとつ光が灯る。テレビの画面だ。夕方6時の地方ニュースが映っている。


『本日午後4時頃、仙台市青葉区一番町にあるマンションの5階から、9か月の乳児が転落する事故がありました。乳児は通りがかった市内の高校に通う、高校生二人が救助。救助された乳児は命に別状はなく、大きなケガはないとのことです』


 視聴者投稿の縦画面の映像がテレビに映る。赤ん坊をキャッチする、ぼくと靖菜が画面の中にいた。


「へぇ。彼らは」


 スマホを見ていた誰かが嬉しそうに独りごちる。


「良い素材になるな」


 ◆


 ぼくは自室で飛び起きる。スマホのアラームがぼくに起床の時間を告げていた。


 アラームを止める。寒い。


 カーテンの隙間から4月半ばの朝日がぼくを照らしたが、悪寒と冷や汗が止まらない。


 なんだ? 今ぼくは何を見た?


 今まで、自分と繋がりの強い人の過去は何度も視た。姉のもそうだし、仲の良い友達のも。そして、ぼくを殺そうとする靖菜のことも。だから、今朝の『あらすじ』に姉と靖菜がいても不思議じゃない。


 でも最後のシーンにいたのが誰か分からない。ぼくの知らない人間と言う可能性はある。ぼくに強い感情を――殺意を抱いていた靖菜の過去を見ず知らずの状態で視れたのだから。


 問題は『あらすじ』の中の誰かが、先生の死体と、ぼくと靖菜を見て不穏なことを言っていることだ。


 なぜ、どんな理由で、どういう意味で言ったんだ?


 もしかして、ぼくが視たのは――


「千昭ー! そろそろ降りてきなさい!」


 母親の声でぼくは我に返って、時計を見る。7時15分。もう少し早めに起きる予定だったのが、だいぶオーバーしている。いや、起きたが混乱していて、いつのまにか時間がたっていたのか。


「千昭ー! いい加減にしなさい!」

「起きてる! すぐ降りるから!」


 ぼくは急いで着替え、部屋を出る。姉の部屋の前で一瞬足を止めた後、すぐに階段を駆け下りた。

 リビングでは父と母が上機嫌そうにぼくの起床を待っていた。二人とも普段なら、ぼくより先に朝食を済ませるのに、今日はそうせず、作りたての朝食の前でぼくが来るのを待っていた。


「先に食べててよ」

「まぁ、せっかくだしね」


 母は嬉しそうにぼくのコップに牛乳を注ぐ。


「母さんの言う通りだ」


 父がぼくの近くに目玉焼きのためのソースの容器を置く。普段なら自分でとれって言うのに。


「自慢の息子が警察の世話になる日だしな」


 ぼくは父の言葉を聞いて、思わずトーストを喉に詰まらせた。

 信じがたいが、父の言ったことは事実だ。


 ぼくは今日、警察署に行く。


 ◆


 その日の午前11時。ぼくは警察官の前でガチガチに固まっていた。もっと正確に言えば、宮城県警察署長の前で。


「七北田 千昭どの」


 ぼくは県警内の少し大きめな会議室にいた。ニュースなんかでよくみる『宮城県警』という文字が入ったチェスボードみたいな衝立の前に立ち、恰幅の良い署長のでかい声を一身に浴びている。


「あなたは高所から落下し、命を落としそうになっている乳児を、友人と連携し救助するという的確な対応をされました。尊い命を守る勇気ある行動へ、ここに深く感謝の意を表します」


 警察署長は手元の感謝状の文面を読み上げると、ぼくに両手で差し出す。ぼくも両手で受け取ろうとするのだが、受け取る際に焚かれた大量のフラッシュか、緊張のせいで半ば奪い取るような勢いで感謝状を受け取ってしまった。


 そう。ぼくが一週間前に行った『救出劇』について、警察から大々的にお褒め預かることになったのだ。若い世代が主役の明るいニュースということもあってか、地方局のみならず、全国局のテレビクルーまで来ている。緊張のあまり手と足を同時に出して歩くぼくの醜態を、いくつものレンズが捉えている。


 そしてもちろん、ぼくだけではなく靖菜も感謝されていた。


「旭 靖菜どの」


 靖菜が先ほどのぼくと同じ場所に立ち、同じ文面で讃えられる。しかし、ぼくとは違い彼女は堂々と胸を張って、綺麗な所作で感謝状を受け取り、お辞儀をし、ぼくの隣まで歩く。警察署長がぼくたちの近くに立つと、フラッシュがより強く焚かれ、ぼくは自分の目が焼かれるんじゃないかという錯覚に陥った。


 さらに、マスコミの質疑がくらつくぼくの頭をガンガン叩いてくる。


「赤ちゃんが落ちそうになっているといつ気が付きましたか」

「どうやって助ける方法を思いついたんですか」

「失敗したらどうしようと、不安に思いませんでしたか」


 まずい。非常にまずい。


 彼らが聞いていることは至極真っ当な質問だ。だが、ぼくたちは普通の人みたいに、通りがかりに赤ん坊を助けたわけではない。全部、靖菜の未来予知の賜物だ。

 だけど、そんなことは口が裂けても言えない。警察の聴取に対し、ぼくたちは口裏を合わせて、なんとかやりすごした。だが今回は現場に来た制服警察官に話すのとはわけが違う。大量のカメラと人の目がある環境で、ボロを出してしまうかもしれない恐怖がぼくの口からしどろもどろな言語を吐き出させる。

 そんな情けないぼくとは対照的に、靖菜は笑顔で、かつハキハキとマスコミの質問に答えていた。


「放課後、遊んでいた時に彼が気が付きました」

「着物で助けるアイデアも彼のものです。彼の機転には驚かされました」

「不安には思いませんでした。助ける、ただそのことだけを考えました」


 靖菜の言葉を補足するように、ぼくはうんうんと黙って頷く。


 ぼくが喋れなかったのはもうひとつ理由がある。靖菜の様子に驚いていたのだ。

 

 初めて会った時とも、放送部の部長に挑んだ時とも、ぼくに命を奪うように見えた時とも違う、社交的で、人に好かれそうな姿。

 もしかしたら、これが靖菜の本来の姿なのかもしれない。まっすぐで、物怖じせず、背筋を伸ばす姿が。

 未来を変えられたことで、彼女が本来の強さを取り戻せたなら、喜ばしいことこの上ない。


 だけど、靖菜の表情が輝きを増す度、フラッシュが焚かれる度、ぼくが彼女を殺すかもしれない未来に対しての不安は深く、強くなっていった。

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