第14話 たい焼きとクジラ


 ぼくはぎこちない歩き方で靖菜と並んで警察署を出た。警察署に面した大通りには麗らかな春の日差しが注がれ、街路樹につく葉は目が痛むほど鮮やかな緑に輝いている。しかし、春の美しい街並みとは対照的にぼくの心は晴れない。

 こうなってしまった以上、なんとか靖菜に謝罪の言葉を伝えたい。だけど、どう言葉にすればよいか分からない。許してもらえないのは当然として、そもそも自分を殺すかもしれない男の言葉に耳を貸してもらえない可能性は大いに、いや確実にある。

 そんな状況下で尽くせる言葉なんてあるんだろうか。ぼくがそうやって尻込みしていると、靖菜が飛び出すようにぼくの前に立ちふさがった。ぼくは面食らって思わず半歩下がってしまう。靖菜はぼくをまっすぐ見据えて


「ごめんなさい」


と、頭を深く下げてきた。自分が言うべき言葉を何故か先に言われ、ぼくはなにがなんだか分からずに、バカみたいに口を半開きにしてしまっている。靖菜はそんなぼくの様子を拒絶と捉えたようだった。


「謝って許してもらえないのは分かってる。自分でもあんなことしたのが本当に許せない。でも、ちゃんと気持ちを伝えたくて――」

「ちょちょちょ、待って待って待って」


 ぼくの制止に靖菜は顔を上げて、思いつめたような表情をぼくに向ける。


「私の話、聞きたくないよね。分かってる。本当にごめん」

「そうじゃなくて……なんで謝られてるのか、分かんないんだけど」


 天使が通った、という比喩表現がぴったりの静寂がぼくと靖菜を包んだ。


「……殺そうとしたから。千昭を」

「あー……あーありましたねぇ、そんなことも」


 『救出劇』とその余波のあれこれで、自分が目の前の少女に殺されそうになっていたことをすっかり忘れていた。自分のアホさ具合が恥ずかしくて、顔から湯気が出そうだ。


「いや、あの、そんな気にしなくていいから。結局ぼく、死んでないし」

「でも、あれは立派な殺人未遂だった。それに、お別れ会のあと殴ったことも、ほんとにごめん」

「それを言うならぼくもだ。公衆の面前で靖菜を脅した。きみが傷つくことを知って、酷いことをした。こちらこそごめん」

「あの状況なら、ああ言われてしょうがない。人の命には代えられないし」

「そういってもらえると、助かるよ」


 気まずさと、すこしの気恥ずかしさを覚える。靖菜も同じなのか、はにかんで彼女は首を傾げた。


「おあいこ、にするにはちょっと私の罪の比率が大きいよね」

「そんなことはないよ」


 靖菜が視た未来をぼくたちは変えられた。彼女の態度の軟化も、あの後、ぼくの凶行が避けられた未来を視たからかもしれない。彼女の不安が取り除かれたのなら、ぼくからは、なんの不満も――


「ああ、でもちょっと不満がある」


 靖菜は肩をびくっと震わせたが、ぼくに彼女を脅す意志はなかった。


「もし、またあのクソ先輩を殴る機会があったら、もっと早く殴れ。ぼくが止める前に」


 靖菜は小さくふきだして笑った。ぼくもそれにつられて笑い出す。警察署の近くで笑いあうぼくらは相当おかしいやつらに見えただろうが、ぼくらは笑いを堪えられなかった。


「千昭ってさ、真面目に見えるけど、結構あれなんだね」

「あれってなんだよ、あれって」

「なんか、悪い男っぽいっていうか」

「滅茶苦茶けなしてんじゃん。殺されるのより、そっちの方が傷つくんですけど」

「ごめん」

「今の、全然ごめんて思ってないごめんだろ」

「思ってるって」


 靖菜は不満げな僕を見ながらうーん、と少し唸ったあと言った。


「ねぇ、なにか食べていかない? 今から戻ってもお昼休みの時間、中途半端になるし。今の言葉のお詫びに奢るから」


 ◆


 20分ほど後。ぼくと靖菜は仙台駅にほど近い場所にある、たい焼き屋に来ていた。二人で店先のベンチに腰を下ろすと、駅側からアーケード商店街へ向かう人たちが目に入る。ぼくの手には靖菜に買ってもらった、たい焼きがあった。


「やっぱり、自分の分は払うよ」

「ダメ。千昭は謝ってくれたけど、私のしたことの方がやっぱり悪いし、ちょっとでも罪滅ぼしさせてよ」

「それとこれとは別問題じゃないかなぁ」

「いいから。冷めないうちに食べよ」


 靖菜は自分の分のたい焼きに、小さい口でかぶりついた。ぼくも渋々それに倣って自分の分のたい焼きの頭をかじりとる。瞬間、生地のやわらかさと、小倉あんの優しい甘さが口に広がる。体を撫でる仙台特有の冷たい春の風が、あたたかなたい焼きのおいしさを倍加させていた。

 ぼくは舌鼓を打ちつつ、隣に座る靖菜を横目で見る。彼女は口のまわりについたカスタードクリームを指で拭ってなめとっていた。

 靖菜の仕草を見て、自分の中の煩悩が膨らみそうになるのを感じつつ、もうひとつの懸念が頭をもたげる。ぼくが見た『あらすじ』を靖菜に話すべきかどうかということだ。


 遠藤さんとの会話で気づいたように、ぼくが視た謎の人物は犯人である可能性がある。そして、そいつが見ていた映像には、ぼくだけではなく、靖菜も映っていた。つまり靖菜も犯人に狙われている可能性がある。でも、このことを素直に伝えていいか、ぼくは考えあぐねていた。

 あくまでも犯人かも、という不確定な情報を伝えて、靖菜を不安にさせるのは本意ではない。でも、ぼくがこのことを伝えない事で、靖菜を危険に晒すのはもってのほかだ。ぼくが先ほどと同じく、紡ぐ言葉に苦慮していると、靖菜の声がぼくの意識を引き戻した。


「どうしたの、じっと見て」


 ぼくは思案している内に、ぼくの靖菜への視線は『盗み見』から『ガン見』に変わっていたようだった。そりゃ、彼女だって不思議そうにぼくを見返すだろう。


「えっと、何を言おうとしてたんだっけ……」


 時間稼ぎの言葉を吐きつつ、言い訳を考える。


 指を舐めるの、めちゃくちゃエロイね!――バカ野郎。せっかくリセットできた関係性がマイナスにふりきれるだろ。

 そっちのクリームのやつも美味しそうだね!――食欲の権化か? 奢ってもらったくせに、靖菜のもよこせと言ってる卑しい食いしん坊にしか見えない。

 ごめん、なんとなく見てた――もうただの不審者だ。


 ぼくは思考と視線を必死に巡らせ、ついに救いの糸を見つけ出した。


「そのストラップ綺麗だなって思って」


 ぼくは靖菜が席の横に置いておいていたスマホを指さした。


「ああ、これ?」


 靖菜はスマホを持ってぼくに見えやすいように掲げてくれた。靖菜の手帳型のスマホケースから、5センチくらいの大きさの、全体的に青みがかった透明な直方体がぶら下がっている。直方体の中には小さなクジラのマスコットが入っていた。


「自分で作ったの。なかなか気に入ってるんだ」

「そうなんだ。綺麗でいいね。ダミアン・ハーストみたいでお洒落だし」


 ぼくがそう言った直後、固まった靖菜の表情を見て、ぼくは自分のうかつさを呪った。


 彼女は何と言ってた? 自分で作った、と言ってたんだ。

 オリジナルとして作ったものに「〇〇っぽいね」なんて言われて喜ぶ奴がいるか? いないに決まってる。きっとパクリか何かを指摘されたような気になって、靖菜は大層、気分を害しただろう。ぼくは大慌てで取り繕う言葉を探したが、


「知ってるの?! ダミアン・ハースト!」


 目を輝かせて前のめりになりながらぼくの顔を覗き込む靖菜を見て、ぼくの心配が杞憂に終わったことを知った。


「初めて気づいてもらえた! めっちゃ嬉しい!」

「そ、そっか。もしかしてオマージュみたいな感じで作ったの?」

「うん! 私、ダミアン・ハーストの作品大好きなの!」


 ダミアン・ハースト。イギリスの現代美術家でホルマリン漬けした鮫や牛を輪切りにした作品で有名だ。靖菜はその作品群を模倣したのだ。


「というか千昭、よく知ってるね」

「こう見えて、美術部志望だしね。ぼくから言わせてもらえば、靖菜がそういうのに詳しいほうが意外だったかな」


 少しパンクな見た目の靖菜はバンドでベースとかをやっているほうが似合うような気がして、コンテンポラリーアートに造詣があるのは予想外だった。しかもどぎつい表現のダミアン・ハーストをだ。


「そうかな」

「うん、ダミアンを知った経緯が気になる」


 靖菜はぼくの問いにすこし唸る。姿勢を戻すと、街を行きかう人たちへ視線を向けてから彼女は話し始めた。


「前にちょっと話したけどさ。私、自分の能力を親に話したことあるんだよね。で、まぁ、そうしたら受けさせられるよねケア的なものを」

「悪い、辛い話だったら無理に言わなくていい」

「ううん、そっちが嫌じゃなきゃ聞いてほしいかも」


 ぼくは何度か頷いて話の続きを促した。


「その時に、カウンセラーに受けさせられた療法? っていうのかな。小さい砂場に動物とかの模型を置くみたいなのを受けたんだよね」


 所謂、箱庭療法というやつだ。定められたスペースにミニチュアをどう置くかで、対象の精神状態を診るという心理療法だと聞いたことがある。


「でもさ、やってるうちに、なんか違うなって。私が表現したいのはこれじゃできないなって思って」

「靖菜、芸術家へ覚醒」

「かっこつけて言うなら、そんな感じかも。で、色々調べてたら、ダミアンを見つけて。いいな、これ。じぶんもこういうの作りたいなって思ったんだ」


 失礼ながら、合点がいった。精神的に追い詰められ、生と死の境を彷徨う人に、ダミアンの死を強く連想させる作品は強く胸を打った事だろう。


「まぁ、そんな感じ」

「ありがとう。聞かせてくれて」

「こっちこそ聞いてくれてありがと。千昭は美術部志望って言ってたけど、もしかして絵とかバリバリ書いてる感じ?」

「あーその……」

「写真とかあるなら見せてよ。見てみたいの。同年代の作品は特に」


 靖菜に向けられる期待の眼差しが痛い。でもこればかりは嘘を言ってもしょうがない。ぼくは腹を括った。


「実は、自分から絵を描いたこととか、靖菜みたいに立体物に挑戦とかはしたことないんだ」


 ぼくは靖菜の眼差しから逃げるように、手元のたい焼きに目線を落とした。


「ぼく小学生のころから剣道やってたんだ。高校へ行っても続ける予定だったんだけど――」

「だけど?」

「笑っちゃうんだけどさ。学校の行事で美術館に行ってさ、そこで見た絵がすごく好きになったんだ。なんか、見てると安心できる気がして」


 その時は能力に目覚め始めて間もなく、自分の能力に振り回され心がすさんでいた。だけど額縁に飾られた、髑髏の描かれた荒涼とした絵を見たとき、ぼくの心がとても軽くなったような気がしたのだ。


「自分もこういう風に表現をしてみたら、なんか、自分の訳わかんないものと向き合えるのかなって。そう考えました。はい」


 中学までずっと続けていた剣道をやめてしまうことに抵抗はあった。途中で投げ出したようだったから。でも、


「同じだね、私と」


 顔を上げて見えた靖菜の優しい笑みで、ぼくが抱いていた胸の中のわだかまりと気恥ずかしさは綺麗さっぱり消えてなくなった。


「影響されて、モノづくり初めて。似た者同士じゃん」

「……そうかな」

「そこ拒否るの?」


 悪戯っぽく笑う靖菜の声にぼくの信念は容易に揺らぐ。彼女の声がぼくの脳に届くたび、ドラマフリーな生活が遠のく。


「ねぇ。美術部に入って絵をかいたらさ、絶対見せてね」


 ぼくは胸の高揚感をさとられまいと、口元をきつく結んで頷くのが精いっぱいだった。

 つい数日前まで平坦で、ドラマフリーな生活を目指していたぼく。だけど今はもう、目の前の少女と送る楽しい高校生活の未来予想図が、その目標をどこか遠くへ追いやってしまっていた。

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