第15話 隣に行っていい?


 ぼくは自分で思っていたより、アホでお調子者だった。

 警察署での授与式の翌日。浮かれたままのぼくは靖菜を学食でのランチに誘っていた。


 彼女は快く応じてくれて、二人で注文カウンターに並ぶ。靖菜は壁のメニューを興味深く眺めている。


「学食初めて来た。思ったより色々あって迷うね」

「靖菜は普段お昼はどうしてるの?」

「コンビニのサンドイッチとかかな。カツサンドとか結構好きで食べるよ」

「なら、チキンカツ定食がおすすめだよ。揚げたてを出してくれるし、ご飯の量も調整利かせてくれるから」

「じゃあそれにしようかな。千昭は学食よく来るの?」

「うん。ちょくちょく」


 嘘だ。入学してから二度ほどしか来てない。おすすめメニューもクラスの友人から聞いたものだし、今日は靖菜を誘うためだけに母親に弁当がいらないとまで言ってしまっている。

 だけどぼくの中の『女子にかっこつけたい回路』が変に働いてこの状況を作り出していた。注文を終え、靖菜はチキンカツ定食の小盛りを。ぼくはカレーライスを持って学食のテーブルに向かい合わせで座る。いただきますの直後、靖菜が言う。


「で、話ってなに?」


 ぼくは純粋に靖菜を昼食に誘ったわけではなかった。いや、一緒にまた食事をしたかったのは本当だが。


「実は昨日、話しそびれたことがって」


 ぼくはまだ靖菜に『あらすじ』で見たことを話せていなかった。結局一晩考えて、靖菜には話すことに決めた。靖菜に命の危険がないとは言えない以上、早めに警戒してもらうに越したことはない。それが彼女を不安にさせて嫌われることになったとしてもだ。


「あ、私も丁度話そうとしてたんだ。迷うよね」


 一瞬、靖菜の言ったことが分からなかった。ぼくはまだ何も話していないのに、靖菜はこれからの話が分かるような口ぶりだ。

 だが、すぐ理解できた。というか思い出した。靖菜は未来が視える人なのだ。つまり、ぼくの言いたいことを知っていても不思議ではない。


「話が早くて助かる。迷ったけど、早いほうが良いと思って」

「だよね、3万円って結構な大金だし」


 想像していたのと違うなぁ。ぼくが困惑していると靖菜は怪訝な顔でぼくを見返す。


「話って、商品券の話じゃないの?」

「えっ、あーうん。そう、その話」


 全く違う。だけど靖菜の話の腰を折りたくないので、ぼくのほうが折れた。それはもうバキバキに。


 靖菜が言う商品券とは商店街からのお礼のことだ。

 ぼくはが『救出劇』の際に万引き、というよりはもはや強盗のごとく呉服店から奪った着物は、7桁に近いほどの値が付くものだった。地面とすれ、しわも出来たそれはもう弁償するほかない状態になりはてた。だが呉服店はぼくに賠償を求めることはなかった。それどころか、呉服店も加盟する商店街振興組合は、3万円分の商品券を靖菜とぼく、それぞれにくれたのだ。どうやら『救出劇』を契機に着物と同じ柄の商品が縁起物として飛ぶように売れたり、フェイスマンのせいで遠のいていた客足の回復があったらしい。


「千昭はもう使い道、思いついた?」

「うーん、まだ悩んでる」


 商品券は仙台市内でしか使えないものだ。幸い、活気ある商人の町では使い道がないということはないが、せっかくなら有意義に使いたい。うんうんと二人で唸り、昼食を口に運びつつ、ぼくが思いついたのは


「金券ショップで換金」


 という最悪のアイデアだった。靖菜も流石に顔をしかめる。


「いや、それはちょっと人としてなくない?」

「でも、3万円あったら東京に行けるよ」


 うっ、と靖菜は言葉を詰まらせる。ぼくは昨日学校へ戻る途中での靖菜との会話を思い出す。

 靖菜が好きな芸術家、ダミアン・ハーストの個展が今年の夏に日本で行われる。だけど開催場所は仙台じゃない。東京なのだ。たい焼きを食べ終わった後にそのことを靖菜が愚痴っていたのを、ぼくはしっかり覚えていた。


「新幹線じゃなく深夜バスにすればお金が浮いて一泊できる」

「うぐ」

「そうしたら、ダミアンだけじゃなく他の美術館にもいけるよ」

「うぐぅ……」

「上野の森美術館、MOT、岡本太郎記念館」

「あー! それ以上言わないで!」


 靖菜は耳を塞いで目をぎゅっと閉じる。正義感の強い靖菜に商店街からの善意を金に換える行為は許しがたいことだろう。だが、好きなものを見に行ける誘惑は耐えがたいはずだ。死ぬ間際にルーベンスを求める人間もいるくらい、美術には力があることをぼくは知っている。ぼくは困る靖菜が見たくて意地悪に笑った。


「ほらーせっかくの機会だし、行かないのは損だよー」


 言葉攻めに耐えかねた靖菜はテーブルを拳で叩く。彼女の小さい拳ではそれほど大きい音は鳴らないので驚きはしないが、


「じゃあ共犯になってよ!」


 靖菜の言ったことには驚かざるを得なかった。


「きょう、はん……?」


 靖菜は顔を上気させながら、キッっとぼくを睨む。


「私だけそうしたら、なんか納得いかない。言いだしっぺの千昭も行くの」


 理解が追いつかない。というか、靖菜は自分の言ってることが分かってるのか?


「えっと、じゃあ二人で東京に行くことになるけど」

「じゃないと、意味ないじゃん」


 靖菜は何でもないように言うが、ぼくの心臓は麻痺一歩手前だった。


 同年代の女の子と、二人で旅行だって? しかも共通の趣味がある子と。


 絶対に楽しいに決まってる。断る理由なんて見つかるわけない。

 でも、ここで飛びついたらちょっとキモい気がして、ぼくは咳払いをしてからもったいぶったように口を開く。


「まぁ、靖菜がそうじゃないと行けないって言うなら――」


 最後まで言えなかった。粗野な低い声がぼくの気取ったセリフを遮ったのだ。


「あーここにいたのかァ」


 あまりにもデカくて耳に着く声だったので、ぼくは声のした方を振り返った。そこには丸坊主の背の高い男子生徒が3人いて、彼らはぼくと靖菜の方に大股で近づいていた。この服飾規程の緩い学校でこんなスタイルでいる連中は野球部に他ならない。彼らの中でもひと際、体格の良い男子生徒の名前をぼくは知っていた。


愛宕あたご……楼次ろうじ先輩ですか」

「そっちは七北田と旭ちゃんだろ。よろしくな」


 浅黒い肌の愛宕先輩は座ったぼくたちを見下ろして歯を見せて笑った。


 愛宕 楼次。


 3年生でこの学校の野球部の部長にしてキャプテン。スポーツ特待で入学し、1年にしてレギュラーに選らばれ甲子園へ出場。今は部を再び甲子園出場へ導くことを期待されている野球部のエース。という話を、クラスの友人から聞いていた。ぼくは半ば回答が分かっていながらも、面識のない先輩方に問う。


「えっと、ぼくたちに何か用ですか」

「学校の有名人とは仲良くなっておかなきゃなと思ってな」


 愛宕先輩は顔の横でスマホを振る動作をする。連絡先の交換を求めている。

『救出劇』以後、ぼくは今のように、面識のない生徒からも声をかけられるようになっていた。。断るのも角が立つし、最初に2、3、チャットでやりとりしたら、それ以上の深い付き合いはなくなるので、大抵は受けることにしていた。


「いいですよ、振るやつでいいですか。QRコードのほうが良いですか」


 ぼくがスマホを取り出している間に、愛宕先輩はぼくを素通りし、目の前の靖菜の隣の席にドカっと腰を下ろす。そして馴れ馴れしく靖菜の肩に腕を回した。


「話で聞くより美人じゃん。旭ちゃん」


 愛宕先輩は、彼らが来てから自分の目の前の昼食だけをじっと見ている靖菜に、にやついた顔を近づける。愛宕先輩の取り巻きもそれを似たような表情でそれを見ていた。


 遠藤さんの警告をぼくは思い出す。ぼくたちは目立ち過ぎた。だから変なやつにも目を付けられやすくなっている。そして変な奴っていうのは、なにも高校教師殺人犯だけではない。白昼堂々、異性の友人と食事している女子をナンパする不埒者も含まれる。有名人の靖菜を自分の物にできれば、箔がつくと愛宕先輩は考えているのだろう。


 だとしたら見当違いもいいところだ。靖菜はきっと、この脳みそが性欲でできてるクソ野郎に、いつか放送部の部長を殴った時のように、華麗な掌底でも食らわせるに違いない。さぁ、やっちまえ靖菜! とぼくは心の中で最低な歓声を上げた。けれど、靖菜は先輩に迫られるまま、俯いていた。


「なぁ、旭ちゃん。交換してよ」

「私、家族との連絡にしか使わないんで」


 ぼくは彼女のしおらしい態度が信じられなかったが、愛宕先輩の回した手が、靖菜の胸に触れていることに気づいて思い出した。

 どんなに気が強くて、力があっても、男女問わず痴漢に遭えば声が出せなくなると。


 彼女は今怖がってる。周りはスクールカースト最上位の愛宕先輩に注意なんてしない。つまるところ、この場で靖菜を助けられるのはぼく、ただ一人だ。

 幸い、こういう時にどうすれば彼らの矛先を逸らせるか、ぼくは知っている。ドラマというのは、大抵誰かが余計なことを言ってしまい、トラブルが起きて話が進む。ぼくも姉が見ていたドロドロした恋愛ドラマばりのきついセリフを吐けばいい。

 そんなことをやれば、ぼくはこのスクールカースト最上位の連中から手痛い報復を喰らうだろう。愛宕先輩が卒業するにはあと1年あるし、それまで『標的』にされたら目も当てられない悲惨な学校生活を送ることになることは必至だ。

 息絶えたかに見えた『ドラマフリー思考』が再起する。


 見なかったフリをしろとぼくを誘惑する。

 他人のフリをしてこの場を離れろとぼくを諭す。

 靖菜が助けを求めるように、ぼくを見る。


「先輩たち、ここで油売ってたらまた甲子園いけませんよ」


 ぼくが半笑いで言った言葉の刃は、愛宕先輩と取り巻きの視線をぼくに向けさせるのに充分だった。


「悪い、なんか言ったか」


 愛宕先輩はぼくを威圧するように言った。だ、ぼくも止まるつもりはなかった。


「愛宕先輩が部に入ってから、野球部は弱くなったってみんな言ってますよ。この調子だと、まーた今年も他校が甲子園に行きますね。ほら、あの全員、先輩たちみたいに坊主じゃないのに甲子園に行った学っ――」

「てめぇ!」


 取り巻きのひとりにぼくは胸倉を掴まれた。だが、愛宕先輩がそれを手を上げて制したことですぐに解放された。無論、ぼくの叱咤に心打たれたわけじゃないだろう。


「随分と言ってくれるなぁ、一年」


 愛宕先輩は靖菜から離れ、今度はぼくの隣に座った。恐らくはメンツを傷つけられた仕返しのために。靖菜が不安そうにぼくを見ている。少しでも安心させたくて笑おうとしたが、多分うまく笑えていない。


「そんなに言うなら練習に付き合ってもらわないとな」


 愛宕先輩の手がぼくの胸――ではなくカレー皿に延びる。なんて分かりやすいのだろう。ぼくは息を呑みながらこの後、


『いじめ 相談窓口』


 もしくは


『制服 カレー汚れ 落とし方』


 をスマホで検索しようと心に留めた。


「おお! ここにいたのか! 我が校の英雄たちは!」


 さっきの野球部よりもうるさい声が学食に響いた。ぼくも靖菜も、そして愛宕先輩さえ思わず肩を竦めた。ぼくたちだけではなく、学食中の視線が声のした方に集まる。


「愛宕君! ずいぶんと取材から逃げてくれたじゃないか!」


 放送部の部長、連坊先輩がカメラマンの莉桜を引き連れ学食入り口に立っていた。愛宕先輩は大きく舌打ちをする。


「きみからはドキュメンタリーのため萩野先生への弔意と、それに合わせて甲子園出場への意気込みを聞かせてもらわなければならんのでなぁ!」

「……また今度な、一年」


 愛宕先輩はぼくの耳元で低く囁くと、取り巻きを引き連れてその場を逃げるように、というか逃げた。いじめの現場が録画されるのは正常な危機管理能力を持っていれば避けるだろう。


「あ、待て! きみたちにもまた話を聞きに来るからな!」


 連坊先輩はぼくたちを指さして、野球部を追う。莉桜もしばらくカメラをぼくたちに向けていたが「失礼しました」と言って、その場を後にした。彼らは、とくに連坊先輩は靖菜に殴られそうになったのを忘れたのだろうか。彼らの歪んだジャーナリズムに辟易はする。とはいえ、今日のところは連坊先輩に救われたのは確かだ。今度会った時は2、3言インタビューには応えてやってもいいかもしれない。


 迷惑な連中が去ったところで、ぼくは改めて靖菜に向き合った。彼女は持っていた箸を置いて、肩を震わせていた。

 あいにくぼくは爽快感を売りにしたweb漫画の主人公でも、月曜9時にやってる恋愛ドラマの主人公でもない。だからすぐに声をあげられなくて、愛宕先輩を止められなくて、靖菜を怯えさせてしまった。自分が情けなくて仕方ない。


「大丈夫……なわけないよな」

「……平気」

「ごめん、もっと早く助け船を出せばよかった」

「いい。ありがと」

「何か、ぼくにできることはある?」

「平気。平気だけど」


 靖菜は顔を上げて、潤んだ瞳をぼくに向けた。


「隣に、行っていい?」

「……もちろん」


 靖菜はトレーをぼくの方に押しやってから、ぼくの隣に座り直した。その後は互いに黙って昼食の残りを口に運ぶだけだった。

 靖菜が頼りないぼくの隣に来たがる理由は分からなかった。でも靖菜が良いのであれば、安心できるのなら、ぼくもそれでよかった。

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