第29話 推理とスイートホーム


 仙台駅から仙山線に乗り30分。降りた駅から、赤色の車体が特徴の宮城交通バスに乗りさらに30分。そうやって辿り着いた史音の家は、周囲に田んぼが広がる庭付きの木造平屋建て。武家屋敷のように大きく、そして古風な日本家屋だった。

 古い家特有の広い玄関で、史音のお祖母ちゃんと思しき人が出迎えてくれる。ぼくたちの来訪に驚きつつも、史音が友人を連れてきたことが嬉しいようで、ぼくたち三人は可愛らしいお祖母ちゃんのおしゃべりを聞きながら史音の部屋まで向かった。この間、史音は終始無言だった。


 史音の部屋、学生の個室にしては広すぎる和室には床の間に掛け軸が飾ってあった。部屋の隅にちょここんと学習机と小さいテレビがあり、その存在がこの空間が朝ドラや時代劇のセットではなく、史音の自室であることを控えめに物語っていた。能力でいつの間にかピンク色の和服に着替えていた莉桜が、


「殿。姫は戦が嫌にございます」


 と、古めかしい家とありがちな大河ドラマをネタにしたジョークを飛ばした時も史音は死んだ目でそれを流した。


 ぼくたちは史音が普段使わない大きく、古風なテーブルを協力して設置し、そこに莉桜が放送部から拝借してきた壁新聞用の大きい紙を広げる。


「とりあえず、状況を俯瞰してみよう」


 ぼくの提案に同盟の面々から反対意見はない。ぼくは姉が見ていたサスペンスドラマで見たように、事件とぼくたちに関わりのある人物をそれぞれ少し離して書き出してみた。


 萩野先生 死亡 ナイフによるショックないし頚椎損傷のいずれかで死亡

 愛宕先輩 自殺※クソ野郎

 同盟 大きく丸で囲ってぼくたちの名前を書く

 ぼくと靖菜から線を引っ張り、線の先には『犯人』『?(次回予告の謎の人)』のふたつの付箋を貼っておく。


 萩野先生の死因は莉緒の、愛宕先輩のクソ野郎表記は靖菜の追記だ。

 まずぼくは死してなお憎まれる愛宕先輩を推理のとっかかりにしてみた。


「まず、一番怪しいのは愛宕先輩だ」


 ぼくは『犯人』と『?』の付箋を愛宕先輩のところへ貼り直す。


「彼には過去にも部内でのいじめ経験があった。そのことを萩野先生に相談した生徒もいる。隠蔽のために先生に手をかけた」

「千昭くんをいじめようとしてたのも、自分より目立って気に食わなかったから。だから尾行して、殺そうとしたら、あたしや靖菜ちゃん。それにフェイスマンもいて気が動転して、逃げ出して、そして死んじゃったのかな」

「ありえないと思います」


 流れるようにぼくと史音の推理を否定したのは莉緒だ。彼女は史音のお祖母ちゃんがおやつ代わりに差し入れてくれた漬物をタッパーごと抱えて食べている。その様子を目を細めて見ながら、史音は家に入って初めて莉桜と言葉を交わそうとした。


「えっと……」

「なんですか、史音さん。これは客である自分たちのために出されたものですよ。だから自分たちが食べます」


 自分たちと言いつつ莉桜は漬物を誰かに譲る気はないらしい。まぁ、おやつに漬物という趣味はないからいいのだが。


「史音さん。けっこう図々しい人なんですね」

「莉桜さん。多分、史音は莉桜さんがなんで推理を否定したのかを聞きたいんだと思うよ」


 静かに怒りのボルテージを上げる史音に代わり、発言を促したぼくに莉桜は「ああ、そっち?」みたいに片眉をあげて答えてくれた。


「愛宕先輩のような手合いは自分の手を汚しません。力がある人間が誰かを標的にしたとき、まずは手下を使い自分に被害が及ばないようしますからね」

「私も経験上そう思う」


 能力でいじめと戦おうとした靖菜も莉桜に同調する。この手の問題に向き合ってきた二人が言うのだから蓋然性は高い。付箋を愛宕先輩から外す。


「自分が愛宕先輩なら、事故に見せかけて後輩に千昭さんを殺させますね。萩野先生はレイプして黙らせます。殺す必要もありません」


 でも過激な復讐者のプロファイリングは紙には書かないでおく。


「じゃあさ、殺人犯じゃないにしても、千昭くんの弱みを握ろうとしたんじゃない? 千昭くんの不良的な行動でゆすろうとしたんだよ。大事な証拠だから、確実に情報を得たくて、一人で千昭くんや靖菜ちゃんを尾行して、学校にいるところを撮影しようとしたとか」

「ありえるけど、それを教師なり親に密告したところで『じゃあこれを撮ったきみはなんでそこにいたの?』ってなるよ」


 先ほどの自分で手を下さない、というスクールカースト上位者の行動論とも食い違う。史音が頬杖をついて悩んでいると、靖菜がおもむろにペンを手に取った。


「見方を変えてみたらどうかな」


 靖菜は愛宕先輩の名前に自ら書き足した『クソ野郎』を二重線で消して『ダサいザコ』と書き換えた。


「どゆこと靖菜ちゃん」

「愛宕はいじめとか、部活で成績が残せないこととか『弱み』を持ってた。それを脅しの材料に使われて、誰か、例えば萩野先生殺しの使いっ走りをさせられてたとか」

「そっか! 弱味を握られた愛宕先輩を使って殺人を代行させてたんだ! それなら学校にいたのも説明がつくじゃん! きっと隙を窺って千昭くんも殺させようとしたけど、うまかいかなくて犯人が怖くて自殺しちゃったんだよ!」


 なるほど。愛宕は弱肉強食の行動論には従っていた。だが彼は捕食者側ではなく、披捕食者側にいたという逆の見方か。となると候補は絞られる。弱みを使っても愛宕先輩から報復に遭わない、いち生徒より力のある存在は――


「私は教師陣が怪しいかなって」

「ぼくは学外のライバル高の生徒を考えてた」

「あたしはママ活相手とかだと思う!」


 絞れてなかった。ぼくたちはその後も愛宕先輩を従える存在を推察したが、これといった答えは出なかった。


 ◆


 膠着した会議の空気を壊したのは、タッパーの漬物を全て食べ終わった、塩分過剰摂取気味の莉桜だった。


「ところで、千昭さんと靖菜さんの『あらすじ』と『次回予告』ってどういうものなんですか?」

「そういえば、ちゃんと話したことはなかったね」

「まぁ私たち、知り合って数日だし。莉桜はすぐ逃げたからね」


 靖菜の皮肉交じりの言葉に、莉桜は笑顔を崩していない。多分、言われた言葉の意味を理解してないし、気づかれると面倒なので話を進めることにする。


「AIで再現した動画ならあるけど、見る?」

「ぜひ」


 ぼくは前に作った動画を莉桜に見せる。見終わった莉桜は出されたお茶を啜って言った。


「お二人を見るこの方のセリフ。聞き覚えがあります」

「ほんとに?」

「ええ。千昭さんと靖菜さんも知ってる人ですよ」


 ぼくと靖菜は顔を見合わせた。互いに心当たり無しだ。


「放送部の連坊先輩ですよ。あの方、よく『素材』『素材』ってうるさいので」


 そういえば雨宮先輩も連坊先輩の話をしたときにそんなこと言ってたっけ。


「じゃじゃじゃじゃあ、犯人はしつこったあの人?!」

「それはどうでしょう」


 莉桜は残ったお茶の一滴を飲むべく、舌を出しながら顔の上で湯呑を振る。


「連坊先輩はちょっと変なお人です。部屋を暗くして出来る名プロデューサーのロールプレイを楽しむくらい不思議じゃありません」


 お茶の雫は来客用の座布団にこぼれた。史音も流石に怒るんではと肝を冷やすが、史音ははっと顔をあげてペンを手に取る。


「でもさ、連坊先輩は放送部の部長さんだよね」


 史音は愛宕先輩の名前の上に、女の子らしい丸文字で『れんぼうせんぱい』と書く。


「野球部と違って、実績を残してる部長さんならさ、さっきの推理にもあった『愛宕先輩より力のある人』に当てはまるんじゃないかな」


 締めくくりに王冠を落書き。かなり説得力のある説だ。愛宕先輩が食堂から逃げたのも、これ以上弱みを握られたくなかったからかもしれない。靖菜も納得しているようで小さく何度も頷く。


「あの執拗な取材のスタイルなら、いじめどころかもっと闇の深いネタも引っ張ってそう」

「賭博! ドラッグ! セックス! ですね」


 莉桜さん。今日一番の笑顔でサムアップするきみが、ぼくにはもう分からないよ。


「何を脅迫のネタにしたにせよ、彼が首謀者である可能性は高くなったな」


 ぼくは『連坊部長』から『愛宕先輩』へ。『愛宕先輩』から『萩野先生』へ線を繋げ――ようとしたら、横から莉緒にペンを取られた。


「どうやって殺したか。あとはそれが問題です」


 莉緒は萩野先生の名前の近くにでかでかと『how?』と書き込んだ。


「え? それ考える必要ある?」


 その様子を史音は半笑いで見ていた。


「莉緒ちゃんも見たんでしょ。萩野先生、刃物で刺されて、その上、首を吊って死んでたじゃん。刺し殺した後にぽいって吊るせば終わりじゃん。野球部の愛宕先輩なら、それくらい簡単にできるでしょ」

「これだから暴力の素人は困ります」


 莉桜がやれやれと頭を振ったのを見て、莉桜はむっとした。


「ごめんねぇ~。あたし暴力のプロじゃないから、何が変か分からないんぎゃぁ!」


 史音が叫んだのは、莉桜が彼女の胸を指で突いたからだ。


「ななななな、なにカジュアルにセクハラしてきてんのぉ!? 揉むなら靖菜ちゃんのおっぱいにしてよ! おっきいからぁ!」

「靖菜さんのは大きくて分かりにくいのでダメです。控えめなサイズの胸が必要だったのてお借りしました」

「うぉい! 今さりげなくあたしのこと貧乳ってディスったかぁ?! 出るとこ出るよ!」

「出るとこ出てないじゃないですか」

「きぃーっ!」

「……靖菜。ぼくに、莉桜さんがやったようにしてくれる? あ、指一本だけじゃなく平手でやってみてほしいんだ」

「う、うん」

「コラコラコラー! どさくさに紛れて乳繰り合うなぁ!」


 靖菜は史音のクレームをスルーしてぼくを手刀で突く。ぼくには莉桜の言いたいことが理解できた。


「突いた感じはどうかな?」

「なんか、あったかくて安心する」

「あの……そうじゃなくて、指先の感覚はどうかなって」

「あっ、ごめん」


 靖菜は顔を赤らめながら、強く手を押し込み、


「固い。多分これ骨――」


 はっと気づいて顔を上げた。莉桜が指を鳴らす。


「そう、無理なんです」


 萩野先生の状態を思い出す。彼女は胸に刃物が刺さっていた。血のあとは一筋しか見えなかったから、恐らく刺されたのは一度だけだ。


「人間の胸部は肋骨で強固に守られてます。自分で狙って刺すならともかく、プロの殺し屋でもない人間が一発で骨を避けて他人の胸部を刺すのはかなり難しいかと。自分としてはここが解決しないと、愛宕先輩を実行犯と定めるのに抵抗がありますね」

「愛宕先輩が野球のエースとはいえ、ボールのコントロールと刃物のコントロールは別物だよな」

「仰る通りです千昭さん。偏差値低めの私立高校に、高度な殺人技術で殺された教師。警察が未だに事件を解明できていないのも、この不可解な状況にあると思ます」

「でもさでもさ、不可能を可能にする『能力』があるじゃん!」


 そう、ドラマフリー能力だ。同盟発足当初から犯人が能力者であり、かつフェイスマンだという説はあった。その時の推理は違ったが、形を変えてこの説が再び真実味を帯びてきた。史音は自分のかねてからの考えが合っている可能性が高いからか、熱っぽく語る。


「きっと能力で萩野先生の血液中の鉄分を刃物にして殺したんだよ!」

「それはないんじゃないかな。刃物は外から刺さってたよ」

「じゃあじゃあ、磁力を操ったんだよ! 萩野先生に磁力を与えて、刃物を飛ばして刺した!」

「私がやったときみたいに骨にあたって終わりじゃない? 磁力だけで包丁を制御するのは難しいでしょ」

「うー! じゃあ精密なコントロールができる能力とか!」

「愛宕先輩がそんなものが使えるのであれば、野球に使って大会で結果を出すのでは?」

「にぃーっ!」


 史音は仰向けに倒れた。考えるのをやめたようだ。対して靖菜は何かを考えこんでから手を挙げた。


「靖菜、どうしたの?」

「あのさ。素朴な疑問なんだけど。愛宕先輩が能力者なら、それで脅迫者をどうにかするんじゃない?」


 言われてみればそうだ。それにもうひとつ。


「そもそも、連坊先輩にはないよな。萩野先生を殺す理由」

「そうかなぁ。あの人、泣いてるあたしにもインタビューしてきたじゃん。番組作るためならなんでもしそう」

「だからだよ。連坊先輩は悲しんでる生徒の『生の声』が撮りたくて、あの場にいた。適当に後でインタビューをしない人が、そんなことするとは思えないよ」

「千昭さんのおっしゃる通りです。自分と雨宮先輩、千昭さんのインタビュー撮ったこと報告したら怒られましたもん。『こんな作り物使えるかー』って」


 ぼくの善意が無碍にされたことはともかく、ぼくたちの推理は再び行き詰まってしまった。それからもぽつぽつと推理の断片のようなものは出た。だけど時計の針が午後6時を指すころになっても、犯人はおろか、萩野先生を刺した方法すら導き出すことができなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る