2章
第4話 良い警官と、良い警官
「前回までの『ドラマフリーでお願いします』は」
ぼくの自室。まだ使ってすらいない高校の教科書が置かれた学習机。雑多な漫画と小説がはいった本棚。埃を被った竹刀。大好きな芸術家、ゲルハルト・リヒターが描いた髑髏の絵のポスターが貼ってある壁。ノックの音が聞こえたあと、ドアが開く。小学生のころから使っているベッドに寝ころんだぼくがノックの方へ顔を向けると、余所行きの服を着た母が、部屋の前にいた。
「千昭。お母さん、保護者会に行ってくるから」
「あっ、うん。分かった」
「ごはん、用意してあるから、お父さんと先に食べてて」
「分かった」
「……平気?」
「大丈夫。多分」
母はドアを閉める間も、心配そうにぼくを見ている。
シーンが変わる。ぼくの通う高校の講堂。保護者の海を目の前に、学長、校長、副校長が長机の後ろで横一列に座っている。校長が恐る恐る口を開く。
「まずは、今回の事件に関しまして、生徒と保護者の皆様へ多大なる心配とご迷惑を――」
学校の用意した台本はすぐに保護者たちの怒声で無意味なものになった。
「迷惑で済むか! うちの娘は死体を見て倒れたんだぞ!」
「受験を控える年なのに、なんてことしてくれてるのよ!」
「なんで死体が見えるところに子供たちを誘導したんだ!」
「死体発見時、我々もまだ状況を把握しておれず、警察から現場維持を求められ――」
「警察のせいにするんですか!」
「責任逃れしてんじゃねぇぞ!」
講堂が罵倒で埋め尽くされていく。気の弱いぼくの母は、罵詈雑言の嵐の中、両手で耳を覆った。
シーンが変わる。
「なんでわかんないかぁ、七北田さぁん」
姉を罵倒する女性の上司の声。丸々太っている上司は意地悪そうに眼を細めている。
時系列が飛んだ。かなり前の、姉が会社に勤めていたころの過去だ。いい加減なあらすじの編集。ぼくは混乱する。
「やる気があるならさ、きちんとできると思うんだけど」
「申し訳ありません」
姉はただひたすらに頭を下げる。姉の仕事のミスを上司は延々と責め立てる。姉は悪くない。もとはと言えば、この上司が姉の仕事を妨害したからだ。自分よりも痩せていて、美人な姉が疎ましくて、いじめている。仕事をいい加減に任せ、姉が質問しても回答をはぐらかせ、姉を追い詰めている。
会社で精神をすり減らした姉は、無言のまま夜遅く帰宅する。
「姉ちゃん、お帰り」
階段を上る姉へ声をかける中学時代のぼく。姉は返事をしない。
「姉ちゃんの楽しみにしてたゾンビのドラマ、新しいシーズン来たってね。今夜見るの?」
姉の様子がおかしいことは分かっていた。疲れ切った姉がこんな時間からドラマを見るわけはないことも分かっていた。でもぼくが姉にできることなんて、これくらいしかなかった。仕事以外のことを考えて、少しでも姉に笑顔になって欲しかった。
「もう、どうでもいい」
姉はそう言い残して、自分の部屋に向かう。姉は部屋の中でペン立てにあったカッターナイフを見つける。刃を出すと、それを手首に――
◆
教師が新学期の朝、生徒の目の前で死んだ学校がどうなるか分かるだろうか。
全校集会、緊急の保護者会、学校に詰め寄るマスコミ、安易に取材に応じないようお達しする全校集会、再び保護者会、そして全校集会。生徒のケアを目的とした意味のない集会。
そして授業も一部休止。部活動はごく一部を除いて、全面的に活動停止。こんな状況が一週間続いた。ぼくらは若い先生がいなくなったことを悲しむべきなのだが、それ以上に現状に辟易していた。
なんとか授業は再開したものの、部活動はできないまま。しかも授業の合間にはあるものが挟まるようになった。
警察の事情聴取。
亡くなった萩野先生の去年の受け持ちの生徒や、今年の担当クラスであるぼくらへ聞き取り調査が行われることになったのだ。聴取が始まって三日後、ついにぼくの番が回ってきた。
聴取場所の視聴覚室では、スーツ姿の二人の若い男女の私服警官がぼくを待っていた。てっきり強面の制服警官が来るものと思っていたので肩透かしを食らった気になる。男性警官の方は座っていても分かるほどの高身長とガタイの良さだが、むさくるしい感じはない。爽やかな顔立ちをしていて、威圧感は感じない。女性警官の方はショートボブの小顔の美人で、死んだ萩野先生とそう年齢が変わらないように見えた。まるで金曜日の夜9時にやってる刑事ドラマの登場人物みたいだ。くそっ、またドラマかと、ぼくが勝手に眩暈を起こしていたら、男性警官がぼくに話しかけてきた。
「初めまして、宮城県警の遠藤です。こちらは荒谷」
遠藤と名乗る男性警官が横にいる女性警官を手で指しぼくに紹介する。女性警官――荒谷さんは手元のリストを指でなぞる。
「お話をする前に確認します。1年C組の七北田 千昭さんで間違いないですか」
「はい、相違ないです」
すこし――いや、かなり緊張したぼくに荒谷さんはにっこりと笑いかけた。
「大丈夫だよ。七北田くんたちを疑ってるわけじゃないから。私たちは事件が起きた時にいなかったから、みんなが見たことや感じたことを確認したいだけです」
「まぁ、リラックス……は無理にしても、身構えなくても大丈夫だから」
ぼくは曖昧にうなずき返す。席は警官二人とは向かい合う形ではなく、くの字に並べられていた。対面での威圧感を感じさせないための配慮なのだろう。ぼくが受け答えできそうな状態と彼らは判断し、遠藤さんが質問を始めた。
「きみは亡くなった萩野先生のクラスの子だよね。先生はどんな人だった?」
「そうですね、優しい人に思えました。他の先生より年が近いから悩み事とかよく相談されていたみたいです。ぼくはそういうことはなかったですけど」
「そっか、良い先生だったんだね。先生が亡くなる前後に、何か学校で変わったことはあった」
はい! 面識のない女子に殺されかけ、X-MENみたいな集まりを作ることになりました! おまけにその女子はその日、死体をぼくたちが見ることを分かっていました!
「ない、というか分かりません。入学してまだ日が浅いので」
「そうだよね。大変だと思う」
ぼくの目の前の警官たちが、テレパシーが使える悪の能力者とかではないことは分かった。そして彼らは海外ドラマでよく見るような『良い警官と、悪い警官』でもなかった。二人はぼくを傷つけないよう、怖がらせないように慎重に質問を繰り返していく『良い警官と、良い警官』だった。結果、ぼくへの聴取は五分もかからない内に終わった。
「はい、ありがとう。聞きたいことは以上です」
と、遠藤さんは質問を切り上げる。続いて荒谷さんが警察への連絡先が描かれたカードを差し出してくる。
「なにか気づいたこととか、先生に話せないことはこちらに連絡してください」
カードを受け取りながら、ぼくは質問を切り出した。
「あの……目星とかついてるんですか?」
「目星?」
ぼくの質問に遠藤さんは少しわざとらしく眉を上げる。恐らく次に来る質問を他の生徒から何度も聞かされて、対応がテンプレート化しているのだろう。
「犯人です。先生か、生徒か、それともちょっと前に事件になった仮面の不審者の――」
「フェイスマン」
遠藤さんが口にした、半年前に仙台の街に現れた怪人の通称を聞きぼくは頷く。
「そうです、はい。ああ、その、なんというか、みんな誰があんな酷いことしたのか気になってて」
ぼくの言ったことは間違いではないのだろう。だけどぼくがこの質問をしたのは、史音がドラマフリー同盟のチャットグループで「犯人を私たちのドラマフリー能力で見つけよう!」としつこく催促するからだ。彼らからそれらしいことを聞いて史音に伝え、史音の興味をぼくらから少しでもそらすための悪あがきだ。だが、遠藤さんの口からはそんな重要な情報など出るわけもなく、
「いま、全力を挙げて調査中だよ」
と優しい声音で質問を打ち切られた。遠藤さんは続ける。
「きみたちが安心して勉学に励めるよう、わたしたちも頑張るよ」
ぼくは不躾な質問を詫びつつ、史音からのメッセージがまだ続くことへの憂鬱を抱えながら視聴覚室を後にした。
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