第24話 顔の無い男


 開かれたドアのところには、手のひらに小さな明かりを灯した史音が立っていた。彼女はぼくと靖菜を大きく見開いた目で見下ろしていたかと思うと、


「二人とも、ひ、ひ、ひ」


 その瞳に涙を溜めに溜めて、


「ひどいよぉぉぉぉぉぉ!」


 盛大に泣きだした。あまりにも大きな声で、学校どころか敷地外にすら聞こえてしまいそうな慟哭だったので、ぼくも靖菜も慌てて静かにするよう、人差し指を立てるが史音が泣き止む気配はない。


「お、起きたら靖菜ちゃんいないし! 頑張って暗い廊下を歩いてきたら、二人でえっちなことしてるし!」


 ぼくは首が一回転するんじゃないかというほど振ってみせた。確かに誤解されてもおかしくない状況だったけど靖菜はぼくに『次回予告』の話をしに来ただけだし、この密着は……そう友情的なものだ! 多分! 決して恋愛とは違う! はず!


「いやいやいや! してない! そんなことしてないよ!」

「あたしはフェイスマンに殺されるかもって、すっごく怖いのにぃ! 二人は学校でえっちできたら、あたしのことなんてどうでもいいんだぁ!」


 靖菜も違うと言ってくれ! そう懇願しようとしたとき、靖菜が史音のいる方を怯えた眼差しで見ていることに気がついた。靖菜のただならぬ様子に、ぼくも号泣する史音を凝視する。


「なんだよぉ! 二人してあたしをじっと見てぇ! 見せつけてやろうってことぉ?!」


 まず感じたのは既視感。そして、脳裏に浮かんだのは三日前に靖菜が見せてくれた、史音の映る次回予告。


 背後に暗い通路。手元に光。ジャージ姿の史音。そして――


「史音逃げろ!」「史音逃げて!」


 ぼくと靖菜は同時に叫んだ。が、遅かった。史音の背後には既に何かいた。


「え?」


 史音はふいに、背後を振り返り見る。史音が目にしたのは、自らの背後に立っていた黒ずくめの怪人。顔の無い男。フェイスマンだった。


 「――っ!」


 史音は声にならない叫びをあげた後、自分の置かれた状況にショックを受け、気を失いながら床に倒れた。防災用のヘルメットを被っていたので、大けがはしていないはずだ。フェイスマンは気を失った史音を一瞥すると、彼女を跨ぎ越えてゆっくりとぼくと靖菜の方へ近づいてきた。


 ぼくと靖菜は立ち上がりながら、ぼくは竹刀を。靖菜はタオルケットで隠しながら、リュックの中から『武器』を取り出す。


 後悔が頭の中を渦巻く。よく考えれば『次回予告』で見た風景は学校の廊下に似ていた。史音の格好もヘルメットの有無があるとはいえ『次回予告』の容姿と同じだ。ジャージ姿で学校に来た時に、史音が『次回予告』の状況へ突き進んでいることに気づけたのに。

 それに学校へ泊まることはもちろん誰にも言ってない。だがフェイスマンはピンポイントでぼくたちの目の前に現れた。やはり、三日前にディスカウントショップで感じた視線はフェイスマンで、ぼくたちをずっと尾けていたとしか思えない。未来は分かっていたはずなのに、何もかもが迂闊だった。


「くそっ」


 思わず悪態をつく。こうなった以上、もう『迂闊』ではすまされない。竹刀を持つ手に力が入りそうになるが、懸命にこらえる。余計な力が入ったら、剣は上手く振るえない。靖菜をちらりと見て、頷く代わりに長めに瞬きをする。靖菜も同じく返してくれた。チャンスは一度きり、ぼくは靖菜の『作戦』を成功させるべく、大きく息を吸い、


「キィィィエァァァ!」


 中学の剣道部時代にも出したことのないような猿叫をあげ、竹刀を上段に高く構える。目立つぼくのほうへ、フェイスマンが若干だが顔を動かしたように見えた。その隙を靖菜は見逃さない。


「だぁっ!」


 彼女は隠し持っていた『武器』をフェイスマンのマスク目掛け投げつけた。直後、のっぺらぼうのようなフェイスマンの顔に抽象画のような黒いシミが現れた。

 靖菜が投げつけたのは塗料の入った水風船だ。フェイスマンのマスクがフルフェイスヘルメットの改造品だとしたら、視界は前面のシールドがある部分に限られる。それを隠蔽力の強い黒い塗料で塗りつぶされれば、視界はほぼゼロになるはずだ。


「キェェェェェェ!」


 隙だらけのフェイスマンにぼくは竹刀を構え直し突撃する。狙うは一点。強く踏み込み、渾身の一撃を突き入れ――


「う~~~ん、悪くはない」


 フェイスマンのマスクの奥から、低い声が響いた。嘘だ。こんなことってあるか。


「頭部や四肢。胴体の防備を固めた相手に、打撃が主な攻撃方法の竹刀では力不足だ。となると狙うは防御を固めにくい部位ということになる」


 フェイスマンは驚いているぼくの思考を盗み見たかのように語る。そう、フェイスマンの言う通りだ。でも相手は戦闘の手練れだ。一撃で防具の隙間を縫う、精密な攻撃を加えることはぼくには難しい。だから――


「ゆえに、視界を潰して相手が狼狽えたところを急襲する。仮面の男を相手にするには実に合理的な作戦だ」


 そうだ。靖菜もそう考えた。自分が直接戦うより、援護に入ったほうが勝機が見いだせると。


「そして狙う。防御の薄い喉への打突を」


 そう言ったフェイスマンは、自身の喉元を狙ったぼくの竹刀の先端を握りしめていた。


 ぼくの一撃はフェイスマンに届かなかった。寸前で防がれたのだ。なぜ、どうして。暗がりで視界も塞がれて、なおかつ剣技の中でも防御しづらい突きを、片手だけでなぜ。混乱した頭で握りしめられた竹刀を引っ張り戻そうと試みるが、びくともしない。


「木刀でなく竹刀を持っているということは、剣術ではなく剣道のスタイルで攻撃してくる。面、胴、籠手。それらが有効でないなら、学生剣道家が使える技は突きのみだ。実に分かりやすかったよ」


 背筋に冷たいものが走る。恐怖の原因は戦術が完璧に読まれていたことだけではない。フェイスマンの鏡のようなマスクにぼくの顔が映っているからだ。そんなのありえない。だって、フェイスマンのマスクにはさっきまで塗料がべったり張り付いていたのだ。それが、綺麗さっぱり無くなっている!


「畏れろ、理由の分からぬ暴力に」


 フェイスマンの言葉のあと、ぐんっと、ぼくの体は前につんのめった。竹刀ごとフェイスマンに引っ張られたのだ。まずい。今のぼくは頭をフェイスマンに差し出すような形になっている、このままだと――


 衝撃――頭がぼうっとする。恐らく警棒で頭を殴られた。視界が歪んでくるが――


 痛い! 遅れてきた焼けるような痛みでぼやけた視界が定まってくる。フェイスマンの警棒を持った右手が短く振り上げられている。まずい――


 衝撃、衝撃、衝撃


 痛い。湿ったものが頭を流れる。痛い。血だ。この猛攻を防御しなきゃ。なんとか腕を上げ――


 衝撃、衝撃、胸を突かれた。息が苦しい。痛い。衝撃。こんなに早い連撃、痛い。試合でも、痛い。見たことない。


 こめかみが痛い。顎が痛い。胸が痛い。衝撃。防御している両腕が痛い。


「――!」


 誰かがぼくを呼ぶ声。多分靖菜だ。綺麗な声だ、ずっと聴いていたい。


 ぼくの目の前に、血だらけで怯えきった顔が見える。フェイスマンのマスクに映った、ぼく自身の顔だ。


 そして、警棒を握って固くなったフェイスマンの拳が、ぼくの目の前に――


 ◆


「――っぁぁあああ!」


 靖菜の叫び声で意識を失っていたぼくは目を覚ました。ぼくは床に倒れているようで、ぼくの視界に映るものは全て横倒しに見える。もちろん状況はその逆だ。


 靖菜が叫んでいる。まずい、起きなきゃ。起きて彼女たちを守らないと。


 片手でなんとか上体を持ち上げると、そこには、


「死ねぇぇぇ!」


 フェイスマンに山刀を突き立てようとする靖菜が見えた。


「はははっ! 恐れを知らないかお嬢さん!」


 フェイスマンは靖菜の攻撃を片手だけでいなしたかと思うと、靖菜の腕を掴み、勢いを利用して関節技をかける。痛みで靖菜の顔が歪む。


「っぅぅうう!」

「私は男女平等主義でね。さっきの彼と同じように苦しんでもらう」


 フェイスマンは容赦なく靖菜の腕を折ろうとしている。まずい、とめなきゃ。


「ひゃっへ……」


 顎を強打されたからか上手く喋れない。くそっ! 気合を入れろ! 彼女を守ると約束しただろ! 痛みに耐えろ!

 ぼくは痛みをこらえ、自分の顎をむりやり押し上げる。ゴキリ、という嫌な音とともに口元に正常な感覚が戻った。そして叫ぶ。


「莉桜さん待って!」


 ぼくの言葉にフェイスマンの動きが止まった。


「フェイスマン。いや、莉桜さん。彼女を離してくれ」


 靖菜は苦痛に満ちた表情を浮かべながら、ぼくに怪訝な目を向ける。だが、フェイスマンが拘束を解くと、すぐぼくの傍に這うように来てくれた。


「千昭!」

「大丈夫。ぼくは大丈夫だから」


 靖菜の手を借りながらなんとか立ち上がり、目の前の怪人に対峙する。


「フェイスマン。きみの正体は放送部所属の蛮徒 莉桜さん。でしょ?」


 靖菜はぼくとフェイスマンを何度も見比べる。きっと、ぼくの言ってることが理解できないのだろう。でも、フェイスマンがゆっくりとマスクを取ると、靖菜は息をのみ、ぼくの中の不安は確信に変わった。


「なんで分かったんですか? 千昭さん」


 マスクを脇に抱えたフェイスマン――金髪の少女、放送部の莉桜は瞬きをせず、ぼくのことをじっと見て言った。

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