第32話 前回までの『物語を欲する全ての人たちへ』は


 金曜日の午後11時。ぼくは自分の言葉通り野球部の部室にいた。ロッカーと大量の備品が置かれたこの場所は使われなくてもなお、すえた汗の臭いで満ちている気がした。部室の入り口にはフェイスマンの衣装に身を包んだ莉桜が立っている。


「こちらが本日のスイートルームになります」


 仮面越しに繰り出されたブラックジョークには苦笑いを返してやる。笑えないと言わないのは、ぼくがここにいられるのが莉桜のおかげだからだ。

 先の愛宕先輩の自死の影響で、夜の学校には警備員の巡回がつくようになった。莉桜はここ数日、夜間の学校を見張り、警備員の巡回ルートやクセを覚え、監視カメラにも警備員にも察知されない潜入ルートを考えてくれた。部室棟及び部室への侵入も、莉桜のピッキング――というには荒っぽい、ほぼカギの破壊と言える突破方法を使った。


「莉桜さん、ありがとう」

「どういたしまして。自分はこのまま、見張りの任に就きます。5時ぐらいには起こしに来ますので」

「重ねてありがとう。頼むよ」

「では、よい夢を」


 莉桜が扉を閉めると部室は闇に包まれる。ぼくは背負ったリュックから手探りで荷物を引っ張り出す。前回の潜入時の反省を生かし、寝やすいよう家で埃を被っていた寝袋を持ってきた。リュックの口を大きく開くと、光球が現れる。潜入の直前、史音が灯しておいてくれたものだ。おかげで部室のどこかに体をぶつけることなくぼくは寝袋に潜り込めた。

 寝る前のスマホの明かりはよくないというが気にせず、ぼくは最後にスマホを開いて靖菜とのチャット画面を見る。潜入前のいくつかのやり取りの、末尾の文をぼくは読み直す。


 靖菜<自分でもなんとかしてみるから>

 靖菜<無理、しないでね>


 ああ、そうだな。


 無理してでも過去を視てやる。


 油断すると頭に浮かぶ、この一週間ぼくを化物でも見るかのような目を向けてきた野球部員やその他大勢のことは気にしない。部室に漂う悪臭と埃っぽさも今は気にしない。あらすじを視る度に感じる、姉の孤独と不安も今は気にしない。


 他人の未来に尽くして、今もぼくを気遣ってくれる優しい少女のために。彼女との未来のために、ぼくは過去を視る。


 彼女を――靖菜を救うためなら、ぼくはもう過去を視ることを恐れない。


 ◆


「前回までの『ドラマフリーでお願いします』は……」


 激しいノイズ。そして荘厳なコーラス。


「前回までの『物語を欲する全ての人たちへ』は」


 朝の教室で約束通り萩野先生が僕を待ってくれていた。


「おはよう。どうしたの? 相談事って」

「実は、部活動のことで悩みがあるんです」


 萩野先生は僕の顔を心配そうにのぞき込む。僕は目に涙を溜めて言う。


「でも、上手く言葉にできなくて、口に出すのがつらくて」

「大丈夫。ゆっくりでもいいから教えて?」

「無理です。ほんとに無理なんです。でも、文字なら大丈夫ですから……」


 僕が恐る恐る差し出した便せんを萩野先生は躊躇いなく受け取った。


「読ませてもらうね」


 そして彼女は中身を読むと、


「これ、どういう――」

「やってくれますよね?」


 僕が通学カバンから取り出した包丁とロープを手に取った。


 シーンが変わる


 野球部の部室。練習終わりで人のいない部室で愛宕が僕を待っていた。


「待たせたね」

「おせぇぞ」


 知性の欠片もない彼の態度には辟易するが、こういう人間も僕が救うべき人間に含まれる。救う人間のえり好みは良くないし、ぼくは選民思想の持ち主じゃない。


「一年の七北田ってやつと、いろいろあったって聞いてね」

「『いじめはやめてー』ってか」

「逆だよ。僕も七北田くんみたいなのは苦手なんだ」


 愛宕が僕の意志を察し、下衆な笑みを浮かべる。


「へぇ、じゃあ『仲良く』なるために、みんなで七北田と遊んでやらないとね」

「そうだね、そのための計画もあるんだ。彼はちょっと人に言えない『秘密』があるようでね」


 僕は萩野先生にしたように折り畳んだA4サイズの紙を愛宕に差し出す。


「へえ、流石放送部。情報通だな」


 愛宕はニヤニヤしながら紙を受け取り、書かれた文字を読み取って


「てっきり、クソメガネの腰巾着だと――なんだよ、これ」

「きみのための脚本だよ」


 愛宕の表情が不信感から疑念に。疑念から恐怖に変わっていく。彼は今、思った通りに自分の体が動かないことに気がついているだろう。


「なんだよ、これ、おい! お前なにしたんだよ!?」

「物語を紡いでいるんだよ」


 僕の物語に尽くしてくれる人のために。これから自らの命を使って最高の演出をする者に僕は敬意を払うべく、彼が守るものを告げる。


「物語を欲する全ての人たちのために」


 ◆


 ぼくが目を覚まして間もなく、部室のドアが開かれた。今もなおリュックの中で灯っている史音の光のおかげで、光に慣れたぼくの目は朝日に眩むことなく、迎えに来た莉桜の姿を見ることができた。

 彼女は地元球団が着用するクリムゾンレッドのユニフォームに身を包み、金属バッドを肩に担いでいる。


「おはようございます千昭さん。良い夢は見られましたか」


 いつものように口元だけを吊り上げた笑みの莉桜に、ぼくは寝癖がついた頭をかきながら言う。


「遺憾ながら」


 莉桜の言ったことが言葉通りの意味でないことくらい、寝起きのぼくでも分かる。ようは犯人が分かったか、ぼくの仮説は正しかったか、彼女は聞きたいのだ。ぼくの返事はイエスで、重々しくうなずくことで答えを示した。


「それはそれは。では善は急げですね」


 莉桜は金属バットの先端を床にこすりつける。言葉の綾、というには暴力性が透けて見えすぎている。


「そうだね、莉桜さん」


 莉桜と今まで話していて気づいたことがあった。彼女は一貫して誰かを傷つけることを『壊す』と表現していた。ぼくが『あらすじ』で感じた限り、これは彼女が自分の良心を汚さないための自己防衛の産物――とかではない。

 単純に彼女は周りの人間を『モノ』として見ているのだ。自分の幸せを害する『モノ』がある。だから『壊して』前に進む。


『サイコ』


 安っぽい言い方になるが、莉桜はそういう類の人間だ。ドラマに出てきたら確実に主人公の敵。バズ・ラーマンやアンドリュー・スコットが演じたみたいな悪役だ。

 でも莉桜はそうではなく、あくまでもぼくたちの味方だ。頼もしいことこの上ない。きっとこれからぼくが頼むことも、何の躊躇いもなく実行してくれる、と期待したい。


「莉桜さん、お願いしたいことがあるんだ」

「なんですか千昭さん。焦らさないでくださいよ。靖菜さんはどうか知りませんんが、自分は焦らされるのが嫌いなんです」


 覚悟は決まった。ぼくは着ていたシャツの袖をまくって腕を組み、莉桜のように口だけで笑って見せた。


「壊してほしい人がいるんだ」

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