5章

第33話 罪


 4月28日、夕方。ぼくと靖菜は並んで学校の廊下を歩く。互いに初めて会った時と同じく、目が痛くなるようなオレンジ色の夕日が廊下に連なる窓からあふれ、ぼくたちを刺す。日曜日かつ事件の影響でほぼ全ての部活動が停止されたため、校内に人の気配はない。

 少し――いや、かなり不機嫌そうな靖菜とぼくはやがて目的地にたどり着いた。


 放送室


 職員室の隣に位置するその部屋のドアを靖菜がノックする。間もなく、


「どうぞー入ってー」


 と人懐っこい声が放送室から聞こえた。靖菜が先に入り、ぼくはあとから閉じそうになるドアの隙間に体を滑り込ませて入室する。放送室の内部は編集室とスタジオのふたつに分かれていた。ドアから入ってすぐのエリアが編集室で、パソコンやぼくにはどんな機能があるか想像もつかない、ボタンがたくさんついた機器類が並べてある。その機器類がある壁はガラス張りになっていて、向こう側にあるスタジオエリアの様子が良く見えた。撮影のため窓が無いスタジオは、結構な広さがあり、校内のテレビ放送で使われる背景が立てかけられている。スタジオの中には雨宮先輩がいて、ガラス越しに愛想の良い笑みを浮かべていた。


「二人ともこっちこっち!」


 ぼくたちは言われるがまま、編集室を抜けスタジオに入る。雨宮先輩は手持ちカメラを三脚に取り付けていて、それをスタジオの奥ではなく、ぼくたちが来た編集室側に向けていた。カメラを調整しながら、雨宮先輩は言う。


「約束通り、顧問の先生は遠ざけておいたよ」

「ありがとうございます。お手間をとらせてしまってすいません」


 ぼくの謝罪と会釈を雨宮先輩は手を振って受け取らない。


「いいって、いいって……ところで、そのほっぺのところ、大丈夫?」


 ぼくの左頬に貼られた白く大きい絆創膏を雨宮先輩は指さしている。


「あー……猫にひっかかれまして」


 ぼくは一瞬靖菜の方へ視線を動かす。靖菜は廊下を歩いていた時よりもさらに不機嫌そうで、ジャケットのポケットに手を突っ込んでしかめっ面だ。彼女はその表情にぴったりの低い声を出した。


「彼、バカなんです。助ける必要のない野良猫を助けようとしてこうなったんですから。自業自得です」

「あはは、そうなんだ……」


 雨宮先輩は愛想笑いをしたあと、ぼくたちの間に流れる気まずい空気を打ち払うように手を叩いた。


「で、萩野先生のドキュメンタリーに加えて欲しいって話はなんだい? 撮影はするけど、先生に聞かれたくないってことだし、顔も声も後で編集するから安心して話してほしいんだ」


 雨宮先輩はあくまでぼくたちを気遣ってくれている。ありがたいことだが、ぼくはその好意を足蹴にすることにしていた。


「雨宮先輩ですよね。萩野先生を殺したの」


 沈黙。防音仕様の放送室は耳が痛くなるほど静かになった。時間にしては10秒もたっていないけど、とても長く続いたように感じる静寂。雨宮先輩は困ったように笑って静寂を破る。


「ごめん、その言ってる意味がちょっと分かんなくて」

「それと、愛宕先輩も殺した」

「……あーそういうことか」


 雨宮先輩はひとり納得したように何度も頷いた。


「ドッキリ! でしょ? ったく道士郎のやつ。同じ部員の莉桜だけならいざ知らず、部外の生徒も使ってドッキリをやるなんて。ネタも不謹慎だし、ちょっとやりすぎだ。七北田くん。道士郎のやつはどこにカメラをセットしたんだい?」

「ぼくもあんたと同じように『能力』がある。それであんたが犯人だって分かった」


 首をめぐらせてカメラを探す――フリをしている雨宮先輩が止まった。ぼくは彼が三文芝居を再開する前に追撃する。


「あんたは新学期早々、萩野先生に相談を持ち掛けた。悩みがあるから二人だけで話がしたい、と嘘をついて」


『あらすじ』で視た通り、雨宮先輩は虚偽とも言い難い部活内パワハラを餌に萩野先生をおびき出した。生徒になるべく寄り添うよう心掛けていた萩野先生と二人きりになるのはそう難しくなかったはずだ。


「そして先生を殺した。『能力』を使って」

「……漫画みたいな話だね。ぼくも好きだよあの『なんとかの奇妙な冒険』は。地元が舞台になってるしね」


 吐き気がしてくる。この吐き気は恐怖からじゃない。目の前の相手が自分の邪悪さを稚拙な世間話で誤魔化そうとしている醜悪さに気分が悪くなっているんだ。


「あんたの『能力』はマインドコントロール。正確に言えば『紙に書いた脚本通りに相手を動かす能力』だ。萩野先生を殺した後、あんたはぼくと靖菜。そして愛宕先輩に目を付けた」


 ぼくと靖菜を監視する『あらすじ』を見て以降感じていた視線は恐らく雨宮先輩のものだ。彼はずっとぼくたちを監視していたから、食堂で連坊先輩を呼び寄せたりできた。そして、学校にぼくたちが泊まり込むことも知れたのだ。


「ぼくに一杯食わせる、というネタで愛宕先輩とも野球部の部室で二人きりになり、あんたはまた能力を使った。どんな思惑かは分からないけど、ぼくを追跡するように命じた後、ぼくたちの前で飛び降り自殺を強要させた」

「まるで見てきたかのような言い草だね」

「ああ、まさに視たんだ。ぼくの能力で」


 雨宮先輩は目を伏せでため息をついた。罪を追及され諦観からのものではく、高慢さがにじみ出ているものにぼくは感じた。


「そういう漫画やアニメみたいな能力があったとして。そして僕がその能力を使って人を殺めたとして。きみたちは何故それを僕に聞く。何がしたいんだい」

「それは私たちが聞きたいんです。先輩」


 靖菜はポケットから手を出した。その手は強く握られている。


「思い上がりかもしれませんが私、同年代よりキツい人生を歩んでると思います。そうなったのは私自身にも責任があります。そのせいで人を見殺しにしようとしたこともあります。でも、誰かを自分から殺そうとは思いませんでした」


 靖菜は小さい拳を震わせていた。


「だってそれは間違ってるからです。私はあなたに『あなたのしたこと間違っている』と言いにきました。でも否定する前に、なぜこんなことをしてしまったのかを聞きたいんです」


 そう。結局ぼくは雨宮先輩の殺人の動機までははっきりと知ることができなかった。


「例えばあなたが追い詰められた末にこの凶行に及んだとしたら、私は助けたい。あなたが罪と向き合う手伝いをしたい」


 ぼくは能力で視たものを伝えたとき、靖菜は同じことを同盟のみんなに提案した。もしかしたら、雨宮先輩は誰かに追い詰められ――例えば能力でどうにもできないような悪人に裏で酷いことをされていた、といった事情があれば助けになりたいと。靖菜はやはり優しい人で、彼女がまた誰かを救いたいと願うなら、ぼくはその意思を尊重したかった。


 でもその願いは今回は叶わないだろう。ぼくは雨宮先輩がそういう、無辜の人でないことを『あらすじ』から感じ取っていた。雨宮先輩はポツリと言った


「最近テレビでやってるドラマ、つまらなくないかい?」


 ぼくは、そして靖菜も頷きはしない。世間話みたいな言葉だが、雨宮先輩が内に秘める危うさを靖菜も感じ取ったのだろう。


「それだけじゃない。良い話に見せかけた意味の薄いSNSの嘘の投稿。質の悪い映画や小説に漫画。非科学的な陰謀論。そういったがもたらす共通の害があるんだ。何だと思う、二人とも」

「……ぼくにはあんたの言ってることが分からないよ」

「私も」


 雨宮先輩はスタジオの照明にその憂い顔を照らされていた。


「ずばり、人間の質の低下さ」


 雨宮先輩のえらく範囲の広い主張をぼくは飲み込めない。


「人間が動物と違うところはさ、物語ドラマを必要とするか否かだと僕は考えている。人は食事と同様に、物語を摂取しないと生きていけない生き物なんだ」


 ぼくの脳裏に家のソファで海外ドラマを見ていた姉の姿が浮かんだ。


「だから人は文明や科学よりも先に物語を発展させてきた。宗教なんかがいい例だよ。僕たちの精神の基盤となっているだけはある」


 そう言った雨宮先輩は天井を見上げ、恍惚とした表情を浮かべていたが、すぐに俯き顔を暗くした。


「だが今はどうだろう。さっき言ったみたいな質の悪い物語が世界を覆いつくしている。文明も科学も発達したのに、僕たちが平和を享受できないのは、質の悪い物語が僕たち人類を脅かしているからなんだ!」


 雨宮先輩は熱く語るが、ぼくは逆に背筋に冷たいものを覚えた。


「だから僕は質の良い物語を作る。そしてそれを広めて人々の目を覚まさせたいと考えた。そんな時、女神様が画面越しに僕の前に現れた! 無貌の彼女は僕に物語を紡ぐ『能力』をくださった!」


 無貌の彼女。やはり雨宮先輩もあの混沌とした映像を見たのだ。そしてぼくらと同様、ドラマフリー能力に覚醒したのだ。


「無論、能力だけには頼れない。物語を伝えるには、広める力。メディアの力が必要だ。それだけじゃない、信頼だっている。だから僕はこの二年間、ずっとずっと僕自身の物語を温め、学内での信頼を築いてきた。そしてそれを遂に描いたんだ」


 ぼくは乾いた舌で言葉を吐き出した。不快感と共に。


「萩野先生を殺すのが……日々みんなのために頑張っていた人が死ぬのが正しい物語だって言うんですか」

「違う違う違う!」


 雨宮先輩の顔は醜悪に歪んでぼくを睨みつける。


「萩野先生の死は書き出しにすぎないんだ。彼女の死を経て僕たち生徒は深い悲しみと対峙する。だがその悲しみをそれぞれ乗り越える過程こそが、まさしく正しい質の高い物語になる! 美しい物語は人々の目を覚まさせる!」


 雨宮先輩はころころと表情を変える。今度はぼくに……いや、靖菜に期待するようなまなざしを向けている。


「旭さん。きみは僕を助けたいと言ったね」

「……ええ」

「ならきみにも是非手伝って欲しい! 無論、千昭くんにも! やはり一人で物語を紡ぐのは難しい。千昭くんには僕と同じような能力もあるようだし僕たち全員で力を合わせれば世界を変えることだって夢じゃないぜひきみた」


「「断る」」


 同時の拒否。靖菜は吐き捨てるように続ける。


「人の命を奪っておいて『質の良い物語ドラマを作る』? 『人々の目を覚ます』? 正気じゃない。どんな下衆野郎だって、あんたに比べればマシ。ほんと反吐が出る。おまけに『神様に選ばれた』って……昔、似たようなこと言ってた自分が恥ずかしい」


 かつての自分と重なる部分に対する嫌悪感で、靖菜は雨宮先輩から目を逸らしてなじっている。ぼくは大切な友人をフォローしつつ、目の前のサイコパスを罵倒することにした。


「能力を使って人助けをするならまだいい。でもあんたのやってることは人類の救済でも、ましてや物語ドラマ作りでもない。ただのクズ野郎のオナニーだ。あんたは人も、街も、世界もそして物語ドラマを汚す胸くそ悪い冒涜者だ」


 ぼくたちの口撃に対し、雨宮先輩は酷く落ち着いていた。


「理解してもらえなくて残念……でもないんだ。もうきみたちには役を割り振らせてもらってる。物語の演者に、演技力は求めるけど、脚本の本質を理解してもらおうとまでは望まないよ」

「あんたの能力は見切ってる。薄目でいれば紙に書いた文字なんか読めない。二人がかりなら、そんな状態でもあんたをぶちのめすことはできる」

「部長を殴れなかった分、あんたを殴ることにしてるから」

「あーどうやら誤解してるみたいだ」


 部屋が真っ暗になった。雨宮先輩がリモコンかなにかで照明を操作したのだろう。


「千昭!」

「靖菜! 大丈夫か!?」

「安心して。僕はきみたちに危害は加えない」


 そして光が灯る。動物的本能でぼくのまぶたは光を求めて大きく開かれ、眼球は明るい方を向く。そして文字が視界に飛び込んできた。


『4月28日 七北田 千昭 放送室。落ちているハンマーを拾い、旭 靖菜にゆっくりと近づきハンマーで撲殺』

『同日、放送室。旭 靖菜。七北田 千昭の暴力に抵抗できない。壁に追い詰められ、声を上げる』


 それは、スタジオの背景にプロジェクターを使って投影された文字列だった。


「ぼくの能力は紙だけに限らないんだ。こうやってパソコンで打った文字を見せるだけでも発動する。もっとも、演者の氏名や行動はこんな風に細かく指定しなきゃいけないし、能力を発動する時は対象の近くにいなきゃいけない。面倒この上ないよ」


 雨宮先輩はハンカチで包んだ物体を床に落とした。ハンカチがめくれて中身が見える。それは金属製のハンマーだった。


「どんな物語にも終わりがある。今回はこう締めくくる。『子供を救った男子高校生。裏の顔は人を傷つけることに快楽を覚える異常性癖者。萩野先生を殺したあと、気に入らない野球部の部長を落下死させる。そして最後にその歪んだ欲望を旭さんに向けた。それを放送部に仕掛けられていたカメラが偶然激写。殴打による鈍い死で長く続く旭さんの悲痛な叫びが映る。その映像が決め手で犯人が捕まり事件は解決』……気に入ってもらえたかな」


 バカバカしい。ハッタリだ。ぼくに靖菜を殺す気なんて毛頭ない。もうこのクソ野郎の妄言に付き合うのも飽き飽きしてきた。だからぼくは歩みを進め、身をかがめてハンマーを拾ったあと靖菜の方へ向き直って彼女を殺すべく――あれ?


「え、あ、嘘だろ……体が、勝手に」


 ぼくの体はぼくの意志に反し、ゆっくりと靖菜へ向かう。


「おい、くそくそくそ止まれ止まれ止まれ!」


 叫んでみるけどなんにもならない。ぼくは靖菜のほうを見る。彼女は泣きそうな顔でぼくを見ている。


「ち、千昭……」

「靖菜、逃げろ!」

「無理さ。彼女も僕の能力の影響下だ。逃げられないよ」


 ぼくは精いっぱい叫んで見せる。


「雨宮先輩、頼む止めてくれ! あんたを罵ったことは謝る! だから能力を解除してくれ!」

「いいや! ダメだね! 殺すんだ! 彼女を思いっきり殴り殺せ! ああ、良い素材になるぞぉ!」

「このサイコ野郎!」


 スタジオと編集室を隔てるガラスが鏡のようにぼくの背後を映す。雨宮先輩が歪んだ笑顔のままカメラを起動させぼくたちに向けている。靖菜は安っぽいサスペンスドラマの被害者みたいに、弱々しくあとずさることしかできない。ガラスに背を付け靖菜は自ら追い詰められる。


「千昭。止まって。止まってよ……私の知ってる七北田 千昭はこんなことするような人じゃない……」


 彼女は目に涙を溜めて首を振る。でもぼくは歩みを止められず、彼女を殴り殺せるほどまでの距離に近づいてしまっていた。だらりと下がったぼくの腕の先にはまだハンマーがある。ぼくは叫び、謝る。これからぼくがすることに対して。


「ごめん。ほんとうにごめん!」


 ぼくは靖菜に――


 近づき続けて体を押し付けた。ぼくとガラスで靖菜をサンドイッチみたいに挟んでいる状態だ。ぼくの体は壊れたロボットみたいに歩き続けようとして、靖菜を押しつぶしている。苦しいのか、靖菜は声をあげた。


「んっ……んあっ……」


 悲鳴というより、なんというか、その、喘ぎ声みたいなやつを。


「ごめん、苦しいよな」

「だいじょううっ……平気だかあっ……」


 ぼくが大丈夫じゃない。さっきからその、靖菜の体の女性的で魅力的な――その、一般的な言葉を使えばおっぱいがずっとぼくの体に押し付けられている。彼女の喘ぎ声と合わさって、ぼくの男性的な思考回路が熱暴走していた。


「なにしてるんだ七北田。早く彼女を殺せ!」

「無理なんですよ」「んっ、ひうっ」

「脚本は描いてやっただろ! なのになぜ僕の物語ドラマを演じられない!」

「それはな――」


 ぼくが言いかけた時、スタジオにブツッっというマイクの電源が入る音が響いた。雨宮先輩は驚いたように天井付近に設置されたスピーカーを見たが、音の出所を知るぼくは、彼より早く編集室の方へ視線を向けられた。


『あーあーマイクテス、マイクテス。失礼しまーす。聞こえてますかー?』

「え……きみは道士郎から取材を受けていた――」


 編集室の中で史音が雨宮先輩に向ってひらひらと手を振っている。ぼくたちが喧々諤々やっている間に編集室に忍び込んだ史音は、ガラスの前に備え付けられたマイクでぼくたちに語り掛けた。


『千昭くん、靖菜ちゃん。どう、動けそう?』

「ぼくは無理だ」

「私も無理ぃっ……」


 ふと、みじろぎした靖菜の豊か胸が、ぼくのハンマーをもつ腕にほんの少し、少しだけ触れた。直後、


「つっあぁぁぁ!」


 柔らかい感触とは裏腹に、激痛に襲われたぼくの腕はハンマーを離してしまう。靖菜の命を奪うはずだったハンマーは床にへこみを作った。雨宮先輩の狼狽える声が聞こえる。


「なぜだ、なぜ……」

「いっつう……言い直すぞ、クソ野郎」「あんっ」


 ぼくは靖菜を喘がせながら勝ち誇るように笑ってやった。


「ぼくはあんたの物語ドラマを演じてないんじゃない。演じられないんだ」

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