第6話 ドキュメンタリー
保健室で氷嚢をもらったぼくは、それを顎にあてながら講堂入り口に突っ立っていた。ぼくを保健室まで連れて行ってくれた放送部3年生、
「さっきは本当にごめんね。道士郎のやつ、僕はともかく顧問の言うことも聞かなくてさ。だから、厳しい生活指導の先生を呼ばなきゃいけなかったんだ」
話を聞けば、ぼくに付き添ってくれたこのイケメンで清潔感のある上級生は、放送部の副部長らしい。実績ある部活とそこで生じる軋轢に胃を痛ませる雨宮先輩に、ぼくは曖昧な笑みを浮かべながら頷く。顎に動きが伝わる度、耳の奥がごりごりと音を立てる。ぼくがこんな状態でも取材に応じたのは、この哀れな雨宮副部長への同情心からだった。
「でも、それっぽい映像がワンカットだけでも欲しいんだ。さっきは納得したように見えたけど、多分あとでお別れ会直後の映像がないってごねるだろうから」
「直後、ではないんですけど良いんですか」
「ああ構わないよ。道士郎と違って、ドキュメンタリーは真実を使ったフィクションだっていうのがぼくの持論でね。どうせ編集しちゃうし、あとはぼくが何とか説得すればいい。莉桜、準備は良い?」
雨宮先輩は三脚をつけたカメラのセッティングをしていた金髪ポニーテールの放送部員、
「彼がダメそうです」
と言う。彼、とはぼくのことだ。顎の調子がおかしくて、不自然に口を動かしていたのを見られていたのだろう。雨宮が心配そうにぼくを見てくる。
「喋るのキツそうかい? やっぱりやめておこうか」
「いえ、ちゃんと喋れますから。早く撮りま――」
ぼくが言い終わらないうちに、カメラの向こう側から莉桜が目の前まで近寄ってきた。そして、ぼくが何? と発する前に、
ゴキリ
ぼくの顎を掴んで、力強く動かした。一瞬強い痛みに襲われてびっくりしたが、顎の違和感はなくなっていた。
「どうでしょう」
莉桜がじっとぼくを見て言う。ぼくは間近で顔を見たことで、この少女の異質さに気が付いた。莉桜は髪色と合わさって、史音に負けず劣らず活発そうな第一印象があった。だが、近くで見た莉桜の目にそんなポジティブな感情らしきものは感じられない。その瞳は瞬きもなく大きく見開かれていて、それなのに口は張り付けたような笑みを浮かべているので、そのチグハグ感が莉桜の異様さ、不気味さを際立たせていた。
「う、うん。ありがとう。大丈夫、です」
制服のリボンの色で同じ一年と判別できたが、彼女の雰囲気に思わず敬語になってしまう。莉桜はくるりと振り返ってカメラの方へ戻る。一連の様子を見ていた雨宮副部長は苦笑いを浮かべつつ、またぼくに頭を下げた。きっと莉桜は放送部内でもこんな様子なのだろう。部長と一年がこの様子だと、他の部員も似たようなものかもしれない。爽やかなイケメン副部長の労苦を思うと、強い同情の念を禁じ得ない。
「じゃあ、はじめるね。こちらから質問していくけど、答えたくないことはそう言って。質問したことも含めて、そこはカットするから」
「分かりました」
「じゃあまずひとつめ。亡くなった萩野先生についての印象は?」
「優しそうな人だと思いました」
質問はどんどん続く。雨宮副部長の質問はいたって普通、悪い言い方をすれば凡庸だった。警察の優しい聴取と変わらないような内容で、一般常識を持ち合わせている人間なら、同じ答えが出てきそうなテンプレートだった。望む答えを引き出すという意味では、ある意味マスメディアのインタビューらしいのだろうけど。
「じゃあ、今回の件はフェイスマンがやったと思う?」
つい先日、警察に自分が問うた質問を自分がされたことに驚いて、とっさに答えが出なかった。
今の仙台には怪人がいる。その名は『フェイスマン』。
鏡のようなマスクと黒衣を纏ったそいつは、半年前に仙台に現れ、4か月かけて街の20歳未満の男女十数名を半生半死に追い込んだ。ほぼ死にかけの相手をアーケード商店街の入り口に吊るし上げることまでやった、サイコ中のサイコだ。
そういった惨い暴力を受けた被害者は、怪人の鏡のようなマスクに写る自分の怯えた顔を見ることになる。顔のない、顔を写す怪人。だから怪人は市民の間でいつしか『フェイスマン』と呼ばれ、今や警察もこの名称を使うようになっている。
「分かりません。でもその可能性は大いにありますし、怖いです。まだ彼は捕まってませんし」
警察の必死の捜査も虚しく、フェイスマンは今年1月の犯行を最後に姿を消した。だが、フェイスマンの名前は主な被害者となったぼくらのような若年層と、商業への風評被害を懸念する市商工会にとっては未だに恐怖の対象だった。
「フェイスマンは殺人まではしてなかったけど、犯人の可能性はあると?」
「顔を隠して人を半殺しにするやつです。人を殺しても不思議ではないと思います」
萩野先生はまだ20代で、若者の範疇には入る年齢だ。フェイスマンの標的になってもおかしくはない。雨宮が最後に、と言って、質問を締めくくろうとする。
「犯人がフェイスマンにしろ、そうでないにしろ、犯人に関してはどう思う?」
「早く捕まって欲しいです」
ぼくは莉桜がカメラのモニターから目を離し、ぼくのことを両目でじっと見つめていることに気が付いた。得体のしれない恐怖が背筋を走る中、ぼくはなんとか言葉を紡いだ。
「そして、しかるべき罰を受けて欲しいと思います」
◆
昼休み。取材を終えたぼくは教室に戻る途上、廊下で史音からのメッセージに気づいた。『同盟』のグループではなく、ぼく個人宛のものだった。
しおん<ちあきくん!>
しおん<さっきはごめん!>
しおん<なんか場に合わせていなくなっちゃって>
土下座する猫のスタンプが最後につく。あれはぼくが勝手に出しゃばったことだし、史音にも友達付き合いがある。急に現れてサンドバッグを買ってでる男子に声をかけづらいときもあるだろう。多少むかつくが。
千昭<いいよ別に>
千昭<気にしてないから>
しおん<今度三人で集まって会議をするとき>
しおん<なんか奢るから!>
会議、というのは『能力使って犯人探そう会議』のことだ。まだ行くとは同意してないがそこを追求する前に、いまぼくに負い目があるであろう史音に聞いておきたいことがあった。
千昭<ところで>
千昭<放送部のやつが靖菜に言ってた>
千昭<ハリネズミってなにかわかる?>
既読がつく。が、返信がすぐにこない。かと思ったら史音から通話がかかってきた。そのまま着信にでる。
『あー千昭くんごめんね。なんというか、文章に残したくなくて』
スピーカーの向こうから風の音が聞こえる。ベランダかどこかに出て、一人になってから通話をかけてきたのだろう。ようするに自分が話したことも、話していることも知られたく内容ということだ。
『あたしも放送部に絡まれたあとに友達から聞いたんだけどさ。靖菜ちゃん、中学の時に結構有名人だったらしいの。あたしもうっすら聞いてたのさっき思い出した』
「誰彼構わず、殴りかかるスケ番だったとか?」
『ううん、逆。なんというか、身近で起きる悪いこととか、すごい止めようとする子だったんだって。そのほら……』
中学生の身の回りで起きる悪いこと、なんてたかが知れてる。
「いじめか」
『うん、そう。それだけじゃなくて、先生が生徒にほら、なんというか、えっちなことしようとするのも、止めようとしたりとかもしてたんだって』
「それ、絶対にいい結果にならなかったろ」
史音のため息が聞こえた。
『うん。そうみたい』
「当然だ」
大人が間に入ってもこの手の問題は綺麗に解決しないのに、ましてや子供が口をはさんだところで、良い結果にはならないだろう。
『最終的には靖菜ちゃんもいじめられるようになって、周りも庇ってくれなくて。で、その時に言われた名前が『ハリネズミ』。ほら、靖菜ちゃんちっちゃいじゃん。なのにトゲトゲしてるから、そう言われちゃって』
胸の中にどす黒いなにかが渦巻く。それは、彼女の行きついた結果が自業自得だと思う利己的なものと、そんな自分を嫌う自己嫌悪の矛盾した感情が混ざったものだった。
『それで、最終的に頭がおかしくなって「未来が視える」って親に言って、それで入院することになって――』
「それは違うだろ!」
『ひょえっ。急におっきい声出さないでよ。怖いよぉ』
「ご、ごめん」
なんでこんなに怒っているのか自分でも理由が分からず、ぼくは頭をかきむしった。
『もう。でも千昭くんの言う通り、靖菜ちゃんはおかしくなったわけじゃない。靖菜ちゃんは本当に超能力者で、しかも今は一人じゃない。同じドラマフリー能力者のあたしたちが彼女の理解者になってあげなきゃ!』
「靖菜は理解してもらいたいようには見えなかったけど」
『こーんな経験すれば、他人を警戒しちゃうよ! 犯人探しもするけど、あたしたちが楽しく学校生活を過ごすっていう、同盟の理念は忘れてないからね。じゃ、放課後、空けといてね! 約束だよ!』
「おい、待て、ぼくはそんなことやるなんて一言も――」
通話が無情にも切れた。憂鬱で、やれやれ、と言う気すら起きない。ぼくは天井を見上げどうやって放課後に史音から逃れるか考えを巡らせた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます