第30話 愛人宅へ乗りこんで離婚成立 🚗



 数日のち、タイは通信社の記者や自分の秘書と三人で愛人・清寿の家を急襲する。質素な部屋には見覚えのある食卓や置物、人形が並んでいてタイの目を刺激した。「あんたねえ、世話になっていながら、よくもまあいけしゃあしゃあと子どもまで」「すみません。でも、好きなものは好きで、わたしもどうしようもなかったんです」


「ふん、腫れたの惚れたの若者ならまだしも、いい歳した男と女が、けがらわしい」「お父さん……あ、小堀はとてもやさしくて、とくに子どもには、いいお父さんで」いわゆる修羅場だったが、清寿はそれきり黙ってしまって、なんと言っても梃子でも動かないので、痛憤に駆られたタイは骨だけに痩せた膝を思いきり小突いてやる。



      *



 帰宅したタイは小堀を正座させたまま何時間も清寿の悪口を言いつづける。男は女の短所をあげつらわれると、意外に簡単に気持ちが離れるものと思いこんでいた。三か月後、読売新聞社社長の仲介によりふたりはようやく和解する。母子を養わなければならない小堀には特別にベルリン支局長の席が与えられ、特派員として赴任する。


 その赴任先へもタイは手紙を書いて「清寿は子どもをわたしに渡すと言っている、家を建ててやる代わりに三十万円を渡したい、ついては」として補助金を要求した。手切れ金を妻に全額頼るわけにもいかないので、苦労して金を集めて日本へ送ると、折り返し「あなたが希望していたとおり解放してあげることにした」と返信が来る。


 うぬ、そういうことか。おれに金を出させるだけ出させておき、はい、お役御免です、さようなら、そういうシナリオを書きやがったな、あの女のやりそうなことだ。小堀は初めてタイの真意に気づいた。以後「娘の養育費を月に五千円送るつもりだ」「あなたの姪の養女には倍の一万円を要求する」泥仕合が果てしなく展開される。



      *



 昭和三十年八月、小堀とタイは正式に離婚する。一年の任務を終えてベルリンから帰国した小堀は空港でカメラのフラッシュに囲まれる。むろんタイのリークだった。記者連中にはノーコメントで通した小堀があとで「卑怯じゃないか」と抗議すると、タイは「あなたみたいな人は社会的制裁を受けるべきですから」と言ってのける。


「それにしても節目節目でマスコミを味方につけようなんて、やり方がきたないぞ」

「どの口がそれを言いますか。妻に働かせた金を愛人に貢いでいたひとが図々しい」

「だからこうしてあやまっているじゃないか。いつまで詫びさせれば気が済むんだ」

「やったほうは忘れてもやられたほうは忘れませんから。生涯詫びつづけなさい」


 私生活が荒れると、二人三脚の作品も荒れた。金食い虫の小堀に要求されるままの乱筆の癖が抜けきらず、良識のある読者からは顰蹙を買うような乱暴な雑文を書く。売れる大衆小説を書くよう小堀に勧められたときは曖昧な苦笑でごまかしていたが、その必要がなくなっても、いったん荒れた筆を元へもどすことは容易ではなかった。


 宇野千代との交流はつづいていて、千代の店でたびたび着物を誂えたり、千代が『おはん』で女流文学賞を受賞したときは、大いに喜んで祝いに駆けつけたりした。むかし、荒畑寒村とともに虎三にタイの批判を吹きこんだことへの恨みを忘れたわけではなかったが、いまは文壇のポジション的に上の立場であるから鷹揚でいられる。




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