第28話 因縁の作家・林芙美子との永訣&失恋 👜



 旧来の友人、林芙美子から連絡があって久しぶりに再会したのはこのころのこと。宇野千代とは交流がつづいていながらなぜか疎遠になっていた旧友は懐かしかった。ふたりで食事をして貧乏時代の思い出をあれこれ語り合い「ねえ、あなたもこれだけの作家になったんだから一緒にフランスに旅行しないこと?」と誘われたりした。


 それからわずか一週間後に急逝した芙美子の葬儀に駆けつけたタイは、友人として弔辞を読み、ふたりの思い出を語って「ありがとう、さようなら」で締めくくった。しばらくして、世界ペン大会への出席のためのフランス渡航が迫ったころ、くだんの青年から結婚の決意を告げられたタイは、帰宅後、夫の小堀の前で取り乱して泣く。


 三か月間の滞仏の前にひと目会っておきたいと青年の勤務先に電話をかけ、青年がすでに休暇をとっており、結婚式はタイが日本を発つ予定の翌日であることを知る。結婚は自分の意志ではなく母親の意向に添うだけと言っていた、そんな義理がらみの結婚をさせるわけにはいかないと思い詰め、人妻としてあり得ない手紙を認める。


 だが、自身が離婚していない身で結婚して欲しいとは言えないと思い直し、小堀に離婚を迫ると、例によって顔を殴られたが、それでかえってさっぱりした。家政婦に青年の会社に手紙を届けさせ、すぐに返事をもらって来るように命じたが行き違いになったものの、ビザの受け取りに大使館に出向いた帰路、たまたま青年と遭遇する。


 上気して言い募る年上のタイをなだめながら美青年は「手紙はたいへんよく書いてありました。今後は友だちとして交際しましょう」そうさわやかに告げて立ち去る。あはは、みごとに一本取られたわ。年下の彼の方が一枚も二枚も上手だったなんて、タイ姐さんも恋の前にはからっきしっていうところだね。ますます気に入ったわ。



      *



 小堀からは青年に手紙を書くなと言われていたがさっそく旅先で書いた。青年からも返信が届いたので、タイは帰国土産にと美青年とその妻にフランスの服を買った。

「決してあなたの家庭を壊そうという気はないのです、友としてのレターですから」

「承知しております。ゆえに、ぼくはワイフにもあなたからの手紙を見せています」


「そうしていただければありがたいですわ。本当に友人としての手紙なのですから」

「ですよね。なので、今後も海外の匂いのするレターを夫婦で楽しみにしています」

失恋の傷みに鬱々として弾まない三か月をパリで過ごしたタイは小堀に高級腕時計、養女や同居の姪、秘書や家政婦にも土産を買って、想い人の待たない日本に帰った。



      *



 渡航中のタイのもうひとつの心配は、事業の才がないことは証明済みなのに性懲りもなく雑誌の創刊を企てている小堀に、留守中に金を持ち出されることだった。日本にいるときでさえ年がら年中の金の無心で(あとから思えば大半が清寿母子に流れていたのだが)事情を知っている秘書や家政婦にも眉をしかめられていた小堀である。


 自分の目がないのをいいことにやりたい放題ではないかと恐れ、秘書には、預けた通帳と印鑑を決して夫に渡さないように厳命し、金目のものの管理も頼んでおいた。果たして、帰国したタイを小堀は表向きでは労わってはみせたが、秘書や家政婦の話によると、外泊が多く、留守中の生活費として預けておいた金も持ち出されていた。


 タイのいないところできわどい冗談を言ったり、通りすがりに身体にさわったり、秘書や家政婦が入ったトイレのすぐあとに入ったりなど、気色のわるい小堀だった。

そんなヒモ亭主にうんざりしていた使用人たちは、ことあるごとにそれとなくタイに忠告したので、さすがのタイも小堀の本性に気づかないわけにはいかなくなった。


 そう思ってみれば、パチンコで取って来た調味料やビスケットがいつの間にか持ち出されているし、あろうことか、留守中に無断で土地家屋が抵当に入れられていた。あんなに反対した雑誌の発刊も悠々と行われていた。もはやこれまでと肚を決めたタイは、結婚当初、軽はずみにも夫名義にしておいた不動産を自分名義に書き換える。


 一方でそんな家庭の不満を解消する貴重な時間を、例の美青年との逢瀬に求める。

といっても食事を共にし他愛ないことを話すだけの淡いつきあいだったが、それでもよかったのだ、すれっからしのような自分のなかにのこしている乙女チックな部分を愉しんでいたのだから。相手はだれでもよかったのだ、好みのタイプでさえあれば。




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