第27話 美青年の英語家庭教師にぽっと上気する 🧑‍🦰



 作家活動がますます盛んになったタイは英会話マスターの必要性を感じる。国際的な会議にいちいち通訳つきでは埒があかないと痛感し、伝手をたどって家庭教師に頼んだのが日英混血のずば抜けた美青年だった。ドイツ語につづいて英語も堪能になりたいと野心的な小堀も参加を申し出たので、夫婦で美しい青年の生徒になる。


 がしかし、ここでまたイケメン好みのタイの性癖が顔をのぞかせることになった。女ならだれでも惚れてしまうような美青年を前に舞い上がらないわけがなかった。

「まあ、なんて美しい人なの。わたし、これまで生きて来てはじめての経験だわ」「男のおれでも惹かれるんだから、ハーフの形成美にはかなわないよな日本人は」


「わたしだけじゃないわよ、秘書も家政婦も養女も、女はみんな彼にぞっこんよ」

「おい、大丈夫か、またしてもあんたのわるい虫が動き出すんじゃないだろうな」

夕食付きの契約をいいことに、受講後に出す食事は日ごとに豪華に傾いていったし、青年の誕生日には、編み物上手の知人に頼んだ靴下を半ダースもプレゼントする。


 夫の自分には一度も示したことがない愛情の限りを目の前で繰り広げられ、小堀は呆れるよりタイという稀な人間の心のあり方、行動様式に目を瞠る思いだった。天真爛漫といえばいえるこの女は、世間一般の尺度では推し量れないなにかを持っている。所詮、自分の掌でころがされるような器じゃなかったんだ。おれも辛いよな。


 

     *



 小娘のように恥じらう妻の痴態に呆れながら小堀は嫉妬するふりをしてみせたり、わざと講義をボイコットしてすねてみせたりしたが、タイは素直に「ええ、好きよ」この時点ではまだ小堀と清寿の仲を疑っていなかったので、夫に遠慮しつつも青年を好きと思う気持ちはどうにもならず、ときめく恋の責め苦に煩悶するタイであった。


 そういうタイのなかには、これまで妻の身で一家の大黒柱として世間の荒波にさらされて来たんだから、このくらいの心の贅沢は許されていいはずという思いもある。青年のために自ら魔法瓶を下げて新宿のレストランのコキールを求めに行こうとするタイに「人の目に立つことはやめろ」と叱った小堀と、タイは正面からぶつかる。


「おい、いい加減にしろ。いままでおれが大目に見てやったのが分からないのか」

「わたしが稼いだ金をどう使おうと勝手じゃないの。悔しかったら真似なさいよ」

「聞いたふうなことを言うな。おれのサポートなしじゃ、なにもできないくせに」

「サポートが聞いて呆れるわ。いったいあんたがいくら入れてくれたの? え?」


 小心な小堀はスキャンダルの波が自分に降りかかることをひたすら恐れていたが、ある小説のモデル問題で女性代議士に訴えられてもタイはひるまず堂々としていた。名誉を傷つけられたって先方はおっしゃるけど、あくまでわたしの書くものは小説、フィクションですよ。ならば、どの頁のどこの部分が事実なのかをお示しください。


 

      *



 このころのタイは相次ぐ単行本の出版、読売新聞社新生活運動委員の委嘱、複数の文学賞の選者などで多忙を極め、押しも押されもせぬ人気作家になっていた。自分はとっくに英語の勉強をやめておきながら青年との仲ばかりうるさく言う小堀に飽いたタイは、自らの財力にモノを言わせて、新宿柏木に偽名でアパートを借りる。


 青年の趣味に合わせて熱帯魚の水槽も誂えたその部屋で、タイは歳の離れた青年とふたりの時間を持った。といってもむろんのことプラトニックな片恋だったが……相手の青年の気持ちというものをタイは考えてみようもしなかった。うっかり本音を聞き出してうろたえるくらいならば、このまま夢見る乙女でいたほうがずっといい。




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