第26話 ひとつ屋根の下で夫&家政婦の秘密の世界 🦠 



 そんなことは露知らないタイは相変わらず小堀を一人前にしようと懸命で、気の乗らない仕事も進んで引き受け、小堀の言うがまま政治活動の資金につかわせた。小金がたまったので円地文子の旧宅を買い取って引っ越すと、小堀は贅沢だと不平を言いながらも満更でもなさそうなので、資産の一部を小堀の名義にして機嫌を取ったり。


「この家はあなたと共同の名義にしておくわね。そのほうがなにかと便利でしょう」

「ふん……まあ、いいけど。おれから望んだわけじゃないことを忘れんでくれよな」

「ほほ、もちろんよ。あ、それから有価証券の一部もあなたの名義にしておくわよ」

「ほう、株とかそういうものかい。いつの間にブルジョアになり……ま、いいけど」


 なぜそうまでしてと自分を振り返ると、決して好きなタイプではなかった小堀への妻としての愛情は、療養中のタイを支えてくれた献身によって静かに育まれていた。それに多くの稼ぎがあれば当然のことだが、外で活動すれば自ずから毀誉褒貶のつきまとう身を無条件で受け入れてくれる家庭を大事にしないわけにはいかなかった。



      *



 そんなタイの裏をかくようにして、薪割り所作の凛々しさに惹かれた小堀は清寿に迫っていた。もともとの女好きが表に現われたに過ぎなかったかも知れないが……。自分は百戦錬磨なのに夫を疑ってみることもしなかったタイは、まんまと騙される。ふたりが同時に留守にしても、小堀が清寿の部屋から出て来るところを目撃しても。


「あなた、またお姉さんが暇をくれと言ってるの。このごろしょっちゅうなのよね」

「まあ、いいじゃないか。ひとりになって気を抜きたいときだってあるだろうから」

「お姉さんの部屋でなにをしていたの? 電球がきれたと言っていたから、それ?」

「そうさ。いくら家政婦でも女の手が届かないところもあるから助けてやったのさ」


 養女から「おかあさんがお仕事で出かけると、決まってお姉さんも出かけるの」と訴えられても毛筋ほども疑おうとしなかったのは、作家として怠慢と言えば言える。身体は痩せているのに腹だけどんどんせり出して来る病気といえば腹膜炎だろうか。そう考えていたが、交替の年輩の家政婦から清寿の妊娠を示唆されて初めて気づく。


「まあ、奥さまの呑気でいらっしゃることったら。どこからどう見ても身重ですよ」

「子どもを産んだことがある身で迂闊だったわ。いずれにしてもおめでたいことね」

「悪阻はなかったのでしょうか。同じ屋根の下に住んでいて、よくまあ隠し……」

「わたしがいけないのよ、仕事にかまけて家のことはあとまわしにしていたからね」



      *



 使用人に対して言葉は丁寧だが芯から信用していない点、動物を可愛がるのに残酷な一面もある点、そんな苛烈な性格を熟知していた清寿はタイをひどく恐れていた。小堀は小堀で、タイの小説に自分のことを書かれる苦痛が耐えがたくなっているときだったので、ふたりは話し合って子どもが幼稚園に通うまで秘密を守ることにする。


 清寿の世話を知人の下宿に頼んだ小堀は、その費用の捻出に追われるようになる。といっても集金先はタイで、自費出版だのチラシの印刷費用だのの口実をつくった。「なあ、頼むよ、この原稿を本にして信用をつければ、おれだってひと旗やふた旗」

「それはそうだけど、額があまりにも……印刷会社にぼられているんじゃないの?」


「今度は別の印刷屋に替えたから、かなり安く刷れそうだよ、つぎの大会のチラシ」

「これで安いの? わたしには相場が分からないけど、こうたびたびではちょっと」いまだに事情を知らされていないタイもそうそう甘い顔をしていられないので、小堀が厚かましく一歩も退かない押しの態度で無心するたび夫婦げんかが繰り返された。




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