第29話 離婚騒動と夫の隠し子の発覚 🎒



 かくて小堀への不信がとことん行き着いたタイに、同居継続の選択はなかった。

「いますぐ出て行って」と命じる妻に鞄ひとつで家を出た夫は清寿母子宅に向かう。昭和二十八年、四十八歳のタイは、婦人タイムズ社社長や婦人少年問題審議会会長、翌年には売春問題対策協議会委員に就いたので、別居は秘密にする必要があった。


 小堀が出版社の担当と会うなど、どうしてもタイの家でなければ済まない状況のときはやむなく仮面夫婦を装ったが、顔を見るのもいやなタイには堪えがたいことだった。世間体は思いがけないところで、それも夫婦自らの手により荒々しい破綻を遂げる。友人の息子が新婚旅行の途中で挨拶に来るというので小堀はタイの家に行った。


 そのとき間もなく小学校へあがる娘の写真を持参したのは、今日こそ打ち明けようと考えたからだったが、日程がずれたのか、正午まで待っても客はやって来ない。待ちくたびれた小堀は、中途半端な時間を有効に使おうと二階の書斎へ上がってゆき、うしろ向きで執筆しながら振り返ろうともしないタイにおかっぱ頭の写真を見せた。


「いきなりなんですか……どこの子なの、どうしてこんなものをわたしに見せるの」

「……お、おれの子だよ。もうすぐ小学校へあがるんだ。どうだ、可愛いだろう?」

「おれの子って、あ、あんたの?! だ、だれが産んだの? 母親はいったいだれ?!」

「す、すまない。清寿だよ、あいつがこの子の母親だよ。どうか許してやってくれ」


 その後のことをタイは覚えていなかった。「よくもふたりでわたしをあざむいて、そろって恩をあだで返したんだね。人間として最低の仕業じゃないか、許せない!!」相撲のように倒した小堀に馬乗りになって、めちゃめちゃに拳で殴りつけたような、それだけでは足りなくて頓馬な自分が情けなくて、自分の頭も殴ったような……。


 

      *



 遅れてやって来た新婚夫婦をなんとか帰したあと、タイは意表を突く行動に出る。親しくしている朝日新聞の記者に電話をかけ、洗いざらいの顛末をぶちまけたのだ。

「聞いてください、小堀はわたしに働かせておいて、こんなことをしていたんです。ひとつも成功しない事業を盾に、その金をみんな女のところへ運んでいたんですよ」


「子どもが学齢に達するのでやっと戸籍をつくる気になった、そういう男なんです。罪もない子を無責任に放っておいたなんて、まるで、わたしが……」(´;ω;`)ウゥゥ昭和二十九年二月二十二日の夕刊社会面のトップを五十三歳の小堀甚二と四十九歳の平林たい子夫妻の離婚スキャンダルが大きな写真入りで報じられることになった。



      *



 このとき記者がウラトリした知人の談話がまっぷたつに割れたことは皮肉だった。タイ派の坪井繁治は作家・たい子のテイシュ孝行を讃えて、今後の活躍を励ました。一方、小堀の政党活動の仲間だった荒畑寒村は主義に似合わない保守論を展開して、病床ばかりでなく今日に至るまで小堀は妻に尽くしてきたはずと全面的にかばった。


 本音では女性の活躍を疎む進歩的男性の保守性が図らずも吐露されたかたちだったが、世論は後者につき、新聞の人生相談も受け持っていたタイへの風当たりは強かった。世間にもみくちゃにされたタイは遺言状を作成する。有名になったタイに親戚の名乗りをあげる人たちが増えた事実も後押しした。相続人に小堀の名前はなかった。




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