第15話 銚子の合宿での雑魚寝暮らしでまたしても 🐟
銚子合宿を言い出したのは元銚子警察署長の息子の飯田徳太郎だった。親のコネで地元で顔が利くので冬場は貸別荘を安く借りられるし、食品の調達も容易だという。下宿代滞納で追い出されかかっていた坪井繁治、『マヴォ』の矢橋公麿、福田寿夫の四人の男性が参加し、女性はタイひとりと聞かされたが、むしろ幸いと受け留める。
大正十三年の冬、十九歳のタイは便利に使える岡田と一緒に、かつて世話になった診療所に娘アケボノの遺骨(宝だったはずが……)を入れた行李を取りに行ったその足で、本郷白山上の南天堂書店の二階の喫茶店に向かった。その喫茶はアナーキスト詩人たちのたまり場で、タイはここで初めて泥酔状態の林芙美子に引き合わされる。
自分も行くと言い張る岡田から強引に行李をひったくったタイは、これから始まる刺激的な暮らしに思いをめぐらせ、出産経験のない小娘のように浮き浮きしていた。芸術家を気取って珍妙な格好をしている一団はどこへ行っても目を惹いたが、そんなことすらもタイにはおもしろく、自分もいっぱしの作家になったような気分でいた。
だが、だれも金を持っていなかったので合宿生活は初日から行き詰まり、炊事係のタイは毎日海岸へ出かけ、捨てる前の鰯をバケツいっぱい買って来る羽目になった。果たして四人の男たちは学究でも、ひたむきでもなかった。昼間はだらだら過ごし、夜は海岸で無為な石投げに興じているだけだったので、タイの期待は大いに外れる。
*
困惑はそれだけではなかった。布団が足りないのでやむを得ず雑魚寝で隣り合った最年長の坪井繁治が、夜ごと怪しげな行為をしかけて来る。腰を退いてもやめない。
事前に飯田から性病持ちだと聞かされていたので、タイはなんとしても自分の身体を守らなければならず、飯田に相談すると、その晩から、飯田がとなりに寝てくれた。
だが、たちまち飯田もただの雄になりさがり、日を置かずにふたりはそういう仲になったので、途中参加の岡田の嫉妬を煽り、合宿所の雰囲気はとげとげしくなった。このあと親しくなる林芙美子の男たちと同様に飯田もやすやすとヒモに堕して、食い詰めた男たちのため(?!)地元のカフェに住みこんだタイに金をせびりに日参した。
そんな飯田をタイは冷めた目で見ていたが、それでも結婚相手としての認識はあらためず、飯田の知人が経営しているという戸越銀座のカフェに移ることに同意する。店まで送ると言う飯田に嫉妬した岡田が就寝中の飯田に灰皿で殴りかかり、だれにも加勢されずに合宿所を出て行ったとき、タイは重い肩の荷がおりたような気がした。
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だが、戸越銀座のカフェは売春目的の店だったので、当てにしていた前借りもせず引き揚げたふたりは、相談の末に『ダムダム』の同人・野村吉也を頼ることにした。当時、野村の下宿には林芙美子が同居していて、野村は「夜は芙美子が働くカフェに行くから泊まっていい」と言ってくれた。押入には芙美子の原稿用紙などがあった。
「ねえ、いいわ、女給をしながら、書くことはしっかり書いているんだからすてき」
「そうかい? 自己満足で書いたって金になりゃしないんだろう、無駄な足掻きさ」
「そんなことないと思うわよ。希望を育ててさえいれば、いつか芽が出るはずだわ」
「ふん、そうかい。勝手にそう思っていればいい。そのうちにきみも分かるだろう」
タイは芙美子の文才&感性に一目置いていたので、野村の机と並んで置かれている一閑張りの赤い文机を憧憬&羨望の目で見ながらひそかに内なる闘志をかき立てた。芙美子さんほどではないにしても、わたしにもそれなりの文才はあるはず。あの人とは敢えて異なる作風で、わたしはわたしだけのオリジナルな宇宙を拓いてみせるわ。
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