第7話 どちらが誘ったか誘われたかの泥仕合 🎩



 幼くして大人の小説を読み、社会主義活動家たちとのつきあいもあって、目年増&耳年増になっていたタイだが、実体験が伴わないことは先の逸話でも明らかだった。会うたび虎三に口説かれてもその一歩が踏み出せずにいたが、ともに出郷したやえ子の奔放な発展ぶりに憧れてもいたので、ある夜、思いきって足袋屋の階段をのぼる。


 ところが、虎三は自信満々に布団を敷いて寝て待っていた。こういう感情に敏感なタイは侮辱されたような心持ちになり、肩を怒らせていつまでも枕元に座っていた。

「どうしたんだい、そんな顔をして。今日はハナからそのつもりで来たんだろうが」

「そういうわけでは……言っておきますけど、わたし、そんな軽い女じゃないです」


「ふん、分かってる、分かってるってば。だから駄々をこねないでこっちへお出で」

「そんなうまいこと言って、どうせその辺のすぐ転ぶ女と一緒と思っているくせに」

他人が聞いたら噴き出しかねないような押し問答の末に、ふたりはやっと同衾する。知識の分だけ期待も高かったタイの初体験は、ねじ伏せられた屈辱に彩られていた。



      *



 身体の関係さえもってしまえばこっちのものという男の思い上がりは木っ端みじんに打ち砕かれ、男の案に相違してタイはその夜から虎三が疎ましくてならなくなる。あんなことをしておきながら平気な顔で朝飯を食う感覚が卑しく思われてならない。すぐにかっとなり、かと思えば意気消沈する、冷静沈着とは真逆な点もぞっとする。


「ごはんを食べているときにおかしなことするのやめて。ごろつきみたいじゃない」

「いいじゃないか、おれたち、もう他人じゃないんだ。いつなにをしたって平気さ」

「そういうだらだらしたところがいやなの。これでも諏訪人の末裔なんですからね」

「なんだい、いきなり出生なんか出して。諏訪人がどれほどのもんか知らんけどね」


 それにまったくもっていまさらの話だが、周囲の社会主義活動家たちに比べ、虎三は教養がなさ過ぎ、あまりに粗野に過ぎる男だった。一緒にいること、自分のパートナーと思われることが恥ずかしい。自分までこの程度と思われたらたまらない。タイは十八歳の潔癖さで本当はいやがる自分をまんまと蹂躙した男を徹底的に憎悪する。



      *



 ところが、虎三は早くも亭主面でつきまとい、避ければ避けるほどしつこくなる。

 朝、下宿に速達が届いたと思うと、昼は店に現われ、夜は物蔭で待ち伏せている。

 タイが応じないでいると酒を飲んで店に闖入し、殴ったり蹴ったりの乱暴を働く。

 日独協会でも心配して休みをくれ、しばらく身を隠すように取り計らってくれた。


 うまく逃げおおせたと思っていたやさきに、ふたりは街角でばったりと出くわす。虎三の喜ぶまいことか、日傘を持つタイの手を握りしめ、目をつぶって撫でてくる。あんなに毛ぎらいしていたタイは、もちろん振り払って逃げるはずだった。けれど、魔訶不思議なことに、きらえばきらうほど、はげしく虎三を求めている自分を知る。


 とてつもなくいやなような、うれしいような、相反する気持ちを持て余しながら、タイは虎三の言いなりになり、あの記憶も生々しい足袋屋の二階へ導かれて行った。ここから山本虎三という男との腐れ縁が本格的に始まるのだが、男女の関係は結婚を前提とすべきだと考えるタイは、虎三がしきりに勧める同棲には踏みきれずにいた。


 すぐ感情に奔りたがる虎三が別れる気になってくれればと、ボーイフレンドの何某に誘われたと話してみたりしたが、かえって逆効果で、誇張した話は虎三の独占欲をいっそう煽る結果になった。人の女と知っていて手を出すとは社会主義活動家の風上にも置けんぞ、いますぐここに連れて来い!! と息まく虎三を宥めるのに苦労する。


 ただし、このあたりのニュアンスも、後年、文才の乏しさを顧みずに虎三が著したものによれば正反対で「押しかけ女房の気迫で泊まりこんで帰らなかった」とある。あなたを愛していますと体当たりされ、あまりの騒ぎに下宿の隣室の学生から抗議を受けたという……そんなことを書く男も、書かれるタイも、やれやれな話であった。




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