第24話 太平洋戦争下での沈鬱な暮らし 🛩️



 タイの退院は昭和十六年秋で、二階で歩行訓練をさせていた小堀が階下で手伝ってくれているタツに朗報を伝えようとしたときに、真珠湾攻撃のラジオ放送があった。

夫婦の知人が見つけて来てくれた練馬の一軒家に移ると間もなく自分の暮らしも大変なところを支えてくれた次姉のタツが亡くなったので、タイは悲しみにかき暮れる。


 さすがのタイも病気の前のように傲慢ではいられなくなり、自分に尽くしてくれる小堀に対しても、父親への心情と同じような感謝の気持ちを抱くようになっていた。

戦時下の日本で翻訳が成り立つはずがない。小堀は肉体労働者に復帰し、病後のタイは家にあって炊事、洗濯、繕物などに明け暮れる日々がなし崩し的に始まっていた。


 兵士慰問にきわめて積極的な林芙美子をはじめ女性作家の仲間は戦地に派遣されているようだったが、それには敢えて目をつぶり病中の小堀の親身に応えようとした。

「いやねえ時流に乗って。戦地へ一番乗りで菊池寛さんに苦言を呈されたんだって」

「いいじゃないか、ひとはひと、おまえはおまえだ。なにもうらやむことはないよ」


「いいえ、うらやんでなんかいやしないわ。ただみっともないって思っているだけ」

「そんなことは芙美子さんが決めること。他人があれこれあげつらうことはないさ」従来とちがってタイが珍しく家庭的になったことを喜んだ小堀は、仕事仲間から衣料切符を買い取りタイの着物や袋帯を、自分用には羽織用の結城紬を買いこんで来た。


 さっそく夫の羽織を仕立てようとするが、生来の不器用で裁縫が苦手なタイの手にはとうてい負えず、癇癪を起こして「女の仕事はくだらない」と畳に放り出す始末。

一時は自分を納得させるために「家事もこれでなかなか興味深い」と言ってみたが、本音では活字を捨てられず、空襲警報の合い間にもバルザックを読んだりしていた。



      *



 昭和二十年三月の東京大空襲のあと、小堀はタイを諏訪へ疎開させ、月に一、二度は自分も妻の実家で力仕事を手伝った。タイはがんを患う母親の看病に当たったが、東京の小堀のようすも気になり、友だちもいない故郷で勤労奉仕や国民義勇隊に狩り出される苦痛や小堀を厭う母への複雑な思いもあって、戦時下の生活は煮詰まった。


「おっかさん、病気なのにそんなに張りきって奉仕活動をしなくてもいいでしょう」

「あのね、おまえ、家に閉じこもっているより、外へ出たほうが気が晴れるんだよ」

「それはわるうございましたね、わたしが陰気なせいで。せめて小堀を迎えて……」

「あ、その話はご法度だよ。あのひとはどうもいけ好かない。相性がいまひとつね」


 四か月余後の八月十五日、終戦を告げる天皇の詔勅で日本の無条件降伏を知った。誤診と分かった母を朝鮮から帰国した兄に託し、タイはさっそく東京へもどる。妻の帰京に待ったをかけていた小堀は、豊島区千川町の荒畑寒村の家に同居していたが、諏訪からもどって来たタイを迎えた寒村は、自分から進んで家を立ち退いてくれた。


 民主人民連盟を結成し事務責任者になった小堀のため、慢性化した喘息と子宮筋腫に苦しむタイは、自らの体調不良を押して労働争議や賃金問題の講演会に参加する。小堀の渋顔をよそに作家生活も復活の軌道に乗り始め、新設の新日本文学会中央委員に選出されるなど戦時中の停滞をとりもどすべく水を得た魚のような活躍が始まる。




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