第3章 結婚&作家生活スタート

第19話 優男とはタイプの異なる小堀甚二との出会い 🪟



 三角関係の修羅にもみくちゃにされたタイは、雑誌『文芸戦線』に小説を掲載してもらってから親交が深まっていた同誌の編集発行人・山田清三郎の夫人に相談する。

「わたしはもうすっかり自信をなくしました。いっそ、ご紹介いただくほうが……」

「そうね、むしろそのほうがうまくいくこともあるわよね、男女の仲は微妙だから」


「どなたかいい方はおりますかしら。わたしのような面倒な女を受け入れてくれる」

「いいわよ。ちょっと時間をくださる? 知り合いに候補者がいないでもないから」

若い女性にありがちな自信過剰気味なところもあったが、それは身辺に男性のほうが多いからだと気づき始めていたし、決して扱いやすい女ではないとも分かっていた。



      *



 飯田から連絡が来たのはそんな折りだった。友人と諏訪で仕事を始めるので下宿を紹介して欲しいという。あれほどひどい目に遭わされてもタイは縁をきれずにいた。

諏訪へ移る飯田の役に立っておきたいという保険めいた打算的な気持ちもあったが、なによりタイ自身が帰心矢の如しで、寄りつかなかった故郷へ帰りたくなっていた。


 十八から二十一歳の今日までろくに連絡を取っていなかったことがいまさらながら悔やまれる。飯田は急いでいる様子なので、帰省前に下宿の手配を実家に依頼した。脳溢血の父に代わる義兄に依頼したところへ、山田夫人から速達で呼び出しが来る。急いで雑誌社へ出向いてみると、小堀甚二が別室の編集会議に参加しているという。


「あなたも読んでるでしょう『解放』の『或る貯蓄心』とか当誌の『避難線』とか」

「はい、そうですね『避難線』は読みましたが、なんだか尻きれ蜻蛉の印象でした」

「あんなことを……もっともそれくらいでないと、女性の作家にはなれないわよね」

「ごめんなさい。諏訪っ子は生一本で、思ったことを隠しておけないものですから」


 タイの小生意気な返事を意にも介さず、山田夫人は佐々木孝丸、葉山芳樹、林房雄らプロレタリア文学の気鋭連と陽気に談笑している小堀甚二を引き合わせてくれた。

「ここではなんだから」という山田夫人の勧めで近所の喫茶店に出かけたふたりは、さっそく結婚への実務的な話に入る。小堀もタイを結婚相手として見ていたらしい。


「単刀直入にうかがいますが、わたしを妻として食べさせていく力はおありですか」

「もちろんですとも。女房を養えないような男には男を名乗る資格はありませんよ」

「あら、そう……もちろん、わたしは食べさせてもらうつもりはありませんけどね」

「で、あなたはどうです? 自分と一緒になるつもりはありますか、率直に言って」


 会ってすぐではいくらなんでもと思ったし、その前に身体も顔立ちも精悍な小堀は撫で肩の優男に惹かれるタイの好みではなかったが、はいと承諾の返事をしていた。恋愛とちがって結婚は無難な相手の方がうまくいきそうな気がする。妖しくときめいたりしない男の方がパートナーとしては堅実だろうというのが経験則の実感だった。



      *



 それはそれとして、以前からの計画どおり、飯田やその友人たちとふるさと諏訪へ向かったタイは事情があるからと言われ途中下車した駅の宿で飯田とよりをもどす。このあたりがタイの弱点で、ふしだらとか守りがゆるいとかいうのではないと庇ってやりたいが、その場の空気に流されやすいのは女性の性が強い性質のゆえだろうか。


 実家では、家出同然に上京した東京で社会主義活動家やアナーキストと付き合っているタイを世間に顔向けできない不肖のむすめとしていたが、それは表向きだった。病気の父は鶏の骨を二時間も根気よく叩いた骨団子で旨い雑煮をつくってくれたし、ふだん倹約な母親は呉服屋から反物を取り寄せて上等な着物と羽織を誂えてくれた。




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