ラビリンス/小説・平林たい子  🪶

上月くるを

第1話 プロローグ 🪲 



 いまから七十八年前、軍隊とはなんら関わり合いのない老若男女の平穏な朝を原子の大量破壊兵器で木っ端みじんに打ち砕いた関係者たちの本当の気持ちを知りたい。でないと人間としての納得がいかないよねと思いながら目覚めると午前四時で、顔も洗わずパソコンに向かって間もなく、日昇を待ちかねた蝉がにぎやかに鳴き出した。



      *



 日曜日は数十年来行きつけのファミレスデーなので、原爆投下時刻の黙祷を捧げたあと車で数分の店に行くと、連日の酷暑つづきのせいかいつにない混みようだった。店長さんが案内してくれたのは奥まった六人boxだったので、いいの? 目で問うと「問題ないです」目で応えてくれる。こういうときのやり取り、ちょっとうれしい。


 さてと、いつもならさっそく歳時記を開いて、連作俳句にとりかかるところだが、今朝は、昨日、図書館の閉架書棚から出してもらった古い資料を読まねばならない。どういう内容なのか分からないので、少し緊張するのはいつものこと。期待に反してがっかりという場合もままあるので、おそるおそる一九七〇年代の本を開いてみる。


 だいたい書名からして甚だしく時代がかっている。戸田房子著『燃えて生きよ――平林たい子の生涯』(新潮社 一九八二年)って、どんだけ格好をつけたいわけ? けれど、昭和五十七年の時代様相からすればこんなものかな? それにしても当時は裏表紙の前に挟むのがふつうだった貸出カード、ひとりも記名がないよね~。(^-^;



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 無用に落胆しないための布石をあちこち打ちながら最初の頁を読み出すと、あら、 意外とイケてるかも。大仰な書名と裏腹に、乾いて簡潔なセンテンスが小気味いい。きっとこれ版元が決めた書名だろうね、無名な書き手は黙ってうなずくしかなく……出版をめぐる力関係にも思いを馳せながら、にわかに増した親近感のまま読み進む。


 じつを言えば、当初はなぜかブームだという林芙美子さんを書こうと思っていた。だが、古書で求めた資料を読みこみ、年譜まで作成したが、イマイチ気が乗らない。聡明で気風がいい姐御肌で、男性にはきびしいが同性にはやさしくて(笑)母思い。主人公として申し分のない魅力的なキャラなのだが、なんとなく、どこかがちがう。


 で、駆け出しの作家仲間として登場する「たいさん」こと平林たい子さんに気持ちが移った。そうか、流浪といえど林芙美子さんは都会派、わたしとは真逆なんだね。その点、長野県諏訪出身の平林たい子さんはまぎれもない土着派の山出しむすめで、まちがってもシティガールにはなれない、そのことに普遍的な価値も見い出せない。


 申し訳ないけど、こちらに方向転換しようかな。でも、なんだか怖いような感じもするよね、アナーキストや社会運動のイメージが強い「女傑」(大宅壮一評)だし。作品名も『殴る』『施療室にて』だし、なにかの折りに見かけた写真も堅肥りで女性としてはいかつい印象で、泉下といえどへんなことを書いたら叱られそうだし……。



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 そんな思いで読み始めたのが、現在手に入る作家伝としてはほとんど唯一といえる先述の本だったが、晩年、口述筆記をしたという著者の観察眼は鋭くも温かかった。それにそれになんとなんと著者の筆で掘り起こされる作家の人間像が似ているのだ。だれにって……おこがましいけどわたし自身に。だって共感しないと書けないもの。


 たとえば、思い立ったらの行動派、政治社会にも関心が深く、酒も煙草も賭事も長電話まで却下し親しい編集者にも玄関先で帰ってもらう合理主義。せっかちで知識欲が旺盛、にこにこ笑顔の裏に気怠い厭世観を棲まわせ、人がきらいで犬や小鳥、金魚を溺愛。「とかくメダカは群れたがる」なんて方言するので、毀誉褒貶はつきもの。


 努力家&男まさりの女丈夫&呆れるほどの男性遍歴(笑)の三点を除けば、何代か後の遠い縁戚筋? と自分に問いたくなるほど、なにからなにまで、よく似ている。

そっか~、勝手に賽は投げられたわけだよね~。例年にない酷暑だの、長編の執筆は億劫だのの言い訳は通用しない。短文ばかりでなく、たまには紡がなきゃね、小説。



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 ところで、長期戦のつもりでまずこのプロローグを書き始めてみてから「現在手に入る作家伝としてはほとんど唯一」としたのは誤りであることが分かった。いろいろ検索しているうちに群ようこ著『妖精と妖怪のあいだ――平林たい子伝』(文藝春秋 二〇〇五年)に行き着いたので、ふたたび古書を取り寄せて、すぐに拝読してみる。


 随所に引用されている資料のせいかこの著者にしては堅い筆致に見受けられるし、巻末の参考文献に先述の戸田房子さんの著書が見当たらない事実も少し気になるが、いずれにせよ評伝と明記された両著とは立場が異なる小説ゆえ、生業も住居も伴侶も変遷目まぐるしい生涯をどこまで詳細に書くべきか迷いながらのスタートとなった。




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