第4話 一流の女賊になるんだぞ 🛤️
大正七年、両親の反対を押しきって県立諏訪高等女学校を受けたタイはみごと首席で合格する。ライバルの伊東千代子も同校に進学したが、以後の関係は薄れてゆく。折しもアララギ派歌人として名を知られつつあった土屋文明が教頭に赴任して来て、伊藤千代子などはその影響を強く受けるが、タイは短歌には関心が薄かったので。
それより惹かれるのは義兄のロシア文学書類に誘因された小説の読み書きであり、さらにそこから人生の不条理の底流をなす社会問題へと興味の対象をひろげてゆく。国内外の風雲は急を告げ、ロシア革命の勃発、第一次世界大戦の終結など世界情勢の趨勢に導かれた普選運動や労働運動の熱気が信濃の田舎にまで押し寄せて来ていた。
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日本労働運動の源流の相互扶助団体・友愛会を創始した鈴木文治が講演に来諏し、労働者の人間としての権利を訴えたことも多感なタイを刺激する。そんな土壌の萌芽が育まれるなか諏訪高女の良妻賢母教育に不満を抱いていたタイがことのほか感銘を受けたのが炭鉱労働者を描いたエミール・ゾラによる小説『ジェルミナル』だった。
思い立ったら実行に移さずにいられない生来の気質に突き動かされたタイが同書の翻訳者・堺利彦(明治三十六年幸徳秋水と『平民新聞』創刊)に手紙を送ると、田舎の小娘のファンレターに著名な社会運動活動家から返信が来て文通が始まり、四年生の修学旅行のとき単身上京して堺を訪ねようとするが連れもどされて未遂に終わる。
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自ら蒔いた種ではあったが、タイにとっての不幸は堺との交流が知られたことで、働きながらの進学への布石としての定石の代用教員への道が閉ざされたことだった。
「ああ、社会は残酷ね、前途洋々たる乙女の未来に黒い魔手が立ちはだかるなんて」
「もとはと言えばおまえの独断専行が原因だろう。行動する前に相談してくれれば」
「分かったってば。おっかさん、いつまでもくどくどと同じ愚痴を繰り返さないで」
「はいはい、言いませんよ。だけど、もったいないねえ、首席入学のおまえが……」
追い詰められた気持ちでいるとき、母のかつ美が購読していた新聞で東京中央電話局見習交換手の募集広告を見たタイは、これまた独断で応募し、首尾よく採用される。
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大正十一年三月、八方ふさがりの呻吟のなかで諏訪高女の卒業式を迎えたタイは、うわさまみれの故郷から一刻も早く逃れたいというように、その日の晩に上京する。初めての東京への道連れは同じく現状に漠然とした不満を抱く同級のやえ子だった。白樺派への傾倒を強めていた伊藤千代子とは、確実に目指す方向性が異なってゆく。
もはや母のかつ美はなにも言わなかった。首席で入ったのにアカに染まったという風評が立っていたし、いまさらなにを言っても聞き入れるむすめではない。かたや、朝鮮での出稼ぎ状況が芳しくなく、傷心のうちに帰国していた父の三郎は、とりわけ可愛がっていた三女タイの行李を背負い、底冷えのする上諏訪駅まで送ってくれた。
幕藩時代なら「厄介叔父」と理不尽で不名誉な称号に甘んじて、長男一家の世話になるか他家へ婿に行くしか道がなかったその名も三郎という三男は忍従の人だった。やや権高気味な妻のかつ美の機嫌を損じないように控えめに生きて来た男が、列車の窓から顔を出して別れを告げるむすめに発した強いことばは、タイをして驚かせる。
――いいか、たとえ女賊になるにしても、一流の女賊になるんだぞ!!(/・ω・)/
羽の下から飛び立ってゆく雛鳥の未来になにを観たのか、そうまで思いきったことを告げずにいられなかった無学な父に、タイは社会主義運動&文学を志していることは打ち明けられなかった。車窓の向こうで黙って頭を下げるむすめを、野良着を尻端折りした父親は、ぽつねんと独り、寒くて長いホームに立ち尽くして見送っていた。
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