第3話 英才教育の女生徒ふたり 🏫
折りしも大正デモクラシーの真っ盛りで、向こうっ気の強いタイが五年生のとき、長野師範出の若い教師・上条茂が着任して、優秀な児童を選んで英才教育を始めた。大隈重信による『国民小読本』の授業でタイは「社会の世話になって成長する人は、のちそれ以上の寄与をせねば社会の発展を望めない」という信念を植えつけられる。
女子で抜きん出ていたのはタイと伊藤千代子(のち左翼評論家・浅野晃夫人)で、ふたりにその気はなくても、なにかにつけライバルと目され、トップを競わされた。勉強もそうだが、こじんまりとした雛人形のような顔立ちのチヨコと、祖父ゆずりの無骨な顔立ちのタイは、男性教師や男子生徒の目にも格好の比較対象となっていた。
「タイさは男そこのけの体格と迫力ある顔だかんなあ、チヨコさの敵じゃねえずら」
「おおよ、ちびで痩せっぽっちのチヨコさなんぞは、ひじ鉄一発で吹っ飛ぶずらよ」
「なんせおめえ、御柱祭の木遣りを謳いてえつうて、棟梁にかけあったそうだでな」
「なに、女子禁制のお山でか?! どこまで分際を知らぬ女子じゃ、末恐ろしいわ」
*
そうした保守的な風土のなかで、タイは自ら男勝りを演出するようになってゆく。乱読の小説で得た知識を駆使しおぼこな同級生を揶揄うこともそのひとつだったし、六年生さいごの卒業記念写真撮影のとき「さあ、みんな、三国一の顔をするんだよ」大声で叫んで居並ぶ教師たちを驚かせたという逸話も、武勇譚に加えられるだろう。
本当は仲のいい伊藤千代子に文では負けたくないという自負をもっていたタイは、型にはまった文章が推奨される綴り方の時間に「学校はつまらない」と書いて出す。怒った担任教師が「なら来なくていい」と言うと、これ幸いとばかりに通学をやめ、日用雑貨店の店番をしながら難しいロシアの小説を読み耽って一向に飽きなかった。
というのも、ちょうどそのころ、長姉のヒロが隣り村の地主の息子で小学校教師の青年に嫁いだが、その義兄が大の文学好きでロシアの翻訳小説を貸してくれたから。ゴルキー、ドストエフスキー、トルストイ、ツルゲーネフなどの作品をかたはしから読んで感銘を受け、自分も作家になろうとひそかな決意を固めるようになっていた。
さて困ったのは従順な児童を育てたい担任教師だった。生意気な文章を読まされ、ついかっとなって感情を迸らせた自分の浅慮を校長にも報告できず、振り上げた拳の打ち下ろしどころがなくて途方に暮れた。結局、内緒で平林家を家庭訪問し、母親のかつ美の説得でようやくタイが登校を再開してくれたので、ほっと胸をなでおろす。
*
のち、このときのことをかつ美は「小生が至りませんでとあやまる先生に、いえ、こちらこそと返しながらも内心では可笑しくてね。だってそうずらい、たかが十歳やそこらの女子にまんまとしてやられる教師があらすか。お宅のじゃじゃ馬には……と言いたいのを我慢して真っ赤になっていらしたよ、お気の毒に」と語って聞かせる。
「物心ついたころから、この末娘は上のふたりとちがってとてもわたしなんかの手に負えないと思っていたことを証明してみせてくれた、その先生が哀れとも滑稽とも」そう言ってコロコロ笑いころげる母を、そのころには大人になってそれなりの苦労や経験を積んでいたタイは、この人はやっぱりおとっつぁんより豪傑だわと感服した。
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