第12話 寒々しい異国の施療室でひとり出産する 🏥



 同室の女性に励ましてもらいながら、長い陣痛の末に、タイは女の子を出産する。母体の病が影響したのか赤子は産声をあげず、医師に尻を叩かれて、か細く泣いた。脚気の母乳を飲ませないように指示されたので、代わりにミルクやリンゴのしぼり汁を与えたが、すぐ吐いてしまって胃に収まらず、呼吸麻痺を起こして衰弱してゆく。


「どうしたのかしら、わたしの子。ほかの子はみんな元気なのに、なぜこの子だけ」

「おかあさんがそんな弱気でどうします。さあ、しっかりミルクをあげてください」

「でも看護婦さん、いくらも飲まないのにみんな吐いてしまって栄養にならないわ」

「たとえわずかでも入っているかも知れませんよ。さあ、根気よく飲ませてあげて」


 わが子の苦境をどうしてやることもできない産婦は、ベッドで泣くばかりだった。自分勝手で破天荒に生きて来た母親のツケを、みんなこの子が負わされているのだ。ごめんね、ごめんね。タイはわが身を責めて責めて責め抜いた。知人がいない異国の産院で心細く出産する。これほどの罰があろうか。ましてこの子になんの罪も……。



      *



 獄中の虎三に知らせると、すぐ返事が来て「アケボノ」と名づけよと言って来た。

すてきな名前をつけてもらったのに、小さな小さなアケボノは二週間で逝く。教会の人たちが讃美歌をうたってくれるなか、脚気で歩けないタイは両脇を支えてもらいながら中庭に出向き、小さな棺に号泣した。以後「平林アケボノ」の骨壺が宝になる。


「せっかくいい名前をつけてもらったのに、ごめんね、ごめんね、わたしのせいで。こんなに儚く逝かせてしまって、おとっつあんに顔向けできないよ、おっかさんは」

「アケボノちゃん、天国の神さまにいっぱいいっぱい可愛がっておもらい。こっちで不幸だった分だけ幸せになるんだよ。そのうちにおっかさんも行くから待っててね」


 行く当てのないタイを救世軍婦人ホームが引き取ってくれた。体調がもどるまでの期限つき、社会主義活動に関わらず、聖書を読んで礼拝に出席することを約束する。なにもかもあなた任せでしか生きられない現状は、すべていままで自分が仕出かして来た浅慮の結果であると思い知ると、自分が情けなく腹立たしくて仕方がなかった。



      *



 不敬罪で懲役二年の判決を受けた虎三は旅順の刑務所に送られていたが、面会にも行けないタイは、世話になっている施設で無言の圧迫を感じていた。そんなとき一緒に暮らしていた若い母親と幼児が日本へ帰ることが決まったので、一緒に同行させてもらうことになり、その旨を獄中の虎三に知らせてやると、折り返して返信が来る。


「自分だけ残して行くのは非情だ」と頼れる知人の名前を列挙してあったが、試みに当たってみると、案の定、だれもいい顔をしない。好かれない虎三がここにもいた。これまでは状況に流されるまま見て見ぬふりで自分を欺いて来たが、いざというとき決まって周囲に頼る虎三の意気地なさが、タイのなかで大きくふくれ上がっていた。


 故郷を出てから女の自分でも自力で道を拓いて来たのに、男のくせにだらしない。そう思うタイ自身も旧弊から抜け出せずにいたが、この際それは置いておこう。だいたいからして家事は女の役割と信じて疑わず、いやいや洗濯をしているときにタイが自分の足袋も洗わそうとしたことを根にもち尾崎一雄に言いつけたような男である。


 同居している宇野千代がそれを聞き「まあ、なんていう人なの」眉をひそめたことも万人力としてタイが非常識なのだと勝ち誇る……そんなくだらない男だったのだ、自分がとりつかれていたのは。いくら若気の至りといっても、きりというものがあるでしょうよ、タイさん。自分で自分に呆れかえってみて、タイはかえって清々する。



      *



 向こう見ずな恋の熱は冷めるのも早かった。いやとなったらとことんいやになる。全部とは言わないが少なくとも一部の女の性であることを男は痛く思い知ったろう。虎三が言うようにどっちが先に惚れたかなど、この際、どうでもよかった。愛欲の鎖から解かれたタイに、自分がないがしろにされたおぞましさばかりが増幅してゆく。


 苦労を共にした男を異国に置いてけぼりにするのかと言われようがどうしようが、タイは自分がいまこそ人生の重大な岐路に立っていることを冷静に受け留めていた。そもそもあんな男を頼るに足ると一時でも思ったことがまちがいだったのだ。冷静に考えてみれば、破局は最初から分かっていたのだ。いまこそ潮時、別れどきだろう。




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