第2章 恋のもつれと流転の時代

第13話 帰国してからのタイの恋愛遍歴 🗾



 大事な大事な「アケボノの遺骨」を抱いて日本へもどったタイは東京へ直行せず、途中の神戸で列車を降りて、芦屋の高級住宅街に住む元アナーキストの邸を訪ねる。いまは作家として成功している知人は関東大震災後に関西へ移住し、西洋式のバスを誂えた贅沢な生活をしていることを個人誌で知っていたから強引に押しかけたのだ。


「お久しぶり。ねえ、しばらくおいてくれないかしら、なんでもお手伝いするから」

「いきなりそんなこと言われてもなあ……女房に妙に気をまわされても困るしなあ」

「あら、大丈夫よ。わたしってこんなだから、男にはアレだけど女にはアレだから」

「いやあ、そうは言っても年頃の女には変わりないんだから……ほんと弱ったなあ」


 とつぜんやって来たタイに作家はもちろん困惑したが、濡れ雀のようなタイを追い出すわけにもいかず、やっと妻を説得してお手伝いとして住みこむことを応諾する。このあたり、知人から借りた派手な着物をまとい虎三と連れ立って銀行へ押しかけ、暗号でリャクと呼ぶ強請を働いていたころの開き直りの図太さ丸出しのタイだった。



      *



 炊事、洗濯、掃除などの家事をするとき以外は、従前どおり作家と対等に接する。それはタイにとっては当たり前のことだったが、押しかけられた方は果たして……。虎三と別れたことを知った夫婦が伝手をたどっていくつかの縁談を持って来たのも、早く出て行って欲しい一心だったろうが、タイはどれも気に入らないと突っぱねる。


 そうこうするうちに、夫婦の知人に「ちょいと、ねえや」と呼ばれたことにいたくプライドを傷つけられたタイは、わずか十日ほどで芦屋を離れて東京深川へ向かう。診療所の事務をしている知人に宿依頼の手紙を出しておいたが、まだその返事も届かないうちの不意打ちだったので、ここでもタイは当惑顔で迎えられることになった。


 人のいい知人が提供してくれたベッドに寝転がって患者百態を観察しているうちに執筆意欲が刺激され、久しぶりに十五枚の短編小説を書いて雑誌の編集長に送った。自分のなかにこんなに力強い知的な欲求があったことにタイは少なからず驚いたし、自信も湧いて来た。作家として立つこともまんざら夢ではないという気がして来る。



      *

    


 ここからタイの恋or男性遍歴が始まるのだが、それはあとから振り返っての話で、当の本人はそのつど一所懸命で、自分では生真面目に生きているつもりだったろう。診療所を仮住まいにして知人の家々を訪ね歩いているうちに、漫画家・柳瀬正夢宅でタイの縁談が話題にのぼった。虎三とは籍を入れていないので再婚ではなく初婚だ。


 はた目には獄中の虎三を置いて来たばかりなのにそんなに急がなくてもと言いたいところだが、作家を目指すタイは、結婚も同時並行で人生設計の視野に入れていた。作家として立つ自信がなかったというよりも、当時の女性は家庭をもつのが当たり前な生き方とされていたからだろう。しきりに新しがるタイも本音では旧体質だった。


 柳瀬が紹介してくれたのは美術グループ「マヴォ」仲間の前衛画家・高見沢仲太郎(のちの田川水泡)。その画風どおりに突拍子もない生き方がタイの興味を惹いた。会ってすぐ意気投合したふたりは、翌日、柳瀬宅を訪ねて結婚の意志を告げている。驚く柳瀬の忠告も聞かず、タイはさっそく荷物をまとめて高見沢のもとへ出向いた。



      *



 ところが、というよりやっぱりと言うべきか、高見沢の周囲にいる前衛芸術家たちは奇妙奇天烈な男ばかりだった。女装したり、不気味な踊りや歌に熱中したり……。途惑うタイに高見沢が「きみは男を楽しますことを知らない女だね」「きみとは合わないらしい」別れを持ち出したのは、ふたりの同居からわずか半月後のことだった。


 そしてここが一般から見ればおかしなところなのだが、慰謝料代わりにと高見沢は「きみのためになれる男」として岡田龍夫(小柄で、奇妙踊りが得意)を紹介する。そのつもりで会ってみた岡田は高見沢から話が通じていると見え、タイの前で緊張し少年のようにはにかんで赤くなった。タイはまだ女性を知らないらしいと見て取る。




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