第28話 過去を回想する正美
もう泣かない。生きることも、もう投げ出さない。
私は、この子と晶の為だけに生きるんだ。
毎年夏に行われる、市内の花火大会。
私達三人……私と優希と晶だけが知る、花火がよく見える穴場スポット。それは、人気のない草むらの奥にあった。
その場所を見つけたのは私達がまだ小学生……確か五年生頃だったような気がする。私が見つけたんだ。
虫に刺されそうだから嫌だと渋った優希に、それならと携帯用の虫除けと虫刺されの薬を取り出し笑った晶。
ほんとに懐かしい。今思い返しても、あの頃が一番楽しかった。でも、生きている限り心と体の変化は止められない。
私が最後に来たのは、高校一年生の時だった。優希と晶と三人で、夜空に咲く花を見上げていた。
それが、三人揃って見る最後の花火になるとも知らずに。
私がここに来たのは、実に十二年ぶりだった。
色々なことを思い出すのが辛いから、もう二度と来ないって、決めていたのに。
それなのにこの思い出の場所に足を向けたのは、きれいなものに感動した気持ちで人生におさらばしようと思ったからだった。
人気のない草むらをかき分けて行くと、そこには先客がいた。
まっすぐの長くてきれいな黒髪。背が高く、すらっとしたいい姿勢。
ロング丈の白いワンピースが、暗闇の中で浮いていた。
まさか……優希?
私はどきりとしたのと同時に、気まずい過去と甘酸っぱい感情とを思い出した。
約十年前の夏だった。
高二だった私達は、その夏お互いの気持ちを知ってしまった。
毎年八月の初旬に開催される夏祭りよりも、前の出来事だ。
私は、優希のどこか冷めているのに内に秘めた自分を貫き通す、そんな強さが好きだった。
でも、優希がやさしい
そっか……優希は、晶のことが好きなんだ。
男が男を好きになる、女が女を好きになる。それは私にとっては男が女を、女が男を好きになることと同列扱いだった。
それに気づいてからというものの、私の胸は優希を見るたびに一瞬だけさあっと冷たくなった。
それは、私がどれだけ優希に惹かれていたかのバロメーターだった。
晶のことが好きだった優希。晶を見つめる優希の特別な眼差し。正直、私は晶が羨ましかった。
『俺、県外の大学を受験することにした。今までの交友関係は、全部なかったことにするつもりだ』
優希のその言葉通り、高校を卒業すると優希とは一切連絡がとれなくなった。
もし優希が留年していたとしても、私達はもう二十八歳だ。それなりに人生を歩んでいるだろう。私のように。
「優希?」
私は恐る恐るその人に声をかけた。
驚いたように振り返ったその顔を見て、私は言葉を失った。
少し顔立ちが変わっていたけれど、間違いなかった。その人は、優希じゃなくて晶だった。
一瞬にして、私の頭がパニックになる。
今の晶は、どこからどう見ても、きれいな女性にしか見えない。
「正美……」
「あっ……ごめん、晶……いや、あまりに変わってたから、びっくりしちゃって」
私は慌てて取り繕うように笑った。
晶は、声も少し女性らしくなっていた。ハスキーボイスというやつだ。
「驚くのは当たり前よ……私は……あの頃から随分と変わってしまったもの」
喋り方まで物腰の柔らかな女性そのものだ。これは、絶対に男からモテるだろう。
「正美は、昔みたいにボーイッシュなままなのね」
私はハッとした。晶は……私の変化に気づいたのだろうか?
私は一瞬ためらったが、やはりきちんと確認することにした。
「ねぇ、こんなこと聞くのはアレなんだけど……晶は……優希と同じ、なの?」
『俺は、見た目は男だけど……心は女なんだ』
高二の夏に聞いた、淡々とした優希の言葉が頭に浮かんだ。
「そうなの……笑っちゃうでしょ? あの時……私、優希に怒っていたのに」
晶はそう言って笑った。私もつられて目を細める。
「晶が怒ったのは、私の為だったじゃない。晶は、優希のこと否定してなかったでしょ?」
「いや、心の奥底では否定していたかもしれないわ……でも、私は優希と同じなんだって気がついてしまったの。大学生の時にね。正美のことを好きだった私が、そんな馬鹿なって、最初は否定してた……実際、何人かの女性ともお付き合いしたしね……でも、段々違和感が募っていって……こうなったわ」
「生まれ持った肉体の性と心の性が違うっていうのは……白状するけど、実は私もなんだ」
もう、晶になら……今の晶になら、なおさらすべてを吐き出せる。
妙な安心感の中、私は深く息を吐いた。
「私、中身は男だった。私も大学生時代に、何人かの男と付き合ったよ……でも、運命だって感じたのは同じ会社の、後輩の女の子だったんだ」
「そうだったの……私の勘、当たったわ……でも、私より正美のパターンの方が、風当たりが強そうね」
確かに、それは晶の言う通りだった。
「正美の気持ち、相手の子に伝えたの?」
「うん……向こうも薄々気づいてたみたいでさ……実はついこの間までパートナーだったんだ……」
そう口にした途端、私は泣きたくなった。
大切にしてきた彼女の笑顔と一緒に、思い出したくない上司の顔まで思い出したからだ。
「気持ち悪い……」
思わずこみ上げてくる吐き気に、私は慌てて口元にハンカチを当てた。
吐き気は、私がもう生きていたくない理由の証だった。
「正美……まさか、妊娠してるの? どういうこと?」
そっと寄り添ってくれた晶を直視できずに、私は真っ黒な地面を見た。
「くそみたいな……変態が……」
自然と、涙が溢れて止まらなくなった。
晶の柔らかなぬくもりが私を包む。
「女を好きだからって、体は同じ女なんだなって……あいつ、ニヤニヤ笑ってたんだ……私……その時……全然記憶がなくて……晶!」
私は花火の音がこだまする中、晶の胸に向かって叫んだ。
「悔しい! 悔しいよ! 私、もう生きていたくない!」
散っていく花火の音が、じんと耳を残った。
私は今の自分の奥底にあるものを、すべて晶の胸に吐いた。
これは、今まで苦しんできた私に神様がくれた最後のご褒美なんだろう。もう……これで思い残すことなく、逝ける。
「私と結婚しよう、正美」
耳元で響く晶の言葉に、私は耳を疑った。
「なにを言ってるの……だって、晶は……」
「私は、正美の子の母親になる。あなたは、父親として生きればいい。戸籍上、私達は男と女なんだから、なにもおかしなことはないわ」
「そんなこと……」
私は息を飲んだ。
見上げた先の晶の瞳が濡れていて、夜空に咲く大輪の花火よりも、ずっときれいに輝いていたからだ。
「正美、一人で抱え込まないで……その子は正美の子……今から、私と正美の子よ……お願い、私を母親にして」
私の視界がまたぼやけ始めた。
なんてことだろう……私は……このぬくもりに甘えてしまっていいのだろうか……
そう思いながらも、心は正直だった。
晶の優しさに寄りかかりたい気持ちは私を強く押し流し、胸の内を占領していた死を望む気持ちは、遠くで散り散りになる花火のように砕け散ったのだった。
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