第11話 棘が刺さったままの校長 後編

 毎年九月の最終土曜日に行われている文化祭には、沢山の人が来校する。

 当校うちを受験の候補に入れている中学生やその保護者、卒業生や他の高校の生徒などだ。

『あの、これ落とし物です』

 不意に背後から声を掛けられて振り返ると、そこには同じ市内の公立高校の制服を着た女子生徒が二人立っていて、その内の一人が私になにか白いものを差し出していた。

『ああ、ありがとう』

 私は女子生徒に礼を言い、ひとまずそれを受け取った。

 四つ折りにされたメモ用紙。

 こんなもの、持っていた記憶はないんだが……

 そう思いつつ、手は自然とメモ用紙を広げていた。 

『アノコトヲゼンブバラソウトオモウ』

 そこに並んでいた無機質なカタカナに、私は一瞬目の前が真っ暗になった。

 あのこと……あのことってなんだ……まさか……いや、ちがう、これは単なる紙、単なるカタカナの羅列に過ぎない!

 私は慌てて私にメモ用紙を渡してきた女子生徒の後を追った。

『失礼、このメモはどうやら私のものではないようなんだが、君が拾ってくれたのかな?』

 私はドクドクいう心音に静まれと命令しながら訊ねた。

『え、そうなんですか……私、頼まれたから渡しただけなんだけど、ねえ?』

『そうそう』

『頼まれた? その人の特徴、なにか覚えてないかな?』

 まさか、そいつがなにかを知っていると?

『え……緑のジャージ着てたよ……あれ、確かこの学校のジャージだよね』

 緑……ということは三年生か……

『他に特徴はあったかな?』

『えっと、黒縁メガネに長い髪をこう、二つ結びにしてましたよ』

 女子生徒は手振りで説明してくれた。

『そうか……すまなかったね、ちょっと探してみるよ、ありがとう』

 私は笑ってその場を立ち去りながら、記憶を探る。

 だが、三年生、背の高い女子生徒で、黒縁メガネにロングヘアは一件もヒットしなかった。

 どういうことなんだ、それとも私が知らないだけなのか……

 ただ確実に言えるのは、その人物が確実にこのメモを私に渡す気だったということだ。

 メモのカタカナには、続きがあった。

『ゴゴニジオクジョウデマツ』

 午後二時、屋上で待つ。

 私は腕時計を見る。あと十分で、二時になるところだった。

「こんな悪ふざけは許されん……行って、どういうつもりなのか問いたださなければ」

 私は完璧に頭に血が登っていた。

 息を切らしながら、普段は立入禁止の屋上に向かう階段の途中で教頭と出くわした。

 まさか、と思った。

『モウゲンカイダコトワル』

 顔色を失った教頭が見せてきたメモの、カタカナの羅列。

 教頭は私が受け取ったメモを見て、さらに顔色を失っていた。

『これは……もしかして、ばれてるんじゃ!』

 教頭は静かに叫んだ。

 もう、屋上への扉はすぐそこだ。

『それより、このメモ……どうやって渡された?』

『え……小学生っぽかったです……渡すように頼まれたって言ってましたね……うちの三年カラーのジャージを着た、黒縁メガネをかけた髪の長い女子生徒から頼まれたって』

 間違いない、同一人物だ。

『私も同じだ。うちの三年の女子生徒に、心当たりは? 私にはないんだが』

 私より生徒に関わることの多い教頭なら、知っているかも……

 だが、教頭は首を左右に振った。

『私にも心当たりがなくて……いったい誰なんだ……』

『とにかく行こう』

 私と教頭は灰色の鉄の扉を開け、屋上に出た。

 そこには、フェンスに秋晴れの青い空が広がっている。人の姿は見えない。

 腕時計を見ると、二時を五分過ぎたところだった。

『誰もいない……やっぱり、ただのいたずらなんですよコレ』

 教頭はホッとしたように言った。

『イタズラで、私達にこんなメッセージを送ると思うか? 間違いない、誰かが私達のやっていることを知っているんだ』

『保護者を女として斡旋してることをですか? そんな、まさか!』

『しっ、声が大きい!』

『大丈夫ですよ、ここには誰もいないじゃないですか……屋上は立入禁止だし、だいたい、ここには人が隠れるような場所なんてないでしょ』

 確かに教頭の言う通り、屋上にはボイラーがあるばかりで人が隠れる場所などない。

 私は再びメモを見た。

 そこに並ぶカタカナはすべて印刷されたもので、筆跡はわからない。

『とりあえず、このメモは二枚とも私が預かる……ほんとに……なんなんだ……』

 三年、女子生徒、背が高く、メガネでロングヘア。

『存在が地味すぎてわからないだけかもしれない、とにかく気をつけなければ』

『まあまあ、三年ならもう卒業しちゃうじゃないですか……ま、私も気をつけますよ、ボロが出ないようにね』

『もちろんだ……私も君も、後ろめたいことをやっていることは違いないんだからな』

 私達は互いに頷き合って、再び灰色の鉄の扉を開けたのだった。


 本当に気味が悪い。だが、もう去年の話だ。当時の三年は既に卒業しているし、特に何が起きたわけでもない。

 本当に何者だったんだろうか、あの女子生徒は……

 それはまるで、抜けそうで抜けない、指に刺さった棘のようだった。

 私は捨てることのできない二枚のメモ用紙を視界から消す為に、そっと引き出しを閉めたのだった。

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