第41話 招待状を受け取る教頭

「これ、教頭先生に渡して欲しいって生徒から頼まれたんですよ……あ、のど飴どうぞ」

「ああ、気が利くね田口君……ありがとう」

 私は数学の教諭、田口君からのど飴をもらい、口に放りこんだ。そして、受け取った封筒を見る。

 その封筒には、宛名もなければ、差出人の名前もない。

 一瞬にして、記憶が去年の文化祭に飛んだ。

 当時の三年生……今の一年生の学年カラー緑。

 その色のジャージを着た、背の高い女子生徒。

『黒縁メガネに長い髪をこう、二つ結びにしてましたよ』

 いや、仮にそいつが実在していたとしても、もう卒業している筈だ。この手紙を渡してきた生徒と同一人物なわけがない……

 私は封筒の中に入っていた便箋の文字に、動けなくなった。

『モウゲンカイダコトワル』

 あのカタカナと同じ文体が、そこに一列に並んでいたからだ。

『ツギノドヨウビゴゴロクジホケンシツデマツ』

「なんなんですかね、これ?」

 私はハッとして声の主、田口君を見た。

 田口君は私と同じように便箋を手にして、顔を顰めている。

 なんだ、この手紙をもらったのは、私だけじゃなかったのか……

「今はこんなイタズラが流行っているのかね?」

 私は便箋をグシャリと握りつぶし、ゴミ箱に投げ入れた。

 まったく、こっちはただでさえ苛ついているってのに……金づるには逃げられるわ、校長は体調不良で休みだわ……普通に仕事で忙しいんだよ、こっちは!

「今度の土曜って、もう明後日ですね……しかも夕方の六時だなんて」

「ああ、そんなの気にすることはない! 君も捨てなさい、そんな気味の悪い手紙!」

「いやあ……僕、意外とこういうの気にするタイプでして……もしかしたら、生徒がなにか悩みを相談したいのかもしれないですし」

 おい……まさか、その手紙の誘いに乗る気じゃないだろうな……

「どうせ予定もありませんし、試しに来てみようと思います。なにもなければ、それはそれで安心ですから」

「よしなさい、そんなこと……相手が図に乗るだけだ」

「教頭先生はお気になさらず……これは僕の独断ですから……じゃ、お先に失礼します」

 人の気も知らず、田口君はあの手紙を丁寧にリュックにしまい込み、にこにこと笑って帰って行った。

 ぐぬぬ……もし、あの手紙の主が例のことを知っていたとしたら……いや、どっちにしても証拠なんてないんだ、どんな話が田口君の耳に入ったとしても、すべてデマだと言い張れるが。

 しかし、今さら蒸し返されるのも面倒だし、こういう質の悪いイタズラはやめさせたい。

 それより校長の嫁に預けている証拠品をどうするかだ……あれが露呈すれば自分も火の粉を被るから、外部に漏れる心配はないと思うが……大丈夫だろうな……

 頭に、校長の嫁の姿が浮かぶ。

 それにしても、なぜ急に私を拒むようになったのか……あの見知らぬ女の写真が送られてきた後でさえ、私との関係を続けたというのに……

「くそっ!」

 私はゴミ箱を蹴っ飛ばした。

 そこからコロコロと、ぐしゃぐしゃに丸まった手紙が転がりでてくる。

 私は、それを無言で睨みつけた。

 すべてうまくいっていたのに……やはり、ケチがつき始めたのは、去年の文化祭の時に例の不快で意味不明なメモを受け取ってからだ。

 くそっ、憂さ晴らしに犯人を捕まえて、とっちめてやる。

 私は転がっている手紙を拾って、もう一度文面を見た。

 ツギノドヨウビゴゴロクジホケンシツデマツ

 次の土曜日、夕方六時……場所は、保健室。

 保健室か……これは意図的なのか単なる偶然なのか……どちらにせよ、嫌な感じだ……

 私は床に転がるゴミ箱を眺めながら、次から次へと湧き出てくる過去の記憶を、必死に打ち消した。

 アレは、私がやったことじゃない。

 校長と、校長の口車に乗った愚かな母親が悪いのだ。それに、けして無理強いしたわけじゃない。互いに利益のある、合意上での行為だ。

 大丈夫、大丈夫だ……

 嫌な汗が額に浮かぶ。ストレスのせいか、キリキリ、キュルキュルと腹が痛み始める。

 本当に、ついてないことばかりだ。

 私は必死に男性用トイレに駆け込んだ。

 だが、必ず巻き返してやる……負けてなるものか!

 私は冷たい汗を滲ませながら、トイレの狭い個室の壁を睨みつけたのだった。

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