第2話 遠距離恋愛中の優斗君

『おはよう。むぎゅっ』

 あぁあ、毎朝サラちゃんから来るDM。この、むぎゅっの部分が連想させてくるのは、一度しか感じたことのないTシャツ越しの彼女の熱と確かにそこにある存在感だった。

 付き合おう、と彼女に言ったのは去年の六月のことだった。

『お爺ちゃんとおばあちゃんももう歳だし、優斗が本格的に進路を決める前に向こうに行こうと思うんだ』

 いつかは福岡に帰る。

 一人っ子の父さんと母さんが時々僕と弟に言っていたことが、急にリアルになってしまった。

 それは四月の、入学式を終えたタイミングでの重大発表だった。

『ごめんな、優斗は高校に入ったばかりなのに……もう向こうの高校に編入手続き済んでるから、心配しなくていいよ』

 にっこりと笑った父さんに、じゃあ一人暮らしさせてくれ、とは言えなかった。

 まだ小学三年生の弟は、友達と離れるのが嫌だと不貞腐れていたが、僕は同じように不貞腐れている場合ではなかった。どうしよう、せっかく同じ高校に入ってたんだ、これは運命に違いないと浮かれていたのに。

 小学生の頃から片思いしていた、金子サラちゃん。

 僕は迷った。彼女に思いを伝えるかどうか……父さんから福岡への引っ越しを宣言された日から二ヶ月と一週間、一人でもんもんと悩んだ。

 決め手になったのは耐えきれずに相談した友達の一言だった。

『仮に玉砕したとしてもさ、あと一ヶ月もすりゃ夏休みに入るじゃん? つまり、もう顔を見なくて済むわけだ。ふられる前提で話をするのもナンだけどさ、そう考えたら少し気が楽にならない?』

 ……そう言われてみればそうかもしれない。

 僕はその頃にはもう、悩みすぎて疲れ果てていた。だから余計に、その友達の言うことを素直に受け入れた。

 背水の陣。僕の好きな言葉だ。

 のんびり屋の僕は、テストといい追い込まれないとどうもやる気に火がつかないタイプ。告白はテストじゃないけれど、今を逃してしまったら、僕は福岡でずっと後悔し続けるんだろう。それは嫌だ。

『優斗君の書く文字、富士山みたいにきれい』

 昔サラちゃんにそう言われてから、僕は富士山が好きになった。単に日本一高くて有名な山、から、僕の書く文字のイメージキャラクターに変わったのだ。

 それがあの後の僕の人生の中で、時々背中を押してくれた。挑戦したことがうまくいってもいかなくても、どっしり構える富士山みたいに動じずにいられた。

 それは、サラちゃんからあの日言われなければ僕に刷り込まれなかった意識だった。つまり、富士山とサラちゃんは僕の恩人なんだ。

 それに気づいてからだった、サラちゃんが視界に入る度になんだか胸がぎゅっとなったのは。

 これは……恋だ。いや、でも、クラスでも特に目立たない僕に好意を持たれても、きっとサラちゃんは迷惑するはず……そんなことより勉強だ! 高校受験だ!

 湧き出る思いから逃げる場所は、いくらでもあった。数少ない友達と、好きな漫画やゲームの話をしたり、高校受験に向けて塾に通ったり。見ないふりは無事に成功して、僕は清々しい気持ちで通うことになった公立高校の門をくぐった。

 そうしたら、同じ学校の制服を着たサラちゃんがいたわけだ。それを知った時の僕は自分でも呆れるくらい頭が花畑状態になった。それまでに無視してきた分のツケが爆発したところに降って湧いたのが引っ越し騒動だ。

 まさに、天国から地獄。

 僕の新しい高校生活はこんな具合でスタートし、気づいたら痩せて青白い顔色にぐったりした不健康な男子高校生になっていた。

 鈍感なうちの親ですら、慣れない高校生活で不安が? とか、そんなに引っ越すのが嫌なのか? とか口々に聞いてきた。

 もちろん、僕は恋わずらいだなんて口が裂けても言えず、その内慣れるから大丈夫、ハハハ……と乾いた笑いで親を煙に巻いていた。

 友達に背中を押され、いざこの思い伝えん!

 が、意気込みはいいとして、問題は伝える場所だった。

 なかなかどうして、周りに人がいなくてサラちゃんが一人になる瞬間がなかったのだ。

 オロオロしている間にも、時間はさっさと過ぎていく。

 そんな僕を見かねて手助けしてくれたのが、玉砕しても〜と言った友人だった。

 奇跡的にしんとした夕方の廊下でサラちゃんと二人きりになり、思いを伝えた。引っ越さなきゃならない事情も。

 正直、僕はその時気絶しそうなくらい緊張していたからなにをサラちゃんに喋ったのかよく覚えていない。でも、サラちゃんは笑って納得したように頷いたんだ。

 そして僕の具合が悪くなったのが病気かと心配していたことや、サラちゃんが実は中学の頃から僕を意識していたことを知った。

 僕はよろけそうな体を、壁に押しつけながらサラちゃんのすらすら出てくる声を聞いていた。

 それから二人でデートをしたのは、片手で足りるくらいだった。

 場所は近所の公園や、映画館や駅チカの大型ショッピングモールだった。

 そして七月二十日過ぎ。夏休みに入り引越し前最後のデートは、カラオケだった。

 カラオケの部屋って、み、密室じゃん! い、いいのか! で、でもサラちゃんが行きたいって言ったんだし、へ、変な期待はするのよそう……

 僕はかなりうろたえながらも平静を装い、予定がたてられてから実行するまでかなり期待して日々を過ごしていた。

 そして当日。カラオケ店の個室に入るなり、歌うのに集中したいから最初にって前置きの後で『もうなかなか会えなくなるから』とサラちゃんが抱きついてきた。

 遠慮なしに降り注ぐ夏の日差しの中かいたサラちゃんの汗や体から発する熱が、じわじわと伝わってくる。

 僕は何も言えないまま、そっとサラちゃんの背中に手を回したけれど。

 そうだ……僕、明日福岡に引っ越すんだった……

 あまりの嬉しさにパンクしそうな頭の中で、突然底のしれない寂しさが大波のように押し寄せてきた。

 それは、今まで抱えていた緊張感の影でしっかり育っていた、サラちゃんになかなか会えなくなってしまう現実への拒否だった。

 そして現在、高二の春。

 あれから約一年、僕達は遠距離恋愛真っ最中である。

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