遠くのあなたを掴みたい

鹿嶋 雲丹

第1話 遠距離恋愛中のサラちゃん

 どんなに欲しい言葉を聞いても、それを信じられなければ意味がない。

 他人の心は目には見えない、体感もできないからだ。

 どんなに想像しても、言葉を聞いても、ほんとうのところはどうやったってわからない。

 未知なる世界は、永遠に未知のままなのだ。


「あーあ、今頃優斗ゆうと君なにしてるんだろ……」

 はあ、と私は重いため息を吐いた。

『おはよう。むぎゅっ』

 毎朝送っている、DMの文字。

『おはよ。ぎゅっ』

 毎朝返ってくる、遠くにいる優斗君からのDM。

「あぁ、胸がきゅんってしちゃう……その後、ずずんて暗くなるけど」

 それはなぜかというと、私達はいわゆる遠距離恋愛中だからだ。

 彼は福岡に、私は埼玉にいる。

 出会いは保育園。好きかも、と思ったのは中学生の時。付き合おう、と言われたのは彼の両親の都合で福岡に引っ越しが決まった高一の春だった。

 正直、なぜこのタイミングで……と思った。だってあと一ヶ月もすれば夏休みになって、お引越しになっちゃうから。

 どうせなら、もっと早く言って欲しかったな、なぁんてね。いや、私も優斗君のことを意識してたけど、自分からは恥ずかしすぎてとても言えなかった。だから、優斗君ががくがく体を震わせながら、何度も台詞を噛みながら私に付き合おう、と言ってくれた勇気は、ほんとに尊敬するよ。

 彼に言わせると、背水の陣……つまり、今言わなければもう後がない、追い込まれた状態だったから告白できた、らしいのだ。

 それを考えると、まあ、彼の両親の都合で福岡に引越さねばならない、という事象も悪くないように思えた。

 優斗君は大人しくて、あまり目立たないような人だった。優しそう、だけどなにを考えているのかわからない、そんな感じ。

 それなのに、なんで好きになったんだろう。

 よぉく考えるまでもない。彼は私にはないものを持っているからだ。

『字、めちゃきれい……すごいね、お習字習ってるの?』

 それが私の記憶に残る一番初めに優斗君にかけた言葉だった。

 ちなみに、私は自慢じゃないが書道教室を六級で辞めている。どんなに先生が指導してもちっとも上達せず、先生からは

『頑固すぎてムリ』

 と、匙を投げられた。それはまだ保育園児だった頃のことだけど、私はよほど傷ついていたのか、高二の今もよぉく覚えている。多分一生忘れない。

『そうかな……僕、何も習ってないんだけどな』

 小学二年生の優斗君は、恥ずかしそうに小さな声で言って俯いた。その口元は、私には笑っているように見えた。

 しばらくの間、私と優斗君は二人で並んで教室の後ろに張り出された三つの漢字をしげしげと眺めていた。

 優斗君から生まれた文字は、本当にきれいだった。

 文字の太さが堂々としていてかっこよかったし、なにより形がきれい……しゅっと身が引き締まるようなきれいさだった。そう、まるで

『富士山みたいに、きれい』

『え⁉ 富士山』

 優斗君はびっくりしたような顔で私を見た。

 あの時の私が富士山を引き合いに出せたのは、家がマンションの六階で、たまたま遮るものがなくて富士山がベランダの窓からよく見えたからなんだけどね。

 今は色んなものが建っちゃって、富士山は半分しか見えないんだけど。

『そんなこと、初めて言われた……ありがとう、なんだか僕には大きすぎるけど、嬉しい』

 私を見てにっこりと笑った優斗君の笑顔に、一瞬富士山よりもきれいだと思った。

 それまでは、単に同じ保育園から同じ小学校に来た名前と顔を知っている男の子、ただそれだけだったのに。

 私は待ち受けにしている富士山の画像を眺める。

 朝早い教室には、まだあまり人がいない。

 電話、しちゃいたいけど……朝だから我慢しよ……はあーあ、優斗君の声が聞きたいな……

 私は机に突っ伏しながら、この行き場のない突き上げるような欲求の散らし方を考えていたのだった。

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