今日も一日……

 大部屋に三十人からが押し込まれ、暮らしを共にするタコ部屋での睡眠というものは、熟睡できるようになるまで慣れというものを必要とするが、逆にいえば、慣れてさえしまえば快適な睡眠が取れるようになる。

 まして、ケン王子が導入してくれた魔道具――冷房によって、部屋の中は快適な温度に保たれているのだから、なおのことであった。


 壁面へ沿うように設置された多段ベッド内で、寝息を立てる猫人たち……。


 ――ジリリリリリッ!


 彼らの目を覚ますのは、スピーカーから轟く金属同士をこすり合わせたような音だ。


「んあ……」


「はよ……」


「おお……」


 ただでさえ、聴覚に優れているのが猫人という種族であり……。

 これにはたまらず、全員が目を覚ます。

 起床したのならば、その後に行うのは洗顔であり、朝の清掃である。


 寝床であるタコ部屋や、トイレに浴場など……。

 共用スペースを自分たち自身の手で綺麗にしながら、体を起こしていくのだ。


 そのようにして、身の回りや自分自身を整えたのならば、のそのそと皆で着替える。

 余談だが、洗濯は各自、自由時間に魔動式の洗濯機で行っており、洗い物を溜め込み過ぎてしまえば、汗臭く汚れた作業着を再び着用しなければならなかった。


 身支度を整えたのならば、揃って現場――建築中のスタジアムへ移動だ。

 安全通路の中を、騒がず急がず歩み、地下構内へ移動する。

 そうして入場を果たした猫人たちが向かうのは、地下構内に存在する仮設の厨房だ。


「おはようございまーすっ!」


 そこで彼らを迎えてくれるのは、露出過多な改造メイド服に身を包んだ猫人娘たちであり……。

 彼女らから、パンかライス……選択式の朝食を受け取り、各人の『島』で朝食をとった。

 この朝食というのが重要で、ケン王子による新体制となって以来、食べていない者は原則、その日の作業を禁じられている。


 ルタカ王国の暑さは過酷で、とてもではないが、食事抜きの状態で耐えられるものではなく……。

 食事をとれないほどに体調が悪い者は、その段階で弾かれるのであった。


 食後は、各自、地下構内の水道で歯を磨くなどしつつ、班長や職長が手にした健康チェックシートに記述していく。

 ここでも、なんらかの項目に異常を感じる者は、その日の作業を禁止されるという徹底ぶりである。

 全ては、自分の……ひいては、周囲の安全のため……。

 猫人たちは、各自、正直にチェックシートの内容へ答えていく。


 それらの作業を終え、晴れて始業前の準備が整ったならば、しばしの自由時間を楽しみ、一階外構部へと上がっていく。

 この際、猫人たちはヘルメットも安全帯も装着し、さらには全員へ支給された空調服を着込んでの完全装備だ。


 朝礼の時間というものは、すでに作業時間内……。

 当然、稼働している重機などは存在しないが、安全に作業できるよう準備し、心構えをしておくのが重要なのである。


 それにしても、壮観なのは、ズラリと並んだ猫人の姿だ。

 その数――およそ一五〇〇人。

 もはや、小さな町なら飲み込めるだけの人員が、このスタジアム建築に関わっているのであった。


 これだけの数が一同に集うのは、この朝礼時のみである。

 何しろ、数が数であるから、地下構内はいくつかの休憩所に分かれており、休憩や食事の時間は、それぞれあてがわれた場所で過ごすのだ。


 ――コオオオオオッ!


 ――コオオオオオッ!


 早くも起動された空調服のファンが、軽快な音を立てて、装着者に風を送り込む。

 まだまだ朝早い時間帯であるとはいえ、立っているだけで大汗をかける暑さであり、時には、健康チェックシートをクリアした者でも、倒れることがあるのである。


 ――なら、朝礼など、やらなければいいのではないか?


 そのように考える者も時にはいるが、そういったやからは、いざ自分の考えを口にしたが最後、周囲の猫人から厳しくたしなめられた。


 ――そんなことを言うのは、王子や職長の話をしっかり聞いてないからだ。


 ――一日の作業予定や立ち入り禁止区画を把握しておかないで、安全に作業できるわけねえだろ。


 各種注意事項を把握しておくことは、良い仕事をする上で必須……。

 猫人たちは、ヘルメットの下に収まった猫耳を鋭く研ぎ澄ませる。


 そんな風にしていると、朝八時の時間ぴったり……ルタカの王族たちが、姿を現す。

 先頭に立つのは、当然、次代の国王……。

 継承序列一位、ケン・ヨーチ・ルタカであった。

 将来頂く王冠の代わりに、ヘルメットをきちんと装着し、清潔な作業着と空調服を着用。

 さらに、安全帯をびしりと腰に巻いたその姿は、まこと、作業員の鑑と呼ぶべきであるが、他の王子王女も負けてはいない。


 かつて、ケン王子以外の王族は、監督の責任を負わされていながら、現場に対し無関心なものであったが……。

 今は、ケン王子による送り出し教育や研修の結果、各種の装備をなかなか様になる姿で着こなしている。

 しかも、ただ格好ばかりが一人前になったのではなく、安全パトロールや、各種の事務作業なども行えるようになり、かつてのように、ケン王子一人が過労死寸前まで追い込まれることはなくなっていた。


『えー……。

 皆、おはよう』


 ――おはようございます!


 朝礼台の上へ立ち、拡声器越しに挨拶したケン王子へ、猫人たちが一斉に返礼する。

 それを待って、王子が続く言葉を発した。


『えー、いつものことになるが、今日も大変暑くなることが予想される。

 熱中症というのは、いざ、兆候を感じたその時にはもう手遅れで、とてもではないけど、作業どころじゃない体調になっているものだ。

 よって、十分に水分や休憩を取って、予防というものへ努めるように。

 続いて、本日の作業予定について伝える。

 ――マサハ』


 ケン王子に呼ばれた第二王子……今となっては、長兄に位置する王子が、マイクを受け取り作業予定について語り始める。

 その後は、メキワという王子が、立ち入り禁止区画などについて解説を行った。


 それにしても、感心すべきはケン王子と同腹の妹であるミケコ王女だろう。

 彼女は毎日、熱心にノートへ鉛筆を走らせており、よほどに勉強熱心であることがうかがえる。

 ……時折、猫人たちに向ける視線が捕食者じみている気もするし、どうして休憩所で半裸になりながら休んでいる者を見つつ、ノートにメモしてるんですか? と聞きたくもなるが、きっとなんらかの深淵な理由があるのだろう。


 さておき、通達事項が手早く伝えられ、再びケン王子に拡声器が戻された。


『それでは、皆さん。

 ――構えて下さい』


 朝礼台に立つ王子が、そう言って拳を軽く掲げると、猫人たちも同様の姿勢を取る。

 そして、締めにして、始まりたる言葉が紡がれたのであった。


『今日も一日、ご安全に!』


 ――オウッ!

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