玉掛け その1
「クックック……。
――ファーハッハッハ!」
他に誰もいない自室の中……。
ルタカ王国第五王子リョーオー・イロワ・ルタカの笑い声が響き渡った。
人間という生き物は、心底からの喜びに溢れた時、笑い声を上げずにはいられないものであり……。
それを思えば、彼が哄笑してしまったのは、無理もないことといえるだろう。
何となれば……。
「ふ、ふふ……。
これだけの金が、我が懐に飛び込んでくるとはな。
まったく、スタジアム建設様々だ」
彼が手にした数枚の紙片……。
そこに書かれているのは、父王の命により監督することとなった工区の必要資材と、その見積もりである。
だが、彼以外の人間が、この数字を把握することはない。
事務方に回された同様の書類には、全く別の――これよりも、いくらかずつ上乗せされた数字が記載されているのだ。
その理由は、ただ一つ。
「どうしても受注したいという商会に採算度外視で仕事を回してやり、その礼として、私には巨額の金が舞い込む。
……と、いっても、直接にそれを受け取るような真似はしない。
このように、鉄骨一本やコンクリ一トンにつき、少しずつ……少しずつ上乗せした金額でこちらに請求をさせる。
その上乗せ分こそが、我が取り分……。
連中には、国庫から引き出した金を保管する貯金箱の役割を果たしてもらうのだ」
でっぷりとした腹をさすりながら、誰が聞いているわけでもないのに解説してやる。
これなるは、余人に聞かせるわけにはいかぬ秘策。
一人でいる時くらい、これを
「どうやら、ミチカチやケンの奴めは、このスタジアム建設へ真面目に取り組み、王位を狙っているようであるが……」
兄である第一王子や、つい先日まで遥か下の序列であった異母弟の名を口に出す。
特に、ケンの躍進ぶりたるや目覚ましく、異国女との妾腹に過ぎないあやつが、この建設競争にかけている意気込みというものが伝わってきた。
だが、リョーオーからすれば、そんなことは愚かの極み……。
「国王などという面倒な仕事を率先してやりたがるとは、まったく、あやつらの気が知れん。
せっかく、豊かな国の王族として生まれたのだ。
せいぜい、その豊かさを享受し、隙あらばこのように、国の金を懐へ流し込めばよい。
私をひざまずかせたいというのならば、喜んでそうしてやるさ。
だが、
やはり贅肉にまみれたあごをさすりながら、にいと笑みを浮かべる。
ルタカ王家における国王の教育思想というものは、
毒虫として育て上げた血族同士を競い合わせ、より優れた毒を持つ生き物として完成させる……。
だが、虫ならぬ人間の身である以上、バカ正直に共食いへ参加する必要はないのだ。
――コン、コン。
ふと、扉がノックされる。
「なんだ?」
「執務中、失礼致します。
殿下、予定されていた視察のお時間となりました」
「もうそんな時間か」
扉の外からうながされ、文字通りの意味で重い体を立ち上がらせた。
「とはいえ、だ……。
真面目に競争へ参加してるという姿勢だけは、父上に見せねばならん。
そのために、ケンめのやっている現場視察を真似させてもらおうか」
リョーオーは、扉の外に聞こえぬよう、小声でそうつぶやいたのである。
--
――巨大な力の動く場所。
初めて担当する工区の外構部を訪れ、その状況を目の当たりにしたリョーオーが抱いたのは、そのような感想であった。
巨大な力とは、他でもない……。
――クレーンである。
言うまでもなく、王国の威信をかけたスタジアムは巨大建築物であり、高層部を造り上げるにあたって、各種の資材を上層に運び込むのは必須工程だ。
とはいえ、いくら使い潰しの効く猫人たちといえど、いちいち人力で運び上がらせていたのでは、効率が悪いことはなはだしく……。
魔力で駆動し、人間では束になってかかっても持ち上がらぬ重量物を吊り上げるこの重機は、大規模建築になくてはならぬ存在であった。
「ほおう……。
なかなか、勇壮な光景ではないか」
金というものを第一義に考えるリョーオーであるが、そこは一人の男である。
鋼の機体が躍動し、力強く物を吊るし上げる姿を間近で見れば、なかなかにそそられるものがあった。
「いや、これを見られただけでも、暑い中にわざわざ出張ってきた甲斐があったぞ。
少しは、現場というものが分かったわ。
グワッハッハッハ!」
滝のように流れる汗を拭いながら、豪快に笑う。
ヘルメットなどというダサい被り物は、装着していない。
この暑い中、そんなものを被るのは、肥満体のリョーオーにとって不快に過ぎるからである。
「お喜び頂けて恐縮です。
つきましては、一つご相談したいことが……」
リョーオーにそう話しかけてきたのは、いかにも痩せ細った……体力気力共に衰え、取り柄として残ったのは経験のみといった風体の老猫人であった。
「何だ?
申してみよ?」
機嫌が良かったこともあり、
すると、老猫人はこちらの顔色をうかがいつつも、必死の色を表情に乗せて語り始めたのだ。
「資材を吊り上げるのに使っているワイヤーですが、摩耗や断線、キンクが目立ちます。
是非、殿下のご采配で新しいものを購入して頂きたいのです」
「ふうん……。
ちなみに、一本につきいくらほどだ?」
「はっ……!
こちらに、見積もりを用意してあります」
なるほど、年の功といったところか……。
リョーオーの問いかけに、老猫人がさっと紙片を差し出す。
そして、それを見て……。
リョーオーの顔色が、変わった。
「馬鹿な! 高過ぎる!
たかだが、金属製のワイヤーだろうが!」
「で、ですが、安全のためには必要な出費でして……!」
老猫人の言葉に、力強く首を横に振って返す。
「だが、現状でも問題なく作業できているだろう!
見ろ! あのように、しっかり吊り下げられているではないか!?
ちょっとやそっと使い古しているくらいで、何だ!?」
リョーオーが指差した通り……。
頭上で資材を吊るすワイヤーは、しっかりと張っているのが見て取れた。
「この距離では見えませんが、あれもキンクしたものを仕方なく使っています!
それに、そもそも物を吊るしている下部に入るものではありません!」
「黙れ! 間近で見上げねば、迫力半減というものよ!
それに、さっきからキンクキンクと言っているが、わけのわからぬ言葉を使うではないわ!」
「それは……とにかく、危険な状態ということです!
お願いです! 手下らの命を守るために、新しいワイヤーを!」
「ええい、さっきからしつこいわ!」
「――あうっ!?」
怒りに任せ、拳を振るう。
武芸の心得はないリョーオーであったが、枯れ木のごとき老猫人は、たやすく殴り飛ばされた。
「まったく、分からぬことばかり言いおって……!」
肩を荒げながら、倒れる老猫人を睨みつけた、その時だ。
――パアンッ!
という、どこか破滅的な……。
何かが弾け、千切れ飛ぶ音が頭上から響いたのである。
「――え?」
それが、頭上のワイヤーが千切れた音だと気づけたのは、すぐ真上に鉄骨が迫ってきていたからであり……。
鉄の塊が視界を塗りつぶすのと、リョーオーの意識が途切れたのは、全く同時のことであった。
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