空調服 前編

 ――目地棒取り。


 その名通り、目地棒という壁面にくぼみを生み出す部材の取り出しに使う工具である。

 形状は、九十度に折れ曲がった鉄の棒といったところであり……。

 折れ曲がった棒の先端部は、鋭い刃のようになっているのが特徴だ。


 だが、本日俺がこの道具を当てているのは、目地棒ではない。

 先日から導入している新型作業台……。

 その手掛かり棒が装着されている部分の、リベットである。

 リベットに目地棒取りの先端部を当て、軽く深呼吸する。

 もう片方の手に握っているのは、小型のハンマーだ。


 勝負――一瞬。

 俺は、目地棒取りに向け、狙い澄ました一撃を放った。


 ――カアンッ!


 金属同士の打ち合う小気味良い音が響き、同時に、確かな手応えを覚える。

 まさに、会心の一撃といってよいだろう。

 ハンマーの衝撃を受けた目地棒取りは、その衝撃を、あてがわれていたリベットに伝え……。

 見事、これを叩き落とすことに成功したのであった。


 もちろん、せっかく納品させた作業台を、いたずらに破壊しているわけではない。

 安全帯へ装着した腰袋から、素早くネジとナットを取り出し、リベットの代わりに装着する。

 そして、ラチェットでこれを固く締め上げた。


「……よし。

 応急処置としては、これでいいだろう。

 随分とリベットが緩んでいたからな。

 この状態で使い続けてたんじゃ、そりゃ、ガタつきも気になるだろうさ」


「ありがとうございます!」


 設計者であるからには、当然、各部品には精通しており……。

 この程度の応急修理を施すなど、俺にとっては朝前である。

 だが、この作業台を使っていた若い猫人にとっては、感動的な手際の良さであったらしく……。

 俺に向かって、何度も何度も頭を下げてくれた。


「いいって、いいって。

 過酷な作業をしてるんだから、どうしたって痛む箇所は出てくるさ。

 それより、よくそのことを正直に報告したな。

 傷んだ状態のまま使っていたら、最悪の場合、部品の脱落などに繋がっていたところだ。

 困った時は素直に報告する。

 お前のその姿勢が、大げさにいえば事故を一つ防いだわけだな」


「そう言って頂けると……」


 感動した様子で尻尾を振りまくる猫人だが、これは俺の本心である。

 何しろ、報告・連絡・相談を徹底してくれれば……その分だけ、作業が遅れるのを期待できるからな!

 何事も、小さなことからコツコツと!

 少しずつでも猫人たちの作業を遅らせるべく、俺はこうして自ら現場を回り、自分が設計したブツの点検や補修なども引き受けているのであった。


「に、してもだ……」


 剥き出しの石膏ボードが貼り付けられ、何とも無骨な景観となっている現場内で汗を拭う。

 正直な話をすれば、服は長袖ではなく半袖を着たいし、ヘルメットも今すぐ脱いで汗にまみれた髪をかきむしりたい。

 それをしないのは、長袖の服が不意な擦り傷などから身を守ってくれるからであり、このヘルメットが、頭部を守る最重要の防具であるからだ。

 にも関わらず、それらを取り外したい衝動に駆られている理由は、ただ一つ。


「暑いな……暑過ぎる……」


「ですが、ケン王子のおかげで熱中症……って名付けたんでしたっけ?

 あれで死ぬ奴はいなくなりました。

 まあ、相変わらず、体調を崩したり倒れたりする奴はいますが」


「それも、無理のない話だよなあ……」


 猫人君の言葉にうなずきながら、ひとまず、ヘルメットを脱がずに済む範囲の汗を袖でぬぐう。

 国の威信をかけたスタジアム建設工事……。

 その現場はまさに、焦熱地獄だ。

 そりゃ、何の対策もしていない兄弟たちの担当工区で、バタバタと死人が出るわけである。


「本当、現場の中で涼しい風が得られる魔導具でもあればいいんですがねえ……」


 ――そんなもの、ありっこないけど。


 そんな念がありありと感じられる猫人の言葉が、俺の脳をかえって活性化させた。

 いや、必要という名の母が、アイデアという子供を生み出したというべきか……。


「いや、できるかもしれないぞ、それ」


 瞬間的……電撃的といってもいい着想を得た俺は、猫人君にそう返す。

 今回ばかりは、工期を遅らせるのが目的というわけではない。

 ただ、俺自身がこの暑さに耐えかねたからであり……。

 こんな暑い中、必死に頑張ってくれている彼ら猫人を助けてやりたいと、心から思っての言葉だ。


「仕組みとしては、そう難しいもんじゃない。

 だが、作ってしまえば……それはきっと、この暑さを大分マシなものにしてくれるはずだ」


 俺の言葉に、猫人君は半信半疑といった様子であったが……。

 そんな彼に構わず、俺は脳内で図面を起こし始めていたのである。




--




 ――朝礼。


 これもまた、ケン王子が工事を監督するようになってから始まった新しい習慣である。

 そこで行われるのは、始業前のちょっとした体操や、一日の作業確認であり……。

 他にも、とりわけ重要なことなどは、この場で伝えられていた。

 だから、ケン王子が何やら包みを持って朝礼台に立った時、猫人たちはわずかにざわめいたのである。


 ざわめきに込められていたもの……。

 それは、期待感だ。


 また何か、仕事がしやすくなる道具を生み出してくれたんじゃないか……。

 あるいは、より安全に作業するための道具かもしれない……。

 そのような思いと共に、王子へ視線を注いでいたのだ。


 果たして、彼が口にした言葉は……。


「おはよう、みんな。

 知っての通り、俺自身もこの頃は現場を巡回しているわけだが……。

 そこで、あらためて思ったことがある。

 ――暑い!

 この現場は、暑すぎる……!」


 王子の言葉は、猫人たちが日々痛感しているものである。

 飲み放題の飲料と、休憩所を涼しくする魔道具のおかげで、随分とマシにはなったが……。

 死ななくなったというだけで、地獄のような環境であることに変わりはない。


 だから、あらためてそこを強調した王子の言葉に胸を踊らせ、本能的に尻尾を振ったのだ。


「と、いうわけでだ。

 お前たちが少しでも涼しく作業できるよう、新しい魔道具を考案した。

 ――これだ!」


 言うが早いか、ケン王子が手にした包みを解く。


 ――ワッ!


 猫人たちは、歓声と共にその瞬間を迎えたが……。

 すぐに、困惑の表情を浮かべることになる。

 何となれば……。


「お、おい……あれ」


「服……だよな?」


「ああ……長袖の、上着だ……」


 ケン王子が得意気に見せた物……。

 それは、暑さを和らげるどころか、より暑さが増すようにしか見えない代物だったのだ。

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