感知バー 後編

「――と、いうわけでだ。

 今日からは、この新型作業台と従来のそれを順次入れ替えていく!

 ちゃんと、正しい使い方をしているか、俺自らがパトロールして指導していくから、そのつもりでいるように!」


 ケン王子が、担当工区の猫人たちにそう告げたのは、ある日のことであった。

 動揺したのは、言いつけられた当の猫人たちである。

 何しろ……。


 ――別に今までの作業台でも、困ってないけどな。


 この一念が、あったのだ。

 何か作業をする上で、これまで使っていた作業台に、何らかの機能的不足があったわけではない。

 それを、いきなり一新するというのだから、自分たちが使用する道具に愛着を持つ者たちとしては、反発を抱くのが当然であった。


 それでも、そこは力のつく食事と、十分な休憩時間……。

 何より、灼熱地獄がごとき現場の中にあって、天国と呼ぶべき涼やかな休憩所を用意してくれたケン王子の言葉だ。

 ひとまず、新型の作業台とやらを使ってみる。


 使ってみて上がったのが、やはり、不満の声であった。

 何しろ、この新型……重量が増している。

 部品が増えているのだから、それは当然のことで、従来品よりも数キロは重さが増しているのだ。

 たかが数キロ。されど数キロである。


 常に二人一組で持ち運べるならまだしも、現場内での作業というのは流動的で、一人で作業台を持ち運ばねばならない状況というのは、ままあった。

 そうなると、数キロの違いがずっしりとのしかかってくるのだ。


 さらに……組み立てが面倒臭い。

 今までの作業台は、脚部を開いて立ててやれば、それで組み立て完了だった。

 しかし、ケン王子が言っていたように天板四方を囲む棒――感知バーまで展開するとなると、これが実に手間なのだ。

 無論、時間にすれば一分に満たないそれであることは、よく分かっている。

 だが、時間の感じ方というものは状況によって異なるもので、手際よく作業を進めていきたい中に、今までなかった行動が差し挟まると、たかが一分でも非常に長く感じられるのであった。


 唯一、感知バーの芯――手掛かり棒と呼ばれるそれだけは、昇降が楽になるため立てて使う者多数であったが……。

 そのようなわけであるから、完全に組み立てた状態で使う者となると、これが誠に少なかったのである。


 これを、ケン王子は見逃さなかった。


「はい、そこの君。

 面倒臭くても、感知バーはちゃんと展開して組み上げよう。

 ちょっとの手間が命を繋ぐ。

 命が惜しかったら、きちんと組み立てて作業するように」


 導入時の言葉通り、自らヘルメットと安全帯を装着し、現場内のパトロールへと乗り出したのである。

 しかも、ケン王子が注意する項目は多岐に渡った。


「おっと、ちゃんと感知バーを組み立ててるのは偉いんだが、こいつはあくまで危険を知らせる部品であって、物をかけたりするための場所じゃない。

 強度もそんなにないしな。道具をかけるのはなしだ」


 などと、自らが設計した新型の使い方について、注意するのみではない。


「おいおい、ちょっとこの辺、廃材やらゴミやらで散らかり過ぎだぜ。

 人間心理ってやつでな。汚れたり散らかったりしてる場所は、じゃあいいだろうと思ってついついゴミを捨ててしまう。

 で、それが積み重なると、収拾がつかなくなるわけだ。

 定期的……作業終了時がベターかな。

 掃き掃除して、きちんとゴミを片付けるようにしよう」


 このように、現場の清掃作業など、細やかなことにまで口を出すようになってきたのだ。

 こうなると、猫人たちも、段々と否定的な話をするようになってくる。


「なあ、ケン王子……。

 最近ちょっと、細かいところにまで口出しし過ぎじゃないか?」


「ああ、色々とやらなきゃいけないことも増えてきたしな。

 朝、健康管理のチェックシート書かされたり、トイレの清掃管理もシート書かなきゃいけなくなったし」


「まるで、あれこれと手順増やして、工事が遅れるように仕向けようとしているみたいだ……」


 そのようなことをささやき合いながら、それでも言われるまま、増えた手順で作業し続けた猫人たちであったが……。

 潮目が変わったのは、他工区の者たちと酒盛りをした日のことである。


 故郷を同じくする猫人たちであるが、このルタカ王国に来てからというもの、各工区ごとに半ば隔離された暮らしをしており、他工区の者とは交流する機会がほとんどない。

 しかし、時には郷里を同じくする者同士で集い、酒の一つでも酌み交わしたくなるのは人情……。


 実態はともかくとして、奴隷身分というわけでもなく、猫人たちはごく稀に、安酒を持ち合って宴席を開いているのだ。

 だが、せっかくの貴重な場だというのに、他工区の者たちは浮かない顔であり……。

 ケン王子が監督する区画の猫人たちは、何があったのかと聞いたのである。

 聞いて、驚いた。

 他工区で作業する猫人たちの環境は、かつての自分たちよりさらに悪化しており、また、労働災害と称すべき事故も激増していたのだ。


 相変わらず、死因として最も多いのは、ケン王子が熱中症と名付けた暑気あたりの症状であるが……。

 他に無視できないのが、作業台からの転落事故である。


 何しろ、従来の作業台は天板の上に乗ってしまえば、下を見る以外に端を確認する術がなく……。

 作業に集中しながらだと、どうしても転落したり、傾いて倒れてしまったりといった事故が起きていた。

 怪我をするくらいなら、まだいい方だ。

 中には、首の骨が折れて死んでしまったり……。

 ひどい時には、転落先が開口部で、そのまま十数メートル以上も落下し、無惨な死体へと変わり果てた者もいるという。


 ケン王子が監督する区画の猫人たちは、震え上がり、尻尾を縮こまらせた。

 確かに、他工区の猫人たちは見るからに衰弱しており、それが集中力や判断力を低下させているのも、事故の一因と思える。

 だが、事故というものは、気をつけていても起きるものであり……。

 ケン王子は、少しでもそれが減るよう努力してくれていたのだ。


 彼が監督する区画の猫人たちは、あらためて感謝の念を抱いた。

 彼個人に対する感謝のみではない。

 他工区の同胞たちには、気の毒すぎて話せないほどの好待遇……。

 自分たちの安全に配慮した新型機材……。

 それらがもたらされる区画に、たまたま配置された幸運にもである。


 感謝というものは、行動によって示すのが猫人の流儀。

 となれば、やるべきことは――。




--




「おお、いいね。

 ちゃんと組み立てて使ってくれてる。

 すごいな。今まではまちまちだったのに、今日はどこ見ても完全に感知バーを展開してくれてるぞ」


 灼熱地獄がごとき現場の中……。

 蒸し暑いヘルメットと、重たい安全帯の不快さに耐えて練り歩きつつ、俺は猫人たちにそう話しかけた。


「はいっ!

 オレたち、ようやく分かったんです!

 ケン王子が、オレらの安全を心から考えてくれてるんだって!」


「健康管理や清掃チェックも、考えてみれば、巡り巡っておれたちのためになることですからね!」


「この端具たんぐっていうのが大きくなったおかげで、乗ってる時の揺れも目に見えて減りましたし!」


「これからも、気づいたことがあれば、どんどん言ってください!」


「みんなで協力して、良い現場にしていくつもりです!」


 猫人たちの言葉に、俺は満足してうなずく。


「ああ、そう言ってくれて何よりだ!

 最初は面倒に感じるかもしれないが、全てはお前たちを思ってのことだ。

 そいつを分かってもらえて、監督冥利に尽きるぜ!」


 ――バカめ!


 ――増えた手順によって、どんどん工期が遅れるがいい!


 言葉と裏腹に、心の中で舌を出す。

 そうして、現場のパトロールを終え、私室に戻ると、一人事務仕事をしていたアンが顔を上げてこう言ったのだ。


「ケン殿下、おめでとうございます」


「おめでとうって、何が?」


 こいつの前で遠慮する必要もなく、上半身裸になってタオルでぬぐいながら、そう尋ねた。

 そんな俺に、銀髪の専属メイドは淡々と告げたのである。


「いえ、言ってみただけです」


「? あ、そう?」


 こいつが妙なことを言うのはいつも通りなので、俺は深く追求しなかったのであった。




--




 ケン王子に見えないよう、さりげなく手にしていた書類に別の紙片を上乗せする。

 そうして隠した書類に、書かれていた内容……。

 そこに記されていたのは、ケン王子の担当工区が、ますます他へ差をつけているのが分かる数字の数々であった。

 別段、こちら側のスピードが上がったわけではない。

 ただ、他工区は人員の損耗が多すぎ、勝手に工期を遅らせているのである。


 王位継承権が関わるこの建築レースにおいては、作業速度を上げるのと同じくらい、作業能力を低下させないことも大事ということであろう。


 ――今、殿下に知られてしまっては面白くないですからね。


 ――最高のタイミングで明かして、驚かせないと。


 銀髪のメイドは、胸中でそうつぶやいたのであった。

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