感知バー 前編

 ――作業台。


 俗に立ち馬とも呼ばれるこれらは、建築現場において、必要不可欠な機材であった。

 その役割は、高所作業をする上での足場……。


 立ち馬という俗称通り、折り畳まれた状態から組み立てれば、それは、四つん這いの馬がごとき姿となり、人が作業する足場――天板を上にする。

 そして、作業員たちはその天板に乗り、塗装や内装工事など……人間の身長では手が届かない箇所での作業に従事するのだ。


 故に、ルタカ王国の威信をかけたスタジアム建設においても、実に大量かつ、多種多様な大きさのそれが導入され、現場の猫人たちに使用されていたが……。

 忘れてはならない。

 それが仮に、一メートルの高さであっても、高所であることは変わらず……。

 そこには、常に死の危険が伴っているのだ。




--




 頭が集中できないのは、蒸し風呂にぶちこまれたようなこの暑さが原因か、はたまた、貧弱な食事しか支給されていないのが原因か……。

 いや、きっと、両方が理由であるに違いない。


 第一王子ミチカチの監督する工区で作業する猫人は、そのようなことを考えながら作業台を運び込んでいた。

 確か、アルミとかいったか……。

 近年になって発明された金属を主材料として使用されたこれは、見た目の割に軽い。

 だが、それはあくまでも、見た目の割にである。


 何しろ、折り畳んだ状態でも、寝そべった人間の身長と変わらぬ金属塊なのだ。

 必然、それなりの重量になるものであり、これを一人で上階に運び込むのは、それだけでかなりの重労働であった。


 だが、文句を言っていても始まらない。

 度重なる人身事故と、それに伴う工期の遅れに、監督者たる第一王子は怒り心頭であり……。

 一人当たりに課せられる作業量はますます増え、それを果たせなければ、食事を抜きにされてしまうのである。


 だから、一つ一つの作業を、手際よくこなしていかなければならない。

 まるで霞がかかったかのように集中できない頭で、それでも、作業の手順を確認した。

 と、いっても、大したことをするわけではない。


 この猫人は、俗に『はりや』と呼ばれる種類の作業員である。

 その仕事は、石膏ボードを取り付けること……。

 これまた、近年になって発明されたこの壁材は、安価でありながら断熱性や遮音性に優れ、もはや規模の大小を問わず、建築物には必要不可欠な存在となっていた。

 すでに一層目は取り付けられており、猫人が目にしているボードは、接着剤で貼り付けられた二層目である。

 今日の仕事は、仮止めとなっているこれに、タッカーと呼ばれる魔道具で針を打ち込んでいき、完全に固定することだ。


 ――バチリ!


 ――バチ! バチ!


 他に人のいない現場内へ、タッカーを打ち込む音が響き渡る。

 相変わらず、頭はもやがかかったようで集中できないが、この作業はもはや慣れたもの。

 考えるまでもなく、手が動いた。


 ――バチリ!


 ――バチ! バチ!


 タッカーが針を放出する心地良い音と、手応えとが、その猫人を一種の酔いへと誘う。

 ただでさえ、単調な作業であり……。

 そこに一定の音と感触とが加わり続けると、人の思考能力というものは、否応なしに低下する。

 しかも、この猫人は粗末な食事のせいで暑さにやられていたので、尚のことそれが加速していた。


 だから、これは必然の結果であったと言えるだろう。


「――あっ」


 ……と、口にした時には、もう遅い。

 何の気なしに後退した足は、すでに天板の外へと踏み出してしまっており……。


「――ああっ!?」


 後ろへ踏み出した足に重心を傾けていた猫人は、踏ん張ることすらかなわず、床へと真っ逆さまに落ちてしまったのだ。


「――げうっ」


 断末魔は、カエルが鳴いたかのごときものとなった。

 その猫人が最期に感じたのは、ヘルメット越しの強い衝撃と、首の骨があらぬ方向へねじ曲がる激痛。

 焼きごてが押し当てられたかのような痛みと、気道が潰れる息苦しさは、しかして、一瞬のものだ。

 首の骨が折れたその猫人は、ただちに意識を手放し……。

 誰もいない場所で転落した彼の肉体は、程なくして、生命活動を停止したのである。


 これは、この現場においては、ごくありふれた光景……。

 彼の死は、一労働単位の減少として、淡々と処理されることになるだろう。




--




「フッフッフ……。

 ファーッハッハッハ! 完成だ!」


 たった今、工場から私室に届けられた完成品……。

 それを目にした俺は、自らの天才性に酔いしれながら高笑いを上げていた。


「ケン殿下、突然バカ笑いなどし始めて……。

 元々気が触れているとは思いましたが、とうとう、それが露わとなりましたか」


「誰の気が触れているか!? 誰の!

 徹夜して設計した代物のサンプルが届いたんだから、高笑いの一つも上げさせろい!」


 俺に専属する銀髪メイド――アンの無礼極まりない言葉にツッコミを入れながら、問題のブツに視線を向ける。

 この、新型作業台……。

 こうして、天板を下にした状態で足を畳んでいると、従来のそれと、大して変わりないように思えた。


「この、脚部が地面と設置する部品……。

 少しだけ、大きくなっていますね」


 しゃがみ込んだアンが、伸縮脚の先端――人間でいう足の部分に触れながらつぶやく。

 これは、アルミと並ぶ最新鋭の素材――樹脂で出来ており、擦り減った場合は、交換も可能なように設計してある。


「ああ、端具たんぐな。

 せっかくだから、従来のものより大型化した。

 やっぱり、地面との接地面積が大きいほど安定するし、乗ってる時の振動も少なくなる。

 俺らみたいに、お試しでちょっと乗るっていうならともかく、一日中この上で作業するとなると、そういうちょっとした違いが、大きく疲労感を減らすんじゃないかと思ってな」


 言いながら、作業台を挟んで向かい合わせの姿勢となり、座り込む。


「………………」


 ふと、アンからじとりとした視線が向けられていることに気づいた。


「どうした?」


「そうやって、すかさずしゃがみ込んだ私のパンツを覗き込もうとするとは……。

 やはり、好色の子は好色。

 ケン殿下もまた、天下にその名を轟かせるむっつりスケベなのですね」


「その発想はなかったわ。てか、よそでそんなこと口にすんなよ?

 いいから、組み立てるの手伝ってくんない?

 お前の側から、先に脚部を上げないとだから」


「そうやって、片手でスカートを死守する私のガードを崩そうとするとは――」


「――目を逸らしているから早くしてくれ」


 言葉通りに明後日の方を見ていると、バネ式のロックを解除したアンが反対側の脚部を上げる。

 すかさず、俺も同様の手順で脚部を上げてやると、作業台は立ち馬ならぬ倒れ馬といった姿になった。


「まさか、言葉通り目を逸らしたままとは……。

 ケン殿下には、性欲というものがないのですか?」


「お前、俺をどうしたいの?

 ともかく、ここからが大きな改良点だ」


 言いながら天板を上にしてやり、立ち馬の俗称へふさわしい姿にしてやる。

 すると、否が応でも、取り付けられた新部品に気づく。

 それは、脚部の両脇に取り付けられた棒であり……。

 アルミ製の芯と、折り畳まれた樹脂製のバーとを備えていた。

 芯の部分は根本から百八十度回転させることが可能で、そうしてやると、天板の四隅に棒が屹立することになる。


「これを手掛かりとするだけでも、昇降が大分楽になるが……」


 折り畳まれた樹脂製のバーを、開いてやった。

 このバーは、向かい合わせ同士で、オスメスの取り付け用部品が備わっており……。

 これを結合させると、天板の側面が塞がれる形となる。

 さらに、樹脂製バー可動部には、金属製のピンが備わっており……。

 これを組み立てると、踏みざん側も塞がれるのだ。

 完全に組み上げた姿は、さながら――天板を足場としたリング!


「名付けて、感知バーだ!

 ハーッハッハッハ! 待っていろ猫人たち!

 面倒な手順とルールを増やしてやるぜ!」


「ケン殿下が楽しそうで、私も大変嬉しゅうございます」


 悦に入る俺へ、アンが無機質な声でそう告げたのである。

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