黄金の力 後編

 その日の業務終了後……。

 疲れた猫人たちに振る舞われた夕食は、とびっきりのご馳走――カレーライスであった。

 絶妙な配合をされた香辛料が織りなす、魅惑のハーモニー……。

 さらにそれが――おかわり自由!


 しかし、それすらどこか上っ滑りして感じられるのは、より楽しみなことが猫人たちに存在したからである――それはそれとして、多くの者がおかわりまでキッチリ食べたが。


 食事を終えた猫人たちは、そわそわと尻尾を揺らしながら、ケン王子が着席する机の前で列を作った。

 これより、行われるのは、一種の――儀式。

 およそ、全ての労働者が心待ちにしている至福の儀式なのだ。


「はい、これが今月の給料だ。

 ちゃんと、明細と実際の金額が合っているか、確認を怠らないようにな」


「はい! ありがとうございます!」


 まるで、勲章でも受け取ったかのように……。

 その猫人は、ケン王子が手づから渡した封筒を、大事そうに掲げた。

 そうすると、否が応でも、封筒の厚みというものが見えてくる。

 厚み……そう、厚みがあるのだ。


 無論、紙幣を帯で束ねるほどの分厚さではない。

 しかし、ぺらりと薄かったかつての封筒に比べると……確実に、中身が詰まっているのを視認できた。


 封筒を受け取った者たちが、思い思いの場所に散り、王子から言われた通り、明細と差異がないか確認していく……。

 そうすると、必然、封筒の中身が露わとなる。


「おおっ……」


 封筒を開けた猫人が、驚きの……それでいて、喜びに満ちた声を上げた。

 それも、無理はあるまい。

 中身は、二十数枚ほどの紙幣……。

 しかも、千リペカ紙幣ではなく、万リペカ紙幣なのだ。


 ――ざわ。


 ――ざわっ……! ざわっ……!


 ――ざわっ……!


 それを見た者たち……列を作って順番待ちしている猫人たちが、息を呑み、ざわついた。


「本当だ……」


「本当に、二十万リペカ以上入ってるぞっ……!」


「本当だって、お前、まさかケン王子を疑ってたのか?」


「疑ってなんかいねえよ……!

 いねえけど、こう、言葉で聞くだけじゃ、なんか現実感なかったっていうか……!」


「そうかもな……。

 でも、あれを見ればもう、疑えねえやな」


「ああ……。

 えーと、今まで、九一〇〇リペカでやってきたわけだから……」


「ざっと、二十倍以上か」


「今までの給料、一年分以上もいっぺんにもらっているのか……」


 列で言い合う猫人らをよそに、明細と実際の金額を確かめ終えた者らの反応は、劇的である。


「ううっ……」


 ある者は、涙ぐみ……。


「おおっ……!」


 ある者は、手にした紙幣を天に掲げ……。


「ありがてえっ……!」


 また、ある者は、率直な感謝を――おそらくはケン王子に向けて――つぶやいたのだ。

 彼らがそうするのは、無理からぬこと……。

 今は、全てが報われた瞬間なのだから。


 確かに、ケン王子のおかげで、食生活は大いに改善された。

 また、休憩時間も十分取れるようになり、空調服など様々な対策により、ルタカ王国の過酷な暑さも乗り切れるようになってきた。

 さらに、数々の施策により、作業時の安全性も確保された。


 だが、やはり……最後の最後、労働者を繋ぎ止めるものはといえば、金を置いて他にないのである。


「お、王子……本当にいいんですかっ……?

 こんな……こんな大金、貰っちまって……!」


 ある猫人が、封筒を受け取りながらもそう問いかけた。

 それに対するケン王子の返答は、明瞭なものだ。


「当然だ。

 これは、お前たちの働きに対する正当な報酬だよ。

 今までが低すぎた。

 どうか、許してくれ」


 ありがたくもそう言われれば、猫人としては恐縮する他にない。


「い、いえ……。

 ――ありがとうございます!」


 そう言って頭を下げ、彼もまた、中身を確かめる者らに加わったのである。




--




「これで、打てる手の全ては打ったな……」


 猫人たちに給料を渡し終えた俺は、そう言って、安物の折り畳み椅子に体重を預けた。


「幸い、明細と実金額に違いのあるやつはいないみたいだ。

 これも、皆の協力あってのこと……。

 ありがとうな」


 言いながら、背後を振り返る。

 そこに立っていたのは、マサハを始めとする俺派閥の王族たち……。

 俺は今回、彼ら自らの手で猫人たちの給料を算出させ、また、実際に封筒へ入れさせた。

 何故、そうしてもらったのか……自分でも、心の動きというのが分からない。

 ただ、間違いないのは、それが必要不可欠な……一種の通過儀礼であったことだろう。

 まあ、肝心の猫人たちには、どうも俺の姿しか映ってないような気配を感じたが……そこは、代表者の役得といったところだろう。


「それにしても、まさか、ここまで猫人の給料を上げることが可能とは思いませんでした」


 一同を代表して、アンがそう言い放つ。


「そこが、以前にも語った効率の利さ」


 そんな銀髪メイドに、人差し指を立てて語った。


「一つの陣営となって、資材から何からまとめて大量に発注するようになる……。

 そうなると、自然に割り引きってやつが発生するよな。

 最終的な発注量が同じでも、ちまちまと仕入れるのと、一気に仕入れるのじゃ雲泥の差があるってわけだ。

 まして、このスタジアム建設は一大事業……。

 その差額は、莫大なものとなる」


「そして、その差額を還元した結果がこれというわけか?」


 マサハの問いかけに、うなずく。


「結局のところ、働く人間をやる気にさせる最大の妙薬は金さ。これを置いて他にない。

 逆にいうと、金さえ積めば、相当に無理はきく。

 ま、危ないし無理はさせないけどな」


「つまり、危なくなく、無理じゃない範囲で、全力を尽くしてもらうと?」


「そういうことだ」


 メキワの問いかけにも、やはりうなずいた。


「あまり好きな言い方じゃないが、金は出しているわけだからな。

 その範疇内では、全力を尽くしてもらう」


「全力を尽くして、それで、ミチカチに勝てるのか?」


 最後に、マサハが念を押すように聞いてくる。

 同じように俺へ視線を向けるのは、他の王子たち……。

 なお、ミケコを始めとする王女陣は、猫人男性を主題とした薔薇妄想にお忙しいようなので、シリアスな雰囲気を保つためにも、描写から除外させて頂きます。あ、アンも加わった。


「まあ、見ていてくれよ」


 俺は、自信たっぷりにうなず――。


「――やはり、猫人総攻めでお兄ちゃん受け……これしかない」


「さすがです。ミケコ様」


 せっかく、除外してたのにい!




--




「ふん、こいつも死んだか……。

 まったく、猫人というのは根性がない連中だ」


 まるで、干からびたセミの死骸か……。

 苦悶の顔で倒れ、そのまま死した猫人の遺体を見て、ミチカチ配下の軍人はそう吐き捨てた。


「なあに、代わりなどいくらでもいる。

 ミチカチ殿下が、大量に猫人を狩り集めたおかげでな」


「ああ……。

 せいぜい、我が国の威信をかけたスタジアム建築へ、貢献するがいいさ」


「次の王族会議が、楽しみだ」


 蒸し暑いという領域を越え、もはや窯で焼かれるパンのごとき気分を味わいながらも、僚友と笑い合う。

 やがてくるミチカチ王の時代……。

 それを思えば、この程度の暑さなど屁でもなかった。

 土台、猫人ごときとは鍛え方が違うのである。


 現場内には、幾人もの軍人が入り込み、それぞれが猫人たちに監視の目を走らせていた。

 飴などというものは、必要ない。

 人も馬も、一方的に鞭を振るい続ければ、走り出すものなのだ。




--




 ケン陣営とミチカチ。

 あまりに対極的なあり方で、両者が工事を進める内……。

 ついに、その日――建設レース決着の日が、訪れたのである。

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