決着 後編
作業者のことごとくが引き上げ、ライトなどという気の利いたものも存在しない現場内は、暗く、不気味な空気が漂っている。
何か、この世ならざるモノでも潜んでいるような……。
これから出来上がり、完成していく建物であるというのに、廃墟もかくやという空恐ろしさがあるのだ。
だが、そのようなものを恐れるミチカチではない。
資材を載せた作業台車が、整然と並ぶ廊下の中……。
ただ、静かに……マグマのごとく燃え盛るものを胸中で醸成させながら、そやつが訪れるのを待った。
果たして……。
「よう、来たぜ」
待ち人――ケン・ヨーチ・ルタカが、臆することなくこの場に現れる。
ただし、距離は遠い……。
距離にして、およそ五十メートルといったところだろうか?
拳銃では、必中あたわぬ距離から、こちらにヘッドライトの光を向けているのであった。
そう、ケンが照明としているのは、ヘッドライトだ。
当然のように、それはケンが被ったヘルメットへ取り付けられており……。
それだけでなく、この弟は、安全帯と呼ばれる現場内での腰道具を装着している。
自分が、何のために呼び出したか……。
どうやら、それを察しているようなのに、まるで、これから安全パトロールとやらにでも赴くような……。
とてもではないが、争い事をする出で立ちではないのだ。
「よく来たな……。
わざわざ、距離を取っているところを見ると、オレがなんのために呼び出したかは、察したか」
「あのシンプルなお手紙から、猛烈な殺意が汲み取れたぜ。
……俺の命が欲しいんだな?
そんなことしたって、継承序列一位の座は転がってこないぜ?
首尾よく俺を殺せたとしても、その後、あんたが処刑されるだけだ。
代わりに序列一位となるのは、マサハ辺りかな?
あるいは、もう一回、何かで競い合わせるかも――」
「――そんなことは、どうでもいい!」
怒気と共に言葉を吐き出しながら、懐の拳銃を引き抜いた。
そのまま、ケンに向け、引き金を引く。
――チュイン!
……やはり、距離が遠いか。
放たれた弾は、ケンのすぐそばへ停められていた作業台車に当ったようだ。
「おお、怖い怖い……。
それじゃあ、よーいスタートだぜ」
そう言ったケンが、素早く台車のブレーキを解除し、こちらに向かって蹴り出す。
「それで、足止めしたつもりか!」
ケンに向かって駆け出しながら、あっさりとこれを回避する。
「……ついてきな」
ケンは、そんな自分に構うことなく……。
ゆるりと、その場を歩き去ったのであった。
「逃がすか!」
猛然と駆け抜け、ケンの後を追う。
なぜ、ちんたらと歩いているのかは分からない……。
ただ、このままいけば、あっさりと追いつけるだろう。
--
「ちっ……!
どこだっ……!?」
結論から言えば、すぐに追いつけるという考えは、大間違いであり……。
ケンの姿を捉えるどころか、自分の現在地さえ把握できないような状況へと追い込まれていた。
様々な資材に加え、作業台や台車などが安置された現場内は、未完成ゆえの無機質さが漂っていることもあって、さながら迷宮のごときであり……。
その中で、時にライトを消して隠れ潜まれれば、見つけ出すのは困難を極めたのだ。
対するこちらは、そのまま鈍器としても使える軍用のライトを左手に……。
そして、右手では、相変わらず拳銃を構えながら、さまよい歩いていたが……。
ふと、階段へ差しかかったところで、上階から奴の声が響く。
「おいおい、口ほどにもないな。
――こっちだ」
「――うぬっ!」
――からかわれている。
――手玉に取られている。
その事実へ怒り狂いながら、階段を駆け上る。
そして、上の階へと出たのだが……。
「――ぬうおっ!?」
すぐに、つまずき、転倒してしまう。
駆け上がった先の階は、これまでと違い、床というものが出来上がっておらず……。
勢い込んで駆け出した先は、無数の鉄筋が、ブービートラップめいて上へと突き出していたのである。
「――ぐうっ!?」
さすがに、鉄筋の先端は尖っていない。
しかし、これらへ向けて思い切り倒れたのだから、平気というわけにもいかず、苦悶の声を漏らした。
「……足元に注意しろ」
いつの間に、そちらへ行っていたのだろうか……。
別の階段――現場内には、いくつもの階段が存在する――へと辿り着いていたケンが、下へと降りていく。
「――おのれえっ!」
この程度の痛み、軍の訓練を思えば……!
ミチカチは、再び駆け出したのである。
--
――忌々しい。
ミチカチは、このスタジアム建築現場というものに、早くもうんざりとしていた。
整然と……しかし、通路内に所狭しと置かれている台車や作業台も、ところどころへマンホールじみて敷かれている妙な鉄板も、その全てが腹立たしい。
こんなもので、次代の王を決めようとした父の考えが、到底理解できなかった。
再び、ケンの姿を捜しながら、さまよい歩く。
それが降り注いできたのは、広々とした空間――いずれ、なんらかの設備が収まるのだろう場所である。
――バチイッ!
「――うおおっ!?」
密閉されているのかと思ったが、隙間があったのか……。
柱が立っている場所の天井部から、いくつもの火花が己へとこぼれ落ち、髪と皮膚を焼いたのだ。
「――ぐああっ!?」
自分の肉体が焼ける激痛に悲鳴を上げながら、その場を転がる。
火花が収まり、代わって降ってきたのはケンの声だ。
「……頭上に注意しろ。
立ち入り禁止の区画表示もしていたぞ」
「――貴様あっ!」
どこまでも、こちらを愚弄してくれる……!
痛みを怒りによって克服し、上階へ繋がる階段に向け駆け出した。
--
なるほど、日頃の安全パトロールとやらを通じて、現場内には熟知しているのだろう。
こちらを欺くケンの手腕はなかなかであったが、そこは同じ人間だ。
暗い現場の中、明かりなしで進むことなどできず、移動しようとするならば、必ずライトの点灯が必要となる。
そして、ついにミチカチは、ケンのヘッドライトが発する光を見つけ出したのであった。
「――ケンッ!」
まだ、距離は遠い……。
確実に拳銃を当てるべく、その光に向かって駆け出す。
もう、逃がさない。
今度こそ、確実に追い詰め、銃弾を食らわせてやるのだ。
幸い、通路内は例のマンホールめいた鉄板がそこかしこにあるくらいで、作業台車や資材など、走行の邪魔になる物は存在しない。
一歩、一歩、力強く足を踏み出して走ったが……。
ズルリとした感触が、足元から伝わってきた。
「――え?」
同時に感じるのは、浮遊感……。
ふと、足元にライトを向ければ、たった今、踏み込んだはずの鉄板がズレ出しており……。
その先にあるのは、漆黒の……何も見えない空間だった。
――このような深い空間が、足元に存在した!?
あの、あちこちに存在した鉄板……。
それが敷かれていた真意へと、気づく。
だが、時すでに遅し……。
体勢を崩した上、両手に物を持っていては、とっさにふちへしがみつくこともできず……。
「――うあああああっ!?」
重力に導かれた体は、遥か下方へと落下していき……。
そして、意識が途絶えた。
--
ミチカチが駆け出して行った先の後方……。
囮として、テープで貼り付けといたライトと正反対の場所から、そこに向かって歩く。
そして、あらかじめいくつかズラしておいた開口
その下に広がるのは、ライトでも底まで届かない漆黒の空間……。
まず、助かることはないだろう。
「最後に教えてやる。
――現場の中で、走るな」
答える者は、おらず……。
俺は、ゆっくりと……重たい
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