ケン・ヨーチ・ルタカは眠れない(事実をありのまま端的に述べたサブタイトル) その3

 時に女と同衾どうきんし、寝過ごしてしまう朝もあるが……。

 それ以外の場合において、ミチカチ・ラッカ・ルタカの朝は――早い。

 日が昇るのとほぼ同時に、バネ仕掛けのごとくベッドから起き出し、洗顔や髭剃りなど、欠かせぬ朝の身支度へと移行するのである。


 その後は、朝食だ。

 他の王族たちと異なり、ミチカチが朝食をとるのは、大体において王宮内に存在する近衛兵用の食堂であった。

 そこには、自らが腹心として登用している士官たちが先んじて集まっており……。

 ここで、ボリュームと味の濃さに定評のある食事を食べながら、部下たちとのコミュニケーションを図るのである。


 朝食後に赴くのは――スタジアム建築現場だ。

 以前まで、ミチカチは現場に対してほぼ無関心であった。

 軍の伝手を使い、猫人共の大増員を行って以降は、せいぜいが必要な書類にサインをするくらいで、派遣した配下が監督するに任せていたのである。


 今は、違う。

 相変わらず、将来を見込んでの顔つなぎがあるため、終日というわけにはいかぬが……少なくとも、朝は必ず立ち寄ることにしていた。

 そこで、ミチカチを出迎える者たち……。

 それは、間違っても下賤な猫人共ではない。

 鍛え抜かれたルタカ王国軍の部隊――ミチカチ親衛隊と呼ぶべき兵士たちである。


 彼らはいずれも、最新式の小銃に加えて、警棒など手加減が容易な武装を所持しており……。

 必要な時には、容赦なくそれを振るうよう命じてあった。

 振るうべき対象は、言うまでもない……ミチカチの現場で働く猫人共だ。

 だが、実のところ、それらが実際に使われる機会は少ない。


「ありがたくも、ミチカチ殿下が見ておられるぞ!

 ヘタレた姿を見せるでないわ!」


 兵士の一人がそのようにすごむと、うつむきがちに持ち場へ歩いていた猫人が、一瞬、怯えた様子を見せた後……。

 しゃきりと背筋を伸ばし、緊張した表情で歩くようになるのだ。


 そのような光景は、現場のそこかしこで散見された。

 少しでも、手を抜いたりしようものならば、それを見咎めた兵士が鋭く叱責する。

 まして、勝手に休息するなどは厳禁で、こればかりは警棒などが情け容赦なく振るわれ、猫人共に再び痛みを思い出させた。


 今、ミチカチの現場を支配するものは――恐怖。

 支配者たる自分と、その力に……猫人共は心から畏怖し、従属しているのだ。

 厄介者でしかない難民共が、そうして頭を垂れる姿は、実に心地良い。

 ミチカチは大いに満足し、この場を預ける中佐と言葉を交わす。


「実に良い感じだ……。

 しかし、これだけの兵を常駐させるにあたっては、貴様に随分と世話をかけてしまったな」


「なあに、大したことはありません。

 上には、いざ難民共が暴徒と化した際に対応するための訓練ということで、話が通っています。

 軍としても、殿下に正統な王位継承者となって頂くことは必須事項……。

 いかなる協力も惜しまないことでしょう」


「――大変結構!

 では、ここは任せたぞ!

 オレはいつも通り、顔つなぎに行かねばならぬのでな!」


 中佐にそう言い残し、現場を後にする。

 ミチカチを待ち構えていたのは、部下が運転する魔動車であり……。

 開かれた座席への歩みは、栄光ある未来への歩みそのものと思えた。




--




 俺の朝は――超早い。

 何しろ――寝ていない!

 寝ていない以上は、朝が訪れれば自動的に目覚めているということになる!


「あー……。

 うあ……!」


 全身の関節はバッキバキ。

 もはや意識が朦朧とし、死んだ爺ちゃんの幻覚とかが見え始めた状態で、なおも手と脳を働かせる。

 いや……もう、頑張る必要はないか。

 俺、疲れたよ……。


 ――バシイッ!


 とろりとまぶたを閉じそうになった俺だが、それを、背中へ走った激痛が遮った。


「――あぎゃあっ!?」


 悲鳴を上げながら、飛び上が――ろうとしたが、それはかなわない。

 何しろ、俺の下半身は革ベルトで厳重に椅子へ拘束されており……。

 ついでにいうと、鞭打ちの威力を最大限に高めるべく、上半身は裸となっているのである。


「……ケン殿下。

 まだ、再編した自陣営の実行予算書は完成していません。

 それが完成するまでは、このアン……心を鬼にして鞭を振るわせて頂きます」


 ――バシイッ!


「――うおぎゃあっ!?

 いや、なんでもう一回叩いた!?

 ぜってーぶっ叩きたいだけだろ! てめえ!」


「アン。

 背中側の傷はもう十分だから、今度は前側の作画資料が欲しい」


「承知いたしました」


 椅子の上で体育座りし、膝をイーゼル代わりにスケッチしていたミケコがそう言うと、鞭を手にしたアン――何故か目元が隠れるマスクを装着している――が、俺の前方へと移動した。


「え?

 ちょ……待っ……!」


 そして、俺の懇願は無視し――鞭を一振り!


 ――バシイッ!


「――うわぎゃおっ!?

 ……ミケコ! てめーの作画資料目的で、実の兄に鞭を振るわせるんじゃない!

 これ、マジでメチャクチャいてーんだからな!」


「必要なこと。

 それに、お兄ちゃんもこれで目が覚めた」


 椅子の上で体育座りした妹が、スケッチブックに走らせる鉛筆は止めないまま淡々と語る。

 どうでもいいけど、お前、スカートでそんな座り方してるとパンツ見えるぞ?


「――交代の時間だ。

 ふむ……まだ舞えるようだな」


「ですが、痛みで覚醒させるにも限度があります。

 いざとなったら、容赦なくこのスーパードリンクを投与しましょう」


 そんなやり取りをしていると、マサハとメキワが二人揃って俺の部屋へ姿を現わす。


「おや、もう朝礼の時間でしたか?」


「なら、わたしたちはもう帰って寝る。

 寝不足は美容の天敵」


 アンと、いつの間にか普通に椅子へ座っていたミケコが、そう言って部屋を後にする。

 そんな二人には目もくれず、俺が視線を注ぐのは――メキワが手にした手提げ袋だ。


「あー……ドリンクら……。

 翼の生えるドリンクなのら……」


「どう、どう。

 落ち着け。まだ飲むには早い」


「そうですよ。

 これは本当に、いよいよという時になったら飲むものなのですから」


 ヨダレを垂らす俺の拘束が、兄弟たちの手で解かれていく。


「では行くぞ!

 一日の始まりだ!」


「本日の作業工程表に関しては、すでに用意してあります。

 車の中で目を通して下さい」


 二人に連れられ、俺は自室を後にした。

 これから向かう現場でせねばならないことは、多岐に渡る。

 まずは、朝礼……。

 ここで一日の作業や、立ち入り禁止区画の周知などを行わなければ、危なくて作業などさせられない。


 次いで、現場内の巡回だ。

 以前から俺の工区で働いていた者はともかく、他から混ざった者は、まだまだ安全意識が足りない。

 感知バーの正しい使用など、俺自らがパトロールして徹底させていかねばな。


 午後になってからは、俺の陣営に加わった王族たちと打ち合わせだ。

 ついでに、ここで彼ら彼女らにも送り出しと呼ばれる教育を行っている。

 今はまだ、知識不足により、マサハとメキワくらいしか、現場内に立ち入らせられないが……。

 いずれは、俺と同様に監督組織として機能してもらう予定であった。


 打ち合わせ後は、再び現場の巡回を挟んでから王宮へ戻り、作業工程表の制作など、翌日の準備を行う。

 これに関しては、マサハとメキワも手伝ってくれるので、多少は負担が軽減されている。

 そして、二人が就寝する時間になったら、アンとミケコが監視役を交代し……原価管理のお時間だ。


 ――原価管理。


 早い話が、材料費や人件費を始めとするコスト管理である。

 何事も、予算を割り振らなければ回らないもの……。

 俺の陣営は、急に一つの組織として再編したため、この管理が喫緊きっきんの課題となっていた。

 全体の予算を一つにまとめ合わせ、その上で、適切な配分を新たに行わなければならないのだ。


 これ以上、工事を止めることはできないため、現場を回しながらの並行作業となる。

 一刻も……。

 一刻も早く実行予算書を完成させ、全体の見通しを立て直さなければ……!

 さもないと、見切り発車中の現場は、近い内に大混乱へ陥ることになるだろう。


 もう、何日寝ていないだろうか……。

 でも、大丈夫!

 俺には、合間合間に飲んでるスーパードリンクがついているんだから!


 ――バシイッ!


「――はうぎゃあっ!?」


 ……それと、アンの振るう鞭も。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る