玉掛け その3
ツスルといえば、竜に滅ぼされた故国では、それと知られた職人の一人である。
専門としているのは、鍛冶……。
鉄骨を始めとする各種金属の加工や取り付けであり、いわば、現場における華形であった。
その特性から、他の様々な仕事に対する
ほぼ最年長であることも相まって、自然、割り当てられた工区の長と呼ぶべき地位に祭り上げられたのである。
もっとも、祭り上げられたところで、何ができるわけでもない。
この現場……ルタカ王国のスタジアム建設現場は、地獄だ。
暑い中、ろくに休憩もさせず、満足な食事を配給しないのもある。
だが、それらを総括すると、とにかく金を回してこないという結論にたどり着く。
命を守る安全帯すら、全員分は支給されておらず……。
極めつけは、玉掛けに使うワイヤーの消耗であった。
汗をかいている――油が内部から染み出している――のは、当たり前。
工区のワイヤーは、ことごとくが断線や錆びなどの症状に見舞われており、キンクしたものですら、使わなければならないのが現状だったのである。
これでは、安全な作業などできるわけもない。
ゆえに、金を回さなかった元凶――あの太りに太った王子が目の前で首を失い死んだ時は、心の底から喜びが湧き起こったものだ。
だが、しばらくして、またそれは絶望に変わった。
タコ部屋に押し込まれて暮らしている猫人たちであるが、他工区の者たちと交流が皆無かといえば、そのようなことはない。
ごく稀に、安い給金でも買える風味も何もない酒を持ち合い、愚痴を言い合う機会もあるのである。
そこで交わした言葉を鑑みれば、地獄であるのはツスルたちが配置された工区のみではなく……。
どうやら、ルタカ王国における建設業界そのものの体質であると見えた。
そもそも、王子たちが監督をするようになったのは、かなり最近になっての話であり……。
結局のところ、ルタカ王国人というのは、哀れにも国を追われた猫人たちのことを、使い潰せる労働力としか見ていないのだ。
だったらだったで、せめて必要な資材くらいは金をかけてもよさそうなものだが、成金というのが変なところでケチくさいのは、どこでも同じであり……。
魔石鉱脈発見により、急激な経済発展を遂げたルタカは、国そのものがケチな成金なのである。
だから、監督する王子が変わると聞いた時も、恨む相手が変わるだけのことと思っていたのだが……。
その日を境に、ツスルたちの環境は激変した。
まずは――食事。
米という馴染みのない……それでいて飽きのこない美味な主食に加え、汁物とおかずが必ずついてくる。
これまで、薄い麦粥ばかり食わされていたツスルたちだったので、中には喜びのあまりがっつき過ぎ、弱った胃が受け付けず酷いことになった者もいた。
続いては、暑さと疲労への対策。
寝床となるタコ部屋や、食事などで使う小屋には、冷房と呼ばれる魔道具が設置され……。
食事時以外にも、午前と午後で三十分ずつの休憩が許され、更には、ケン王子が考案したという特製ドリンクも飲み放題である。
何より――空調服。
初めて袖を通し、起動してみた時、こう思ったものだ。
――ケン王子というのは、神か!
……と。
背面から吹き込んだ風の流れが、上半身全体を心地よく撫でていく……。
現場の中は相変わらず蒸し暑く、ただ立っているだけでも、じわじわと汗が流れ出る有り様だったが、これを着ていれば、それがかなり軽減される。
空調服を着る前後の世界というのは、もはや別物といって差し障りなく、中には「ずっと着ていたい」などと言い出し、涼しい休憩所の中でさえファンを回しっ放しにする者までいるほどだった。
安全帯は、古く状態の悪い物は総取り替えとなった上、全員に支給。
腰へ差す道具も、申請すればその通りの品が翌日にはもたらされる。
まさに――至れり尽くせり。
――この新しい監督ならば。
――ケン王子ならば。
ツスルは、先日の災害が起きた外構部……ようやくにも片付けが始まった無惨な現場を眺めながら、そのような思いを抱いたのであった。
だから、現場の巡回――リョーオーとは違い、きちんと装備を身に着けている――に訪れたケン王子の前で、聞いて欲しいことがあると、
まだ若く、二十を超えたかどうかという第22王子は、これを快諾し……。
涼やかな休憩所の中、自分と対面してくれたのである。
ただし、訴えは聞くことすらなく遮られた。
聞く耳を持たなかったからではない。
逆だ。
彼はまっすぐにツスルの目を見つめ、こう言ったのである。
「お前の訴えたいことは予想できているが、それを聞き入れるつもりはない。
……何故なら、俺はもっと徹底的に、かつ、抜本的に問題を解決するつもりだからだ」
そして、立ち上がるとさらにこう続けた。
「そもそも、だ。
今回の件は、リョーオーがケチだったのが原因だとしても、全体的に玉掛け作業の事故が多過ぎる。
例えば、重量の目算が甘く、クレーンが故障したり、転倒してしまう……。
例えば、ワイヤーのかけ方が悪く、荷が滑り落ちてしまう……。
他には、玉掛けそのものは無事に終了したものの、その後、
ケン王子が、指を折りながらすらすらと語る。
「と、いうわけで、このスタジアム建設を始めてから今までで、玉掛け関係の災害数は、ひのふの……数えるのはやめよう。面倒臭い。
いずれにせよ、確かなのは、そんなにホイホイ起こっていい災害ではないということだ。
玉掛けというのは、性質上、重大な災害になりやすい。
リョーオーの件は、それが顕著に出たものと言えるだろう」
そこで王子が、再びまっすぐにこちらを見た。
「さて……そこで、どうしたらいいと思う?」
「どうしたら、と、言いますと……。
私には、ちゃんとした状態の道具を使い、適切な指示で作業をするとしか……」
「もちろんだ。
だが、漠然とそう指示するだけじゃ、基準が生まれない。
基準がなければ、結局は熟練者の判断に全てを任せることになる。
だが、人はどれだけの熟練者であろうとも、ミスをする。
また、熟練者でも判断し難い場面というのが、当然出てくるだろう。
だから、基準がいる。
しかし、今、それはない」
ケン王子が、ニヤリと笑う。
「ないなら、作っちまおうじゃねえか」
ツスルの背に走ったのは、電撃的な衝撃である。
この王子は、ただ現状を良くしようとしているのではない……。
これから先の未来、現場で働く者たちのために、新たな範を設けようとしているのだ。
何と……。
何と、思慮深きことか!
ただ、道具だけ新しくしてもらい、後は勘と経験で補おうとした自分が、恥ずかしくなる。
そして、そんな自分に、彼はありがたき言葉を授けてくれたのだ。
「ここには、経験豊かな職人がいる……。
金と裁量を持った若者がいる……。
どうやら、必要なもんは揃ったみてーだな」
瞬間……。
ツスルに湧き起こったのは、高揚感である。
――間違いない。
――これは、職人として最後の大仕事となる。
そして、目の前にいる王子は、そんな大事業の相方に、自分ごときを選んでくれたのだ。
これに応えずして、男であるものか!
不敵な笑みを浮かべる青年に、ツスルは心からの忠誠を誓ったのであった。
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