玉掛け その4
この世で、最も美味いもの……。
それは何かと問われれば、様々な料理が挙げられることだろう。
例えば――ステーキ。
例えば――ハンバーグ。
中には、新鮮な野菜のサラダこそ一番だと言い張る者もいるかもしれない。
しかしながら、料理や酒の美味さというものは、シチュエーションによって大きく変化するものである。
目の前に上等な肉が最適の焼き加減で提供されていても、食卓を挟む相手が気にくわぬ相手では、これは味が半減するというものだ。
そのようなわけで、シチュエーションという要素まで加味した場合、ここに一つの解が導き出される。
この世で最も美味いもの……。
それは、平日の昼間から飲む酒を置いて他にない。
それを求めた猫人たちが集っているのは、職場であり、寝食の場でもあるスタジアム建設現場からほど近い安酒場であった。
壁も何もなく……。
店としての体裁をなしているのは、大型のタープテントのみ。
更地の上にこさえられたここは、ケン王子が肝入りで用意したものだ。
働いているのは、猫人の娘たち……。
彼女らもまた、竜に滅ぼされた故国から、ここルタカ王国へと流れ着いた難民である。
スタジアムや、その周辺に存在する再開発地区で働く男たちと異なり、彼女ら猫人女が住み込みの職場として選んだのは、各種の工場だった。
そこでの生活もまた、かなりの過酷さだという。
――悪いな。
――俺の裁量で救えるのは、この人数が精一杯だ。
ケン王子は自嘲気味に笑いながら、十数人の猫人女を工場から引き抜き、ここの従業員として雇ってくれたのである。
……まあ、明らかに十代から二十代の年若く見目の良い娘ばかり引き抜いているし、どう考えても露出過多な改造メイド服を制服として支給しているのだが、その方が猫人男たちにも嬉しいのでオールオッケーだ。
「「カンパーイ!」」
ともかく、せっかく酒場を用意してくれたのだから、これを利用しないのは損というもの……。
ケン王子が元から担当していた工区の猫人や、元リョーオー担当工区の猫人たちは、昼間からこぞって店に押し寄せ、安酒の入ったジョッキを打ち合わせていたのであった。
「いやあ、こんな酒場を作ってくれるなんて……。
さっすが、ケン王子は話が分かるう!」
何しろ、さとうきびの搾りかすなどを原料とした質の悪い蒸留酒である。
早くも酔いが回ってきたのか、猫人の一人がそう言いながらジョッキを掲げた。
「壁も何もないのは、素っ気ないけどな。
やっぱり、急に作るとなると難しいのかな?」
「それもあるだろうけどよ。
そもそも、この空き地は、いずれ商業施設だか、ホテルだかになる予定らしいぜ?」
「あー、そりゃそうか。
スタジアム造って終わりってわけじゃなく、観光客呼び込むための場所もいるもんな」
「そうそう。
そうなった時、すぐ他の場所へ移動できるようにテント型にしたんだと」
「お前……えらい詳しいな?」
問いかけられたその猫人は、従業員である猫人娘を……正確には、その非常に短い丈のスカートを目で追いながら、口を開く。
「へ、へへ……。
実はよ。妹が工場で働いてるから、引き抜くかわいい子のリストを作らせて王子に提出したのよ。こっそりとな」
「じゃあ、ここで働いてる娘を選ぶのに噛んでたわけか?」
「まあな……」
でかい声で行われていた会話は、いつの間にかひそひそ話へと転じている。
そして、秘密を打ち明けられたその猫人は、顔を寄せて頭頂部の耳へこうささやいてやったのだ。
「お前……ナイスだぜ」
「へへ……だろ?」
悪い顔をする男たちに歩み寄ってきたのは、空のトレーを手にした猫人娘であった。
「ちょっと、お兄ちゃんたち……。
昼間っから酒飲んでるけど、工事はどうしたの?
あたしたちを助けてくれたケン王子のために、死に物狂いで働きなさいよ」
「おっと、怖い奴がやってきやがった」
どうやら、十代半ばだろうこの娘が噂の妹なのだろう。
兄と呼ばれた猫人が、おどけた仕草で答える。
「でもよ?
これは、ケン王子自らが宣言した休みなんだぜ?」
「そうそう。
こないだ、すげえ太った王子がでかい事故で死んでさ。
同じような事故が起きないよう対策を練るまでは、休業するんだと」
「しかも……しかもだぜ?」
男二人、顔を見合わせた。
その上で、声を揃えてこう言ったのだ。
「「休みなのに、給料が出る!」」
男同士で、気持ちの悪い笑みを浮かべ合う。
「こいつは、飲むしかないってもんだ!」
「ああ!
ケン王子サイコー! サイキョー!
おれ、一生あの人についていくぜ!」
そんな猫人男たちを、改造メイド服の猫人娘はあきれた様子で眺め……。
「もう……。
だったら、その対策ってのができたら、しっかりそれを守って、王子のお役に立たなきゃ駄目なんだからね?」
「へいへーい!」
「まだラブレターの返事もらえてない妹が、王子からイイ返事をもらえるようにがんばりまーす!」
「――っ!?
ちょっと! なんで知ってるのよ!?」
その言葉を聞いた妹が、顔色を変え、ついでに耳と尾をピンと立てる。
これは、猫人が威嚇をする際の特徴であった。
「べっつにー。
たまたま通りがかって、こっそり見てたりなんてしませんー!」
「――んのっ! クソ兄貴!」
妹が、兄たる猫人に掴みかかる。
気づいた周囲が、やいやいとはやし立て……。
実に楽しい酒の席となった。
--
「ふうん……。
あらためて並べると、玉掛けのワイヤーと一言に言っても、色々と種類があるんだな。
確か、この輪が玉に見えるから玉掛けっていうんだっけ?」
――重大な災害が、これ以上起きないように対策を練るため。
……いかにも、もっともらしい名目を得た俺は、これ幸いと稼働を停止させた現場に訪れていた。
供としているのは、筆記役のアンと、今回の対策作りに協力してもらう熟練鍛冶職人――老猫人のツスルである。
ツスル老人は、地面に並べたワイヤーを指差すと、それぞれの特徴を述べ始めた。
「普通より、ラングより……。
アイスプライスに圧縮止め。
同じアイスプライスでも、かご差しに巻差し……。
その他、素線の数や心綱の数など、多種多様でさ。
それで、王子がおっしゃった通り――」
ツスル老人が、ワイヤーの一つを手に取る。
そして、先端部の輪を指差しながら続けたのだ。
「――ここの輪が玉に見えるから、というのも語源の一つですが、他にも色々ですね」
「さっきから、玉、玉と……。
まったく、卑猥極まりないですね」
いつものメイド服姿ではなく、作業着の上から空調服を着込み、ヘルメットと安全帯も装着したアンが、無機質な表情でそう告げる。
「悪いな、アン。
今は真面目な話をしているんだ。
それで、リョーオーが死んだ事故の原因は、確か……キンクっていうんだっけ?」
俺の言葉にうなずいたツスルが、ワイヤーの一本を手に取った。
彼が手に取った箇所……。
ワイヤーの中ほどにあるその箇所は、なるほど、見るからにワイヤーを構成する素線が
「キンク……。
ワイヤーを解いている時や引き伸ばしの際、ミスによりワイヤーが輪となった状態のまま作業すると、このような傷み方をします。
こいつは最悪の傷み方で、それを無理に使うとあのような事故が起きるのです」
「それでも、使わざるを得ない状況に追い込まれたお前の苦悩……察するぜ。
職人として、断腸の思いだったんだろうな」
まあ、断たれたのは腸じゃなく、リョーオーの首だったわけだが……。
そんなギャグをかましても仕方がないので、真面目な顔で締めた。
「もったいないお言葉……。
他にも、ワイヤーの傷み方にはいくつも種類がありますので、あらためて解説しましょう。
何しろ、ここは傷んだワイヤーの見本市みたいな現場ですから」
自嘲気味に笑ったツスルが、断線や摩耗、潰れなど、それぞれの傷み方について、実際の品を手に取りながら解説していく。
更には、日を改め、他の猫人も交えて玉掛けの実演――当然、新品のワイヤーでだ――なども行ってもらいつつ、俺はツスルに語った基準……。
技能講習について、内容を固めていったのである。
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