玉掛け その5
着ている野戦服も、履いているブーツも、過酷な訓練による痛みや汚れにより、風格を得ており……。
それらをまとっているのもまた、軍属かくあるべしといった風体の偉丈夫である。
筋骨隆々とした肉体は、全身くまなく凶器として鍛えられているのが明らかであり、金髪は短く刈り上げられ、飾り気というものを一切感じさせない。
ルタカ王国第一王子――ミチカチ・ラッカ・ルタカは、鷲のように鋭い瞳を走らせながら、王宮内の自室に向かって歩いていた。
腹心ら――軟弱なメイドではなく、軍の士官たちを選抜している――を引き連れ、王宮内を歩いて感じるのは、明らかに兄弟姉妹間のパワーバランスが変化しているということである。
これまで、ミチカチに対し媚びを売るような目線をくれていた者たち……。
そやつらの、へりくだった態度が変わったわけではない。
だが、感じるのだ。
下手に出てはいる……。
顔色がうかがわれている……。
しかし、真にそうすべき対象が別に出来つつあると、胸中でそう考えているのが伝わってくるのであった。
彼らが、新たに媚びを売るべき対象とした見い出した男……。
それは、つい最近まで継承順位において遥か下だった弟――第22王子ケン・ヨーチ・ルタカである。
そう、つい最近までは、継承順位において話にならないほど下であった。
ゆえに、王宮内で目立った存在ではなく……。
数いる妾腹の王子が一人として、居ても居なくても変わらぬような扱いを受けていたのだ。
今は、違う。
先日行われた王族会議において、あやつは現時点での継承序列一位となった。
加えて褒美として多額の金を与えられたのだから、王宮内の臣下らが目を付けるのは当然の成り行きである。
例えば、難民の管理を請け負っている者は、猫人向けの酒場を開きたいというケンの馬鹿げた要求に応えた。
猫人女が働く工場へ強力に働きかけ、十数人の綺麗どころを引き抜いたのである。
他には、スタジアム周辺の再開発予定区域の管理を任されている者が、期間限定とはいえ、青空酒場の営業へ許可を出したりしていた。
いずれも、かつてのケンならば、話を聞くことさえしなかっただろう。
――最も次の玉座に近い男。
――ならば、その要求に応え、覚えをめでたくしておきたい。
……そのような心理が働いているのは、明白なのである。
「ケンめ……。
飛ぶ鳥を落とす勢いとは、まさにこのことよ。
今や、王宮内に存在する大臣共の半数以上は、いかにしてあやつへ取り入るかを考えている。
それに、どうやら、建設競争へ勝てぬと見た弟や妹共の何人かも、あやつへ同調することを考えているようだ」
自室のドアを乱暴に開くなり、腹心らにそう愚痴をこぼす。
世間一般では、武辺一辺倒の男と思われがちなミチカチであるが、様々な軍事書から、情報取集の大切さというものを学んでいる。
そのため、軍部の諜報機関には幼い頃から私費を投じてきており、彼らの手によって、ミチカチの元には常に新鮮な情報が届けられるのだ。
「何か手を打ちますか」
――暗殺。
……暗にその意図を言葉に含ませながら、腹心の一人がそう尋ねてくる。
ミチカチとしても、それが出来るならそうしたいところはあった。
実際、かの日の王族会議においては、言の葉にはしないまでも、ケンに対して「殺してやるぞ」と宣告しているのだ。
しかし……。
「何か妙なことをして、父上に目を付けられては面倒だ」
ミチカチの中にある冷静な部分が、そう告げて自身と部下とを止める。
また、まだこやつらには聞かせていないが、ミチカチはある情報を掴んでいた。
「それに、ケンの奴めは、今、リョーオーが死んだような事故が発生しないように対策作りをしている。
面白いのは、それが完成するまでの間、全ての工事を中止させているということだ。
どうも、資材の吊り上げ……玉掛けというんだったか?
それに関わる者だけ休ませるというのでは、不公平という考え方のようだな」
「それは……」
腹心たちの顔が、たちまち明るくなる。
その情報が意味するものは、ただ一つであるからだ。
「これまで、大きなリードを獲得していたあやつの工区だが、工事を止めてしまっては、当然ながら一気に差が詰まる。
細かい数字は得ていないが、おそらく、我が工区との差はほとんどないだろうよ。
いや、むしろ、逆転してしまっているかもしれんな……」
ソファに腰かけ、足を組む。
今が昼間でなければ、上等な酒の一本でも開けているところだった。
「厄介者の難民共へ入れ込んで、せいぜい、仁君を気取ることだ。
だが、為政者というのは清らかなだけでは務まらん。
……まあ、あやつに能力があることは分かった。
俺が王となったなら、せいぜい、上手く使ってやるさ」
気に食わぬ外国女との息子でも、血を分けた弟であることに変わりはない。
まして、認めるに足るだけの実績を示したのは確かなのだ。
ミチカチは……次代の王は、臣下となったケンにどのような働きをさせるか、早くも思い描き始めたのである。
--
連休明けの体というものは、通常、ダルさが勝るものであったが……。
ケン王子が担当する工区の猫人たちには、そのような気配は見られず、皆が皆、しゃきりとした姿を見せていた。
ここしばらく、王子が監督する二つの工区は共に工事を中止していたが……。
給与付きの休みを与えられた猫人たちは、正しく英気を養っていたのである。
全ては、大恩人にしてこの国で忠を誓うべき存在――ケン王子のお役に立つために!
「あー、諸君。いい顔をしているな。
どうやら、中止期間中、羽目を外し過ぎることなく、きっちり体を休めてくれたようだ。
いいことだ。健全な体でこそ、良い仕事ができる」
一同を見渡したケン王子が、自分たちの血色が良いことに対して、満足そうにうなずく。
何ということはない言葉と仕草であるが、それが、猫人たちには誇らしかった。
自分たちは、ケン王子の期待を裏切ることなく、与えられた時間を有効に使ってみせたのだ。
「――さて。
先日に伝えていた玉掛け災害に対する対策だが、俺は技能講習を設け、それに合格した者のみ、作業に従事することを許可することにした。
これが、その許可証――技能講習修了バッジだ」
そう言った王子が、懐から簡素な造りのバッジを取り出し、掲げる。
猫人の頭部を模したと思われるそれは、無地の……赤色をした品で、中心部には名前が書かれているようだった。
味も素っ気もない造りだが、これを胸などに付けておけば、なるほど、資格の有無は一目瞭然であるに違いない。
「表面には名前を書いてあるし、裏面には通し番号を刻印してこちらで照会できるようにしてあるから、他人のを借りることは出来ないぞー。
まあ、お前たちはそんなことしないだろうけどな!」
王子のジョークに、ドッと笑い声が起こる。
これを冗談として言ってくれる信頼が、何より心地良く……。
実のところ、それに対する笑みが大であろう。
「それじゃ、今日からさっそく順次講習を受けてもらう!
今から名を呼ばれた者は、朝礼後、俺の所に集まるように!」
それから、ケン王子は栄えある技能講習受講者の名前を一人一人、呼んでいく。
その栄誉にあずかった者たちが、背筋を伸ばしながら返事したことは、語るまでもない。
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