玉掛け その6
「ヨシ!
それじゃ、何はなくとも、まず座学だ!
休憩所の方に移動すっぞ!」
ケン王子に、そううながされ……。
選ばれた――といっても、順番が早かっただけだが――猫人たちは、休憩所へと移動する。
そこで、机やベンチなどの形を整え、何となく学び舎風の配置に直した。
「……準備はできましたね?
それでは、今から殿下がテキストを配ります」
「俺がやるの!?
いやまあ、いいけどさ」
お付きのメイドと漫才をした王子が、ありがたくも、各席の先頭へと数冊ずつのテキストを配っていく。
生徒たる猫人たちの前には、キャリー付きの黒板が運び込まれており、これがあることで、いっそう、学び舎然とした雰囲気が出ている。
黒板の前に立つのは、ケン王子に、アンというお付きのメイド……。
それから、熟練の職人ツスルで、この三人が教官役ということだ。
それにしても……。
「分厚いな」
「ああ、分厚い」
受け取ったテキストを見て、手近な者とささやき合う。
覚悟はしていた。
普段、現場に立って肉体労働をする身であるが、慣れない座学であろうときちんと履修してみせると。
しかし、実際に配られたテキストは、かなりの厚みがあり……。
正直、これを見ただけで心が折れそうになったのである。
唯一、心をなだめてくれるのは、『よく分かる! 玉掛け作業!』というテキストの表題と、ついでに描かれた玉掛け作業をする猫人たちの絵であった。
この絵は、頭身を縮めたかわいらしいものとなっており、見ていると、何やら楽しい気持ちになってくる。
まさか、王子が自分で描いたとも思えぬし、一体、誰が描いたのだろうか……。
――パン! パン!
手を打つことで、王子が自分に注目を戻す。
それから、ゆっくりと口を開いた。
「まず、テキストの分厚さに驚いたと思う。
かく言う俺も、実物を見た時はちょっと引いたくらいだ」
――パアン!
……と、表紙を手で打った王子が、苦笑を浮かべる。
「だがまあ、厚さには訳があってな。
とりあえず、内容を見る必要はないから、ペラペラーっとめくってみな?
ペラペラーっとな」
言われるがまま……。
猫人たちは、与えられたテキストをざっとめくってみた。
すると、明らかになったその中身は……。
「絵だ……」
「絵が、めちゃくちゃ多い……」
「もうこれ、ほとんど絵本じゃないか?」
……そう。
テキストの中身は、やり過ぎといえるくらいに絵が多用されており、比率でいくと、絵が七で文字が三くらいに思えたのである。
「何事も、分かりやすさっていうのは大事だからな。
幸い、文化圏が近かったこともあって、お前たちはルタカの言葉を話せるし、読み書きに関しても問題はない。
だが、最悪、言葉が通じなくても、文字が読めなくても、図解を見れば意図が理解できるくらいのものを目指した」
王子がそう言うと、メイドのアンが涙ぐむ。
「消しゴムかけ、ホワイト修正、色塗り、背景……。
まっこと、ここしばらくは地獄でございました」
「ええ、私も完徹三日目では、先立たれた妻が目の前に立っていましたよ……」
同時に、ツスルも遠い目をする。
一体、この人たちは、どれほどの修羅場に身を置いたのであろうか?
「おまけに、ミケコのやつが妙に凝り性だったからな……。
さすが、怖いもの知らずの父上が、唯一恐れる女だぜ……」
ケン王子もまた、白目となりながらそう答えた。
……よく分からないし、ミケコというのが何者かも知らないが、どうやら、王子は自分たちのために死線をくぐってくれたようだ。
その想いに、応えなければ……。
「そんなわけで、極道入稿の限りを尽くし、完成したのがこのテキストだ。
それじゃあ、張り切って学んでいこうぜ!」
――ヨシッ!
猫人たちは、力強く答えたのである。
--
それから……。
順次、技能講習を終えた者たちが作業するようになった玉掛けの作業場は、大きくその様相を変えた。
まずは、玉掛けに使う道具類の保管。
これまでは、使う者たちがそれぞれなりに保管してきたのだが……。
これからは、一括で管理することとなったのである。
ワイヤー等の腐食を避けるため、専用のスペースが屋根付きで用意されたのだ。
注目すべきは、そうして作られた道具置き場内のワイヤーかけに、点検方法、適正な玉掛け方法、玉掛け責任者及び有資格者の名前が、イラスト付きで掲示されたことだろう。
しかも、一角には点検箇所や廃棄基準が一目で分かるよう、実際に傷んだワイヤーが展示されてもいた。
作業従事者は、実際の作業前後のみならず、一定期間ごとに、これらを基準にワイヤーを点検するのだ。
しかも、各ワイヤーは点検すべき月ごとに色分けされており、分かりやすいことこの上ないのである。
また、実際の作業に当たって……。
玉掛けを行う作業区画は、カラーコーンやバーで囲うと共に、『玉掛け作業中のため立ち入り禁止』と表示されることになった。
リョーオーの死は、現場に詳しくない者が、迂闊にも吊り上げた資材の下へ入ったのが原因……。
そう、切って捨てることはたやすい。
実際、リョーオーの監督下で酷使されていた猫人たちは、そう言って笑い合ったものだ。
だが、ケン王子はそうじゃなかった。
どれだけの熟練者であろうと、不注意は起こり得るもの。
そう考えた彼は、誰が見ても分かるようにするばかりか、物理的にも立ち入れないよう徹底した処置をすることにしたのである。
まさに、これは――見える化。
予想され得る危険が、可視化され、現場知識の有無に関わらず、危険な場所へ立ち入ることがないようにされたのであった。
その効果――大なり。
はっきりとした立ち入り禁止箇所の表示により、熟練の程度に関係なく、全ての猫人が安全な移動をすることが可能となったのである。
それはつまり、人や物の移動がスムーズになるということ……。
また、作業に当たって、周囲の危険を確認するのは、以前も今も変わらぬ当然の手順であるが、それを行う手間が大幅に減り、猫人の精神的な疲労も軽減されたのだ。
今では、これを応用し……。
例えば、階段を降りる際は、いざという時に手すりへ掴まれるよう動線表示で誘導したり、フォークリフト等の魔道車両が通行し得る場所には、危険予知を促す掲示がされるようになった。
これらは、ケン王子が考案したものも含まれているが……。
実際に働く猫人が提案し、採用されたというものも多々ある。
まさに、好循環であった。
ケン王子が付けた安全意識の火は、工区で働く猫人たちに伝播し、今や、彼自らが火の番をしなくとも、雄々しく燃え盛るようになったのである。
今、ツスルや技能講習修了者に玉掛け指導を任せるようになったケン王子は、フォークリフト用の技能講習について検討しているという……。
単に働きやすいばかりでなく、現場内の安全性が高まり、更には、実際に働く者たちも、日々、より安全で確実な作業ができるよう知恵を絞り合う……。
一つの現場……いや、職場としてケン王子の監督工区が完成したある時、それは訪れた。
三ヶ月ぶりの、王族会議である。
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