22:賑わい
「賑やかっすね」
「そうねえ」
サポートとして横に座る新人の言葉に軽く肩を竦める。
Xの視界に映る『異界』は、いつになく華やかだった。空を埋めるかのように灯る真っ赤な提灯、夜空からきらきらと降り注ぐ銀の紙吹雪に、色とりどりの服を纏い、派手な模様が描かれた仮面をかぶった人々――人の形ではないものも含め――が、豪華に飾り立てられた山車を引きながら、歌い、踊りながら練り歩いている。
どうやらそれは祭りの光景であるらしい。『こちら側』のそれと、そう大きくは変わらない。何か、いろんな祭りがごっちゃになってるような感じはするけど。
看板や提灯に書かれている文字は見知らぬものだし、辺りを行き交う人々の言葉は耳を澄ましてみても聞き取ることができない。日本語じゃない――というか、Xが理解できない言葉、なんだろうな。『異界』によっては、実際にはまるで別の言葉で喋っているはずなのに、Xの耳を通すことで日本語として聞こえる、という例も少なくないから。
唯一、こちらが理解できる言葉で喋っているのが。
「ほら、旅人さん! こっちに飴の屋台があるよ!」
Xを用いた『潜航』を開始して何度目の遭遇になるかもわからない、とんがり帽子に黒いドレスの、絵に描いたような魔女であった。
まあ、見た目だけじゃなくて本物の『魔女』なわけだけども。
そもそも、この場合の『魔女』とは、単に「魔法の使える女」を示す言葉ではない。
異界研究者って人種は「魔法」って言葉が嫌いなのよね。だって『こちら側』ではあり得ない現象も、その『異界』の中では当然のものである可能性が高くて、「起こりえないこと」を示す「魔法」という言葉は相応しくないわけ。
だけど、そんな偏屈極まりないアタシたちでも、「魔法」と呼ぶしかないものがある。それが、『異界』を渡る連中の扱う力だ。
アタシの作った異界潜航装置は、サンプルの意識を『異界』に投げ込む、という形で限定的に『異界』を観測する代物。ほんとは人体丸ごと持ってくことも不可能じゃないんだけど「自在に」という言葉には程遠い。行きはよいよい帰りは怖い、ってのがアタシら異界研究者の合言葉で、送り出すだけなら簡単だけど、帰れるように作るにはめちゃくちゃ難しい。
だけど、アタシらがその方法を確立できていないだけで、『異界』を自由に渡り歩く奴は、案外いっぱいいるみたいなのよね。それぞれの『異界』のルールに縛られることなく、何もかもを超越した、まさしく魔法みたいな力を操る
アタシがかつて出会ったアレも、いわゆる魔女だったんだろうな。今はどこで何してるのやら、どうせアタシのことなんて偶然目についた有象無象の一人なんだから、ろくに覚えちゃいないんだろうけど。
ともあれ、とんがり帽子の魔女はうきうきとした様子でXの袖を掴んでいた。
「あの」
Xの困惑の声。しかし、魔女はそんなXをよそに、飴細工の屋台を覗き込んでしきりに首を傾げている。
「ほら見て、すごいと思わない? どうやって作ってるのかしら?」
確かに『こちら側』の技術でも難しそうな、獣や鳥の形を写し取った飴細工が、棒に飾られて並んでいる。
「これ、確かに食べられるんだろうけど、ここまでよくできてるともったいなくなっちゃうな」
「あの」
「なーに?」
魔女がXを振り向く。アタシからXの視界を観測することはできないけど、きっと相当うんざりした顔してるんだろうな、っていうのは二度目の「あの」の声音で察することができる。Xは表情こそ乏しいけど、感情表現はめちゃくちゃストレートだ。
「……どうして、服、掴んでるんですか」
「手を握った方がよかった?」
「そうじゃなくて」
「だって、ほっといたら迷子になっちゃいそうじゃない、あなた。あっ、これくーださい!」
話の後半は飴の屋台の主人に向けられていた。かろうじて人の形はしているが毛むくじゃらな店の主人――その毛が飴に混入していないかちょっと心配になる――から、大きく翼を広げた鳥の形をした飴を受け取る。代わりに差し出しているのはどこでどうやって作られてるお金なんだろう、X越しに聞いてみたいけど残念ながらまだ通信装置は実装にこぎつけていない。
「さ、次行きましょう?」
いたってマイペースな魔女は、片手に飴を持ち、片手でXの袖を引いていく。Xはやや怪訝な調子で問いかける。
「別に、掴まなくとも、問題ないと思いますが」
そう、別にこの場で偶然出会っただけで、一緒に行こうと言ったわけでも言われたわけでもない。迷子といっても、元より共に行動しているわけではないのだから、離れ離れになったところで別に困ることもあるまいに。
――と、思っていたのだが。
ぐい、と。袖を引かれたらしく、Xの視界が傾ぐ。そして、肌が触れるくらいに魔女の顔が近づけられる。キスでもするのかしら? と思っていると。
「振り向かないで、そのまま、前を見て」
鋭い囁き。わずか、Xの呼吸が詰まり、そしてXもまた声を潜めて言う。
「……何か、冷たいものが、首の辺りに」
「うんうん、そうだろうね。振り向かないでね、絶対に。連れてかれて、戻ってこれなくなるから」
「どこに、連れていかれるのです?」
魔女の手にした飴が、練り歩く仮面の人々に向けられる。巨大な張りぼての飾り付けられた山車を引く彼らは、服装や仮面の模様こそとりどりだが、よくよく見れば妙だ。
あまりにも、統率が取れすぎている。
「踊る阿呆に見る阿呆、っていうのは旅人さんの土地の言葉だっけ」
「そう、ですが」
踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々。
阿波踊りの歌の文句なわけだけど、この魔女、『こちら側』にも来たことあるのかしらね。案外あるのかもしれない。だって『異界』を自在に渡り歩く魔女なのだ、Xとの縁を伝ってこっちに辿り着いていても不思議ではないが――。
「お誘いに乗ったら、踊る阿呆にされちゃうよ、永遠にね」
ここは、永遠に祭りの賑わいの中にあるから、と魔女は言う。Xの視界の端に「何か」がちらちらと映りこむ。振り向くな、という声をかけられているから、かろうじてそれに反応していないだけで。手の指のようなものが、Xの首筋を、顔の周りを、這い回っているのがわかってしまう。
「旅、続けたいのでしょう?」
透き通った飴細工の鳥の翼を噛んで折り取り、魔女は笑う。どこかいたずらっぽく、Xの腕に己の腕を絡めて、身を寄せて。それはまるで、恋人同士がするかのように。だが、実際にはXが
「……ありがとうございます」
Xの声がやや不機嫌さを含んでいたのは、まあ、気のせいじゃないんだろうなあ。いくら「フリ」でも恋人みたいに振舞うのが不服なんだろうし、何よりも、一方的に守られるの、本意じゃないんだろうね。
ほんと、そういうとこはわかりやすいんだよな、Xって。
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