18:占い

「旅人さん、占いはお好き?」

 そう問いかけてきたのは、黒いとんがり帽子に黒いドレス、そして一本の箒を携えた、絵に描いたような『魔女』だった。長い黒髪を揺らし、長い睫毛に縁取られたぱっちりとした目でXの顔を覗き込んでくる。

 Xはそんな魔女を真っ直ぐに見つめ返す。『こちら側』でもそうなのだが、Xは見られている側が面映ゆくなるくらい真っ直ぐに人の顔を見つめる癖がある。ただ、魔女から見たらやや焦点がずれているように見えたかもしれないが。Xは片目しか利かないため、「目を合わせる」のが難しいのだ。

 そして、少しだけ考えるような素振りを見せてから、答えた。

「別に、好きでも、嫌いでも、ないですね」

 つまり、無関心。この男らしい答えだとは思う。目に見えないもの、人の理解しえないことを判断し、解釈することに、Xはまるで興味を持っていないように見えたから。

 実のところ、理解しえない事物にことさら意味を求めない、という姿勢は、「優れた」サンプルとしての才覚の一つでもあったりするのだが。Xの目を通して見る限り、下手に『こちら側』の常識や論理で解釈をすれば命の危険すらある『異界』も数多い。Xが数多くの『異界』を乗り切ってこられたのは、X自身が見聞きした物事を己で解釈しようとしないからだ。この男が行うのは観測だけで、時折必要な時に、場の流れを見定めて行動を決定する程度。

 ともあれ、Xのどこか突き放したような回答は、魔女の気分を損ねるどころか面白がらせたようで、嬉しそうに笑って言った。

「それじゃあ、尚更、占ってもらった方がいいわ。貴重な経験の一つとして、ね」

「はあ、そうですか」

 どこか気の抜けた返事。それは、無関心であるのと同時に、Xがこの魔女に対して幾分気を許している、ということの表れでもある。

 そう、僕らがXの視線を通してこの魔女を観測するのも、これが初めてではないのだ。

 異界潜航サンプルXの目を通していくつかの『異界』を観測してきてわかったことの一つが、その身ひとつで自在に『異界』を渡り歩く能力を持つ者がいるらしい、ということ。このプロジェクトではそういうものを十把一絡げに『魔女』と呼んでおり、今ディスプレイに映っている女性は、いたって魔女らしい魔女、ということになる。

 この魔女は、ある『潜航』で初めてXの前に姿を現してから、度々Xが訪れる『異界』で顔を合わせている。曰く「私のような魔女は縁を伝って世界を渡り歩くのよ」とのこと。一度出会ったことでXと縁が結ばれたためにお互いを引き寄せる、らしいが、その真偽を僕らが知ることはない。

 ともあれ、今回の『異界』にも姿を見せた魔女は、Xと並んで鬱蒼とした森の中を歩いていた。かろうじて舗装こそされているが、長らく手入れされていないのだろう、酷く凸凹とした道を、魔女はつややかな黒いハイヒールで軽々と行く。

「この先に住んでるのは、私の友達でね。前は一緒に色んな場所を渡り歩いたこともあるんだけど、今はここに隠居して、訪れた人を占って暮らしてるの」

「つまり、あなたと同じ、『魔女』、ということですか」

「そう。ほら、着いたわよ」

 魔女の白々とした指が、道の先を示す。そこには、おとぎ話に出てくるような、小さなレンガ造りの家があった。Xはすたすたと扉の前まで歩いていくと、その扉を軽くノックする。

 すると、「どうぞ、お入りくださいな」という穏やかな声が聞こえた。傍らの魔女に視線をやると、魔女は「いってらっしゃい」と手を振る。

「占いって大体はプライベートな話でしょ? 私が聞くようなものでもないと思って」

「なるほど」

 Xは一つ頷くと魔女から視線を外し、改めて扉に向き直った。明るい緑色に塗られた扉には、何事かが書かれた木のプレートがかかっていたが、そこに書かれた文字は僕にも読めなかった。

「お邪魔します」

 低く、しかしよく通る声で言って、扉を開ける。

 そこは「占い」という言葉から想像されるものと異なり、小さな雑貨店のような風情だった。形も大きさも材質も様々なものが並べられており、それらは所々に灯された明るく優しい光に照らされている。そして、そんな「もの」に埋め尽くされた空間の真ん中に長机が置かれ、その向こうで一人の女性がにこにこと微笑んでいた。年経ていることがわかる皺の刻まれた顔をした、小柄な女性。

「こんにちは、初めまして。どうぞおかけになって。こちら、お口に合うとよいのだけど」

 不思議な紋様が織りこまれたクロスがかかった机には、既にティーカップと素朴なクッキーの盆が用意されていて、カップの中では赤みがかった茶が湯気を立てている。Xは示された椅子に座りながら、真っ直ぐに女性を見る。

「初めまして。その……、随分、準備が、いいですね」

「あら、あの子から聞いてない? 私、少しばかり占いが得意なの。今日は、素敵なお客様が来るって占いに出ていたから」

「なるほど?」

 これはわかっていない方の「なるほど」だな、とわずかに語尾の上がった声を聞きながら思う。Xは相手の話を理解していようがいまいが、相槌として「なるほど」と口走りがちで、プロジェクトメンバーはよく聞き分けを求められる。

 ただ、先ほどの魔女の言葉が正しければ、この女性もまた世界を渡り歩くほどの力を持つ魔女であり、占いといえどそれはもはや魔法の域なのかもしれない、とは思う。「魔法」というのはいささか定義があやふやな言葉ではあるが、我々『こちら側』の人間には見えないものが見えている、という程度の意味として。

「でも、私はいつごろあなたが来るかはわかっても、あなたの気持ちはわからないの。あなたが、私に何を占ってもらいたいのかも」

 だから、あなたとお話をしたいのよ、と女性は細い目を更に細めて、言う。

 Xは茶の入ったカップを取り、ゆっくりと口に運んで――、「あ」と声をあげた。

「すごく、美味しいです」

「あら、ありがとう。嬉しいわ。クッキーもどうぞ」

「ありがとうございます」

 得体の知れない『異界』のものを食す、というのはなかなか勇気のいる行為だと思うのだが、Xはその辺りの危機の察知が異様に上手いようで、危険だと思ったものには断じて手を出さないし、そうでなければ迷わず口に運ぶ。今回はどうやら後者であるらしく、クッキーも一つ摘まみあげ、口に持っていく。

「どうかしら?」

「どこか、懐かしいです。私は、好ましいと、思います」

「よかった。これね、私の手作りなの。一ついただくわね」

 盆からクッキーを一つ取り上げる女性を見ながら、Xはその様子を見つめながら、ほとんど囁きのような声で言う。

「占い、というのは、……どのようなことでも、占っていただける、の、ですか」

「ええ。あなたの迷い、悩み、何でも占うことができる。もちろん、さっきも言った通り、私の占いはわからないこともいっぱいあるの。けど、そのくらいの方が面白いでしょう? 何もかもがわかってしまったら、つまらないと思わない?」

 にこ、と笑みを浮かべる女性に、Xは「それは」と言いかけて口を噤んだ。一体何を言おうとしたのか、僕にはわからなかった。

 言葉を続ける代わりに、二つ目のクッキーを取る。さくさくとクッキーを食む音、噛み砕いたそれを飲み下したとわかる微かな音が聞こえたところで、Xは改めて口を開く。

「例えば。私のことについても、わかるのですか」

「そうねえ、あなたが遠い場所から来たことはわかるかしら。それと、あなたが辿ってきた道、それからこれからのことも。きちんと見てみようと思えば、もう少しはっきり見られるけれど……、知りたい?」

 こくり、と首を傾げる女性に、Xは「いえ」と言って、カップに口をつけて。

「私のこれからについては、わかりきっているので」

 そう、はっきりと言った。

 わかりきっている。それはそうだ。Xがそう遠くない未来に命を落とす、ということだけは、確定事項としてそこにある。それがいつ、どこで、何によってもたらされる死なのかは、Xも、僕らも、知る由もないが。

 そして、Xのこれからが見えていると言った女性もまた、Xの答えを何とはなしに予測していたのかもしれない。くすくすと声を出さずに笑いながら、言うのだ。

「確かにそうかもしれないわね。でも、それなら、何をお望みかしら」

 ――占ってほしくない、というわけではなさそうだけど。

 女性の言葉に、Xはこくりと頷く。

「私、ではなく。私に役目を与えてくれた彼らのこれからを、占ってもらえませんか」

「それは――、つまり、あなたの目を通してこちらを見ている、彼ら、、のことかしら?」

 女性の目が。Xの片方だけの目を通してディスプレイ越しの僕らを見据えていることに気づいて、どきりとする。今までも、こういうことが皆無というわけではなかった。先ほどの魔女だって『こちら側』を認知しているような素振りをしていたし、時にはXを通してこちらに語り掛けてくる者もいた。

 だが、いつだって、『こちら側』に向けて語り掛けられるのは、ディスプレイ越しの観測者でしかないはずの僕らが、越えてはいけない壁を越えてしまったような感覚に陥る。あくまで危険にさらされるのはXであり、僕らは安全である、という認識が単なる幻想にすぎない、と思い知らされる。

 とはいえ、この女性が『こちら側』の僕らに害をなすことはなく、またXもそれを肌で感じていたに違いない。もう一つ、頷きを返して言う。

「私に、未来はないですが。彼らには、未来があるはずです。彼らのしようとしていることにも」

 その言葉に、僕は先ほどとはまた違う意味でどきりとする。

 Xはほとんど己の言葉で語らない。リーダーが問いかければ、その問いに対する答えを返す、その程度でしかない。だから、「Xがこのプロジェクトと、そのメンバーをどう思っているのか」など、今まで知る由もなかったのだ。知ろうとも思っていなかった。

 いや、知ることが恐ろしいとすら思っていた。Xは僕らの前では極めて従順に振舞うが、腹の底で何を考えているのかなど、わかったものではないのだ。

 Xはきっと手錠をしていたってこちらを殺せるだろう――、かつてドクターは皮肉げに笑いながらそう断言した。それだけの身体能力と、それから、思ったことを可能にするだけの頭がある。単に、X自身の思想と信条により、そうしていないだけに過ぎない、と。

 そして、「殺したかったから殺したのだ」と法廷で繰り返したという殺人鬼は、いつになく穏やかな声音で言うのだ。

「彼らの未来が、よりよくあるように。悪しきことがあるなら、排せるように。良きことがあるなら、目指せるように。占って、いただけるなら、嬉しいです」

「そう。……あなたは、自分のお役目を、とても誇りに思っているのね」

 微笑みを浮かべる女性の言葉に、Xは。

「はい」

 きっぱりと、断言したのだった。

 僕は、どうしても、このXという男を、理解できずにいる。

 このプロジェクトは、Xに利益らしい利益を与えることはない。命がけの『潜航』と引き換えに与えられるのは、拘置所よりも多少は居心地の良い独房、その程度。刑が軽くなるわけでもなければ、死刑までの時間が引き延ばされるわけでもない。なのに、Xは、あまりにも真っ直ぐに言うのだ。

「私は、彼らに、感謝をしています。だから、……少しでも、報いることができればいい、そう思っています」

 何を感謝するというのだ。このプロジェクトが、Xに何をもたらしたというのだ。

 僕は、Xに、何を――。

「それなら、……占いは、いらないかもしれないわね」

 意識の中に滑り込んでくる女性の言葉に、僕はやっと我に返る。ディスプレイの向こう側では、皺に囲まれた目が、優しく、Xを――もしくは、Xの目を通した僕らを見つめていた。

「そう、ですか?」

「だって、きっと、私が何を言おうと、どんな未来が待っていようと、彼らならやり遂げられる――、って、あなたが、、、、そう思っている。違うかしら?」

 Xが激しく瞬きしたのが、ディスプレイのちらつきからわかった。

「私が占うのは、迷いとか、悩みとか、そういうものを晴らすため。でも、あなたとあなたのお願いは、そうじゃないでしょう」

「なるほど?」

「それは、わかっていないお顔ねえ」

 初めて会う人にまでそう言われてしまうのはどうなんだ、X。

「私の占いは、確かに未来を少しだけ言い当てられる。でも、強い心の力は、いつだって私が見たものをやすやすと跳び越えていくものだわ。だから、きっと、未来なんて知らない方がよっぽど自由な心で未来を切り開ける、私はそう思っているの」

 女性の言葉を、ひとつ、ひとつ、噛みしめるように、Xは小さく頷く。とはいえ、やっぱり、ろくに理解はしていないのだと思う。Xはドクターの言うとおり頭は悪くないどころか相当切れる部類なのだが、頭が柔らかいか、と聞かれれば首を横に振らざるを得ないところがあるから。

「だから、占いはできないのだけれど……、もう少しだけ、お付き合いしてもらってもよいかしら? あなたの大好きな『彼ら』のお話、もっと聞きたいわ。お茶もお菓子も、まだまだいっぱいあるし、ね?」

 その言葉に、Xはぱちりとゆっくり瞬いて。それから、この男には珍しく、わずかに弾んだ声で言った。

「喜んで」

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